こんにちは、みっつです。
阪神タイガースは巨人に次いで、2番目に誕生した歴史あるプロ野球の球団です。その阪神タイガースの長い歴史のなかで、背番号18番を付けた選手は、2018年のシーズン終了時点で18名となっています。
18名の阪神タイガースの背番号18番の選手で、私が一番印象に残っている選手は、1988年から1992年まで阪神タイガースに在籍した野田浩司選手です。野田選手は、1991年と1992年に背番号18番をつけて活躍しました。
野田選手の持ち味と言えば、サイドスロー気味の投球フォームから投げられる150キロのストレート、そして鋭く落ちるために名付けられたお化けフォーク、バッタバッタと三振を奪っていく投球に、元野球小僧の私はテレビで観戦していてもワクワクしたものでした(^_^;)
今回は、阪神タイガースの背番号18番について特集していきます。歴代の背番号18番をつけた全18選手の紹介と、特に活躍した3選手の経歴をご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。
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歴代の背番号18番を背負った選手をご紹介
まずは、阪神タイガースの背番号18番を付けた、歴代の18選手を一挙にご紹介します。
年 度 | 年 数 | 球 団 名 | 選 手 名 |
---|---|---|---|
1936年~1941年 | 6年 | 大阪タイガース~阪神 | 若林忠志選手 |
1942年~1945年 | 4年 | 阪神 | 空白 |
1946年 | 1年 | 阪神 | 若林忠志選手 |
1947年~1949年 | 3年 | 大阪タイガース | 梶岡忠義選手 |
1950年~1952年 | 3年 | 大阪タイガース | 河西俊雄選手 |
1953年~1954年 | 2年 | 大阪タイガース | 与儀真助選手 |
1955年 | 1年 | 大阪タイガース | 空白 |
1956年~1958年 | 3年 | 大阪タイガース | 井崎勤也選手 |
1959年~1961年 | 3年 | 大阪タイガース | 藤重登選手 |
1962年 | 1年 | 阪神タイガース | マーク・ブラウン選手 |
1963年~1965年 | 3年 | 阪神タイガース | 中井悦雄選手 |
1966年~1970年 | 5年 | 阪神タイガース | 石床幹雄選手 |
1971年~1974年 | 4年 | 阪神タイガース | 谷村智啓(谷村智博)選手 |
1975年~1979年 | 5年 | 阪神タイガース | 安仁屋宗八選手 |
1980年~1983年 | 4年 | 阪神タイガース | 大町定夫(大町定生)選手 |
1984年~1990年 | 7年 | 阪神タイガース | 池田親興選手 |
1991年~1992年 | 2年 | 阪神タイガース | 野田浩司選手 |
1993年 | 1年 | 阪神タイガース | 空白 |
1994年~2001年 | 7年 | 阪神タイガース | 藪恵一(藪恵壹・藪恵市)選手 |
2002年 | 1年 | 阪神タイガース | マーク・バルデス選手 |
2003年~2008年 | 6年 | 阪神タイガース | 杉山直久選手 |
2009年 | 1年 | 阪神タイガース | 空白 |
2010年~2013年 | 4年 | 阪神タイガース | 二神一人選手 |
2014年~2015年 | 2年 | 阪神タイガース | 空白 |
2016年 | 1年 | 阪神タイガース | 藤川球児選手 |
2017年 | 1年 | 阪神タイガース | 空白 |
2018年 | 阪神タイガース | 馬場皐輔選手 |
一覧にしてみると、長期にわたって背番号18番をつけた選手がいない事がわかりますね。最長で池田選手の7年ですから。タラレバは良くないですが、野田選手がオリックスに移籍しなければ、10年程度は背番号18番をつけて活躍してくれたかもしれませんね(^_^;)
背番号18番をつけて活躍した3選手のご紹介
次に、阪神タイガースの背番号18番をつけて活躍した3選手の経歴をご紹介しますので、是非参考にしてください。
野田浩司選手
⇑⇑楽天市場で発見した、野田選手の写真です。残念ながら背番号18番の写真は見つからなかったので、1988年から90年までつけていた背番号1番の写真をご紹介します。詳しくは写真をクリック・タップしてくださいね。
生年月日 1968年2月9日
出身地 熊本県球磨郡
投/打 右/右
プロ野球歴
阪神タイガース (1988年~1992年)
オリックス・ブルーウェーブ(1993年~2000年)
タイトル 最多勝1回
表彰 ゴールデングラブ賞1回
まずは、私のイチオシである野田選手からご紹介しますね。2年しか背番号18番をつけていないのに何故?という言葉が聞こえてきそうですね!でも、独断と偏見で決めさせて頂きました(^_^;)
野田選手は「おばけフォーク」と呼ばれる、すさまじい落差のフォークボールを武器に、三振の山を築いた選手です。ただし、野田選手が在籍していた頃は、阪神タイガースの低迷期でもあり、打線の援護が得られず、なかなか勝ち星に繋げることが出来なかったのが残念です。
入団1年目から先発ローテーションに入り、42試合に登板をするものの、最終的には3勝13敗と大きく負け越してしまいます。3年目の1990年には10勝5セーブを記録すると、1991年から背番号が1番から18番へと変更になっています。
背番号18番になり一層の活躍が期待されましたが、1991年、1992年とも二桁勝利には届きませんでした。エース番号である背番号18番のプレッシャーに負けたのではないか?などとメンタル面の弱さを指摘されることもありました。
そんな野田選手、残念ながら入団6年目にトレードでオリックスに移籍をしてしまいます。背番号も21番に変更になり、プレッシャーも取れたのか、パ・リーグの最多勝に輝く活躍を見せました。
若林忠志選手
⇑⇑楽天市場で見つけた、若林選手の写真です。詳しく見たい場合は、写真をクリック・タップしてくださいね。
生年月日 1908年3月1日
出身地 アメリカ合衆国ハワイ州
投/打 右/右
プロ野球歴
大阪タイガース(1936年~1944年、1946年~1949年)
毎日オリオンズ (1950年~1953年)
タイトル 最多勝利1回、最優秀防御率2回、最高勝率2回
表彰 年間MVP2回
若林選手はハワイ・オハフ島生まれの日系2世で、日系人チームの一員として来日した際に、日本人の目に留まり、日本の大学に入学しました。
それはまだ、日本にプロ野球が誕生する前のことであり、1936年の大阪タイガース創立と同時に入団をています。若林選手といえば、「七色の魔球」と呼ばれるほど、多彩な投球術を駆使し、チームの大黒柱として活躍しました。
若林選手が最も輝き伝説とも言われ球史に残る活躍をしたのが、1944年のシーズンです。戦火の中であったことから、このシーズンはわずか35試合しか行われませんでしたが、若林選手は31試合に登板し、22勝を挙げています。
このとき、若林選手は36歳で、兼任監督とも努め、チームを優勝に導くと同時に、自らが年間MVPにも輝く活躍でした。この活躍の裏には、戦争で選手が次々と招集されるなかで、日系人の若林選手は兵役を免れていたことから、孤軍奮闘するしかなかったのでしょうね。
実は若林選手が大活躍した事によって、日本のプロ野球では背番号18番エースピッチャーがつける番号として定着したといわれています。また、阪神タイガースには2011年から若林忠志賞が設けられています。これはチーム内で優秀な社会貢献をした人を表彰する制度となります。
このように日本プロ野球の発展に欠かせない存在の若林選手ですが、実は私は今回まで若林選手を知りませんでした。元野球小僧失格ですね(^_^;)
安仁屋宗八選手
⇑⇑Amazonで見つけた、安仁屋選手の写真です。詳しいことは写真をクリック・タップして確認くださいね。
生年月日 1944年8月17日
出身地 沖縄県那覇市
投/打 右/右
プロ野球歴
広島東洋カープ (1964年~1974年)
阪神タイガース (1975年~1979年)
広島東洋カープ (1980年~1981年)
タイトル 最優秀防御率1回
安仁屋選手は沖縄出身として、初めてのプロ野球選手として知られています。1964年に広島カープに入団をすると、スリークオーターから投げるシュートを武器に、チームのエースとして活躍をしました。
その安仁屋選手は広島で11年の選手生活を送りますが、成績が落ち込んだことから、トレードで阪神タイガースに移籍をします。安仁屋選手といえば、「巨人キラー」とも言われ、巨人戦にはむしろ自信を持って投げ込んでいたと言われています。
私が野球に興味を持ったのが1975年、ちょうど安仁屋選手が広島から阪神に移籍した年ですね。阪神戦をテレビで見るたびに安仁屋選手が投げている、といったイメージが強くあります。
この年は全試合数である130試合中の半分以上である66試合に登板していました。だから見るたびに投げているというイメージになったのですね(^_^;)広島で数年間不振でしたが、12勝7セーブを記録してカムバック賞を獲得しています。
阪神タイガースの背番号18番の傾向とは?
野球ではそのチームの中心となる投手を、「エースピッチャー」と表現をすることがあります。投手の勝ち星はそのままチームに勝利数につながることから、まさにエースピッチャーはチームの優勝を握っていることになります。
一般には、エースピッチャーが付ける背番号は18番と言われています。これはご紹介した通り、若林選手が背番号18番をつけて大活躍した事がきっかけと言われています。
若林選手の活躍もあり、もちろん阪神タイガースにおいても、背番号18番が意味するところは、エースピッチャーの番号を現しています。しかし残念ながら、阪神の背番号18番では、長く背負った選手が出てきていないのが現状です。
背番号18を付けた絶対的なエースピッチャーが現れていないことから、現在の背番号18番を背負う馬場選手に期待が持たれるところです。
⇒阪神タイガースの話題
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背番号別の特徴に関しての話題を提供しています。よろしければご覧になってみてくださいね。
⇒背番号別の特徴
まとめ
今回は、阪神タイガースの背番号18番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?エースピッチャーが背番号18番をつけるきっかけとなった選手がいたのは、私は初耳でした(^_^;)
でも、イマイチ背番号18番にふさわしいような選手が少ないように感じます。若林選手も、少し残念に思っているかもしれませんね。
これから阪神タイガースの絶対的エースとして背番号18番をつけた選手が現れる事を願ってやみません。
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。