こんにちは、みっつです。
あなたは、オリックスという球団に、どのようなイメージをお持ちですか?あのイチロー選手が所属していた球団である、といった感じかもしれませんね。
私も、やはりイチロー選手のイメージが強いです。そして同時に、現在のオリックスバッファローズは、阪急ブレーブスと近鉄バッファローズという、パリーグの強豪球団が合併して誕生したという衝撃も忘れられません(^_^;)
今回は、そんなオリックスの背番号4番について特集します。オリックスの背番号4番をつけた選手の意味や、歴代の背番号4番をつけた選手をご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。
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オリックスの背番号4番の意味とは?
2018年のシーズン開幕時点で、オリックスの背番号4番を背負った選手は、合計で44名にもなります。すいぶんと多く感じますが、オリックスは阪急ブレーブスと近鉄バッファローズが合併して出来た球団なので、合併前は両球団で背番号4番が存在していたためです。
その内訳は、旧阪急ブレーブスが19名、旧近鉄バッファローズが16名、そして統合後のオリックス・バッファローズが8名となっています。
昔から日本人は、「4」の数字を「し」と読み、「死」を連想させることから嫌う選手が多く、プロ野球の選手も背番号4番を避ける傾向にありました。オリックスも例外ではなく、旧阪急ブレーブスと旧近鉄バッファローズの両球団ともに、球団創立当初は背番号4番が空き番号となっていました。
その一方で、外国人選手は「4」の数字を気にしないことから、日本プロ野球では活躍が期待される外国人に、背番号4番を与える傾向があります。
オリックスにおいても、前身球団を含めこれまで背番号4番を付けた44名のうち、半数近くの19名が外国人選手です。これは1球団に占める外国人選手の人数からすると、かなりの高さですよね!
オリックスで背番号4番を付けた日本人選手に目を移してみると、堅守の内野手のイメージが強くあります。
例えば、旧阪急ブレーブスで活躍をした松山秀明選手、旧近鉄バッファローズでは背番号4番をつけて15年間も活躍を続けた大石大二郎選手、そして両球団で活躍した阪本敏三選手が挙げられます。
歴代の背番号4番を背負った選手をご紹介
オリックスの歴代の背番号4を付けた全選手を、旧阪急ブレーブスと旧近鉄バッファローズそれぞれの創立時から、一気にご紹介しますね。
旧阪急ブレーブス
年 度 | 年 数 | 球 団 名 | 選 手 名 |
---|---|---|---|
1936年~1938年 | 2年 | 阪急 | 川村徳久選手 |
1939年~1945年 | 8年 | 阪急 | 空白 |
1946年~1948年 | 2年半 | 阪急・阪急ブレーブス | 野口朗選手 |
1948年~1949年 | 1年半 | 阪急ブレーブス | 永利勇吉選手 |
1950年~1951年 | 1年半 | 阪急ブレーブス | 新居一仁選手 |
1951年~1952年 | 1年半 | 阪急ブレーブス | 小川英雄選手 |
1953年 | 1年 | 阪急ブレーブス | 阪田清春選手 |
1954年~1955年 | 2年 | 阪急ブレーブス | 空白 |
1956年~1961年 | 6年 | 阪急ブレーブス | 岡田豊選手 |
1962年~1964年 | 3年 | 阪急ブレーブス | バルボン選手 |
1965年~1966年 | 2年 | 阪急ブレーブス | 空白 |
1967年~1971年 | 5年 | 阪急ブレーブス | 阪本敏三選手 |
1972年~1973年 | 2年 | 阪急ブレーブス | ソーレル選手 |
1974年 | 1年 | 阪急ブレーブス | バルボン選手 |
1975年~1982年 | 8年 | 阪急ブレーブス | マルカーノ選手 |
1983年~1985年 | 3年 | 阪急ブレーブス | 水谷実雄選手 |
1986年~1987年 | 2年 | 阪急ブレーブス | 岩本好広選手 |
1988年 | 1年 | 阪急ブレーブス | ウィリアムス選手 |
1989年 | 1年 | オリックス・ブレーブス | ブラウン選手 |
1990年~1998年 | 9年 | オリックスブレーブス・オリックスブルーウェーブ | 松山秀明年 |
1999年~2000年 | 2年 | オリックスブルーウェーブ | 今村文昭選手 |
2001年~2004年 | 4年 | オリックスブルーウェーブ | 福留宏紀選手 |
旧近鉄バッファローズ
年 度 | 年 数 | 球 団 名 | 選 手 名 |
---|---|---|---|
1953年~1954年 | 2年 | 近鉄パールス | カスパラビッチ選手 |
1955年 | 1年 | 近鉄パールス | 空白 |
1956年 | 1年 | 近鉄パールス | ピンカード選手 |
1957年~1958年 | 2年 | 近鉄パールス | 兵頭冽選手 |
1959年~1961年 | 3年 | 近鉄バッファロー | 空白 |
1962年~1966年 | 5年 | 近鉄バッファロー・近鉄バッファローズ | 小森光生選手 |
1967年 | 1年 | 近鉄バッファローズ | 島田光二選手 |
1968年 | 1年 | 近鉄バッファローズ | ロイ選手 |
1969年 | 1年 | 近鉄バッファローズ | バッキー選手 |
1970年 | 1年 | 近鉄バッファローズ | テハダ選手 |
1971年~1974年 | 4年 | 近鉄バッファローズ | 関根知雄選手 |
1975年 | 1年 | 近鉄バッファローズ | アンドリウス選手 |
1976年~1978年 | 3年 | 近鉄バッファローズ | 阪本敏三選手 |
1979~1980年 | 2年 | 近鉄バッファローズ | マニエル選手 |
1981年 | 1年 | 近鉄バッファローズ | ハンプトン選手 |
1982年 | 1年 | 近鉄バッファローズ | ウルフ選手 |
1983年~1997年 | 15年 | 近鉄バッファローズ | 大石大二郎(大石 大二朗)選手 |
1998年~2004年 | 7年 | 近鉄バッファローズ・大阪近鉄バッファローズ | 高須洋介選手 |
2005年の統合後
2005年~2009年 | 5年 | オリックスバッファローズ | 阿部真宏選手 |
---|---|---|---|
2010年 | 1年 | オリックスバッファローズ | 空白 |
2011年 | 1年 | オリックスバッファローズ | 赤田将吾選手 |
2012年 | 1年 | オリックスバッファローズ | スケールズ選手 |
2013年 | 1年 | オリックスバッファローズ | ロッティーノ選手 |
2014年~2015年 | 2年 | オリックスバッファローズ | ヘルマン選手 |
2016年~2017年 | 2年 | オリックスバッファローズ | モレル選手 |
2018 年~2021年 | 4年 | オリックスバッファローズ | 福田周平選手 |
2022年 | 1年 | オリックスバッファローズ | ブレイビック・バレラ選手 |
2023年~ | オリックスバッファローズ | 森友哉選手 |
背番号4番をつけて活躍した選手をご紹介
旧阪急ブレーブスを代表する外国人選手と、旧近鉄バッファローズを代表する外国人選手、そして背番号4をつけて最も活躍した日本人選手の3名をピックアップし、経歴をご紹介いたしますので、是非参考にしてください。
ボビー・マルカーノ選手
生年月日 1951年6月7日
出身地 ベネズエラ、首都地区ミランダ州
投/打 右/右
プロ野球歴 阪急ブレーブス(1975年~1982年)
ヤクルトスワローズ(1983年~1985年)
タイトル 打点王1回
表彰 ベストナイン4回、ダイヤモンドグラブ賞4回
背番号4番をつけた阪急ブレーブスを代表する外国人選手として、ボビー・マルカーノ選手をご紹介したいと思います。
マルカーノ選手は日本人の血を引く、ベネズエラからの助っ人外国人でした。サーカス団のルーツを汲むことから「軽業師」と呼ばれ、軽快なフットワークの内野守備を見せる二塁手でした。
23歳という若さで阪急ブレーブスに入団した事もあり、今後10年は二塁手に困らない、とまで言われた程です。強打の二塁手として、阪急ブレーブスの4年連続優勝に大きく貢献をいたしました。
チャーリー・マニエル選手
生年月日 1944年1月4日
出身地 アメリカ合衆国ウェストバージニア州
投/打 右/左
プロ野球歴 ヤクルトスワローズ(1976年~1978年)
近鉄バッファローズ(1979年~1980年)
ヤクルトスワローズ(1981年)
タイトル 本塁打王2回、打点王1回
表彰 年間MVP1回
マニエル選手はヤクルトスワローズから近鉄バッファローズ、そして再びヤクルトスワローズへと、球団を渡り歩きましたが、背番号は常に4番をつけていました。
マニエル選手といえば優勝請負人とも呼ばれ、近鉄バッファローズに所属していたわずか2年間でも、1979年の初優勝と翌年1980年の連続優勝の立役者になりました。
特に、1979年は、あごへのデッドボールでシーズンの多くを欠場したにもかかわらず、本塁打王に輝く活躍を見せ、年間MVPに も選ばれています。
デッドボールを受けてからは、あごを防御するようなヘルメットを着用するようになりました。そのヘルメットが、私にはまるでアメリカンフットボールのヘルメットに見えた事を思い出します(^_^;)
顔を赤らめて闘志をむき出しにしたプレーから、「赤鬼」と呼ばれた選手でした。
大石大二郎選手
生年月日 1958年10月20日
出身地 静岡県
投/打 右/右
プロ野球歴 近鉄バッファローズ(1981年~1997年)
タイトル 盗塁王4回、新人王、
表彰 ゴールデングラブ賞3回
大石大二郎選手は、近鉄バッファローズ球団55年の歴史のなかで、最も長く背番号4番をつけた日本人選手です。近鉄ではもともと背番号4番は外国人番号として定着をしていましたが、大石選手は15年間、背番号4番を背負い続けました。
身長166cmと小柄ながら、快速を飛ばして、盗塁王に4回も輝く活躍をいたしました。「世界の盗塁王」と呼ばれた福本選手の、14年連続盗塁王にストップをかけた選手としても有名です。
また、シュアなバッティングが魅力で、リードオフマンとして活躍する一方で、堅守の二塁手として、ずば抜けた守備力の選手でした。
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まとめ
今回は、オリックスの背番号4番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?他の球団にも言える事ですが、日本人にとっては4という数字が敬遠される事もあり、外国人選手がつけるケースが多いという傾向になっています。
そんな中で、大石大二郎選手が15年間も背番号4番をつけていたのは、異例なのかもしれません。15年間も主力選手として活躍した証でもありますよね。
これから先、オリックスの背番号4番の選手が、どのような活躍を見せてくれるのか、注目してみるのも面白いかもしれませんね!
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。