こんにちは、みっつです。
今年の目標はなんでしょうか?『ダイエット!!』
よく聞く言葉ではありますが、実はこの言葉は野球専門誌に取り上げられた、1970年代後半から1980年代にわたって巨人の背番号11番をつけて活躍した、角光男選手の現役時代のコメントです(^_^;)
高校球児だった私は、女性ならともかくとして、男が一年の目標としてダイエットを掲げるなんて、変な人だ!などと思ったものです(笑)実はこの目標は、体格のいい角選手がウケを狙ってのものだったとあとから知りました(^_^;)明るくサービス精神旺盛な角選手ならではといえますね。
今回は、そんな角選手もつけていた巨人の背番号11番についての特集です。背番号11番をつけた歴代の全選手や独断と偏見で選んだ活躍した3選手については経歴のご紹介、そして、どのような傾向があるかもご案内しますので、楽しみにしてくださいね!
■目次(クリックすると飛びます)
歴代の背番号11番を背負った選手をご紹介
まずは、巨人の背番号11番を付けた、歴代の選手を一挙ご紹介します。
年 度 | 年 数 | 球 団 名 | 選 手 名 |
---|---|---|---|
1935年 | 1年 | 大日本東京野球倶楽部 | 倉信雄選手 |
1936年~1937年 | 2年 | 東京巨人軍 | 内堀保選手 |
1938年~1940年 | 3年 | 東京巨人軍 | 空白 |
1941年 | 1年 | 東京巨人軍 | 内堀保選手 |
1942年~1945年 | 4年 | 東京巨人軍 | 空白 |
1946年 | 0.5年 | 東京巨人軍 | 小松末広選手 |
1946年~1947年 | 1.5年 | 東京巨人軍 ~読売ジャイアンツ | 古家武夫選手 |
1948年~1949年 | 2年 | 読売ジャイアンツ | 内藤博文選手 |
1950年~1962年 | 13年 | 読売ジャイアンツ | 別所毅彦選手 |
1963年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | 空白 |
1964年~1972年 | 9年 | 読売ジャイアンツ | 渡辺秀武選手 |
1973年~1977年 | 5年 | 読売ジャイアンツ | 高橋善正選手 (改名:高橋良昌選手) |
1978年 | 0.5年 | 読売ジャイアンツ | 角三男選手 |
1978年~1980年 | 2.5年 | 読売ジャイアンツ | ジョン・シピン選手 |
1981年~1989年 | 9年 | 読売ジャイアンツ | 角三男選手 |
1990年~2001年 | 12年 | 読売ジャイアンツ | 斎藤雅樹選手 |
2002年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | 空白 |
2003年~2015年 | 13年 | 読売ジャイアンツ | 久保裕也選手 |
2016年~2017年 | 2年 | 読売ジャイアンツ | ルイス・クルーズ選手 |
2018年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | 上原浩治選手 |
2019年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | 山口俊選手 |
2020年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | 空白 |
2021年~ | 読売ジャイアンツ | 平内龍太選手 |
9年以上背番号11番をつけた選手が5人いました。他の選手は5年以下という事で、長くつけている選手と短命な選手とにわかれる傾向が読み取れますね。
背番号11番をつけて活躍した3選手
次に、独断と偏見で決めた、これぞ巨人の背番号11番と呼べる3名をピックアップし、経歴をご紹介しますね。あくまでも独断と偏見なので、よろしくお願いします(^_^;)
別所毅彦選手
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出身地 兵庫県淡路市
投/打 右/右
プロ野球歴
南海ホークス (1942年~1943年、1946年~1948年)
読売ジャイアンツ (1949 年~1961年)
タイトル 最多勝利3回、最優秀防御率1回
表彰 最高勝率1回、最優秀選手2回、沢村賞2回、ベストナイン6回
巨人の背番号11番を語るときには、別所選手は欠かす事が出来ないですね。何しろ日本プロ野球の投手で、歴代5位となる310勝もあげているのですから。ちなみに負け数も178と半端ないですけどね(^_^;)
別所選手は日本球界が誇る「豪腕投手」として、その歴史に数々の名前を残す選手です。高校時代から剛腕ぶりが発揮されていて、逸話として1941年のセンバツ高校野球に出場した際、準々決勝で左腕を骨折しながらも力投したと語り継がれています。
プロ入り後の1947年の南海ホークス時代に、30勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得しますが、この年は47完投を記録して、日本記録も樹立しています。この47完投は今後破られる事はない不滅の大記録じゃないでしょうか??
登板間隔は中3日が最も調子が良いと主張し、それ以上間隔が空くと、監督に食ってかかったと言われています。現在の先発ピッチャーは中6日程度空けるのが普通ですから、いかに別所選手が豪腕だったかわかりますよね!というか、変です(^_^;)
当時では珍しい181cmの長身と頑丈な身体をした別所選手は、投手の職業病とも言える肩・ひじの故障をすることもなく、まさに「豪腕投手」のイメージとおりの選手でした。
また、バッティンセンスも良いことから、登板日以外は野手として出場するなど、二刀流の選手でもありました。ちなみに、野手としても4番打者を務めるなど、通算500本の安打、35本の本塁打の記録を残しています。
大正生まれの別所選手、私が生まれた時にはすでに現役を引退していたので、私には選手としての別所選手のイメージはないのです。私の別所選手のイメージは、野球解説者としてテレビに出演した際の大きな声と満面の笑みです。良いおじいちゃんといった感じでしたね(笑)
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角三男(角盈男)選手
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出身地 鳥取県米子市
投/打 左/左
プロ野球歴
読売ジャイアンツ (1978年~1989年)
日本ハムファイターズ (1989年~1991年)
ヤクルトスワローズ (1992年)
タイトル 最優秀救援投手1回
表彰 新人王
独断と偏見ですから、ダイエットの角選手をご紹介しないという選択は出来ません(^_^;)
角選手はドラフト3位で巨人に入団をすると、1年目から60試合に登板をし、新人王を獲得しました。しかし、オーバースローから投げ下ろす球は速かったが、リリースの前に顔が一度、空を向いてしまうことからコントロールが定まりませんでした。
そこで、サイドスローに投球フォームを変更すると、持ち前の速球が打者の手元でホップするように見えることから、一気にブレークを果たしました。
1981年には、抑え投手ながら104回を投げると、8勝20セーブの成績を残し、最優秀救援投手にも輝いています。
ちょうど私が中学生で野球小僧だった頃に巨人に入団した角選手、オーバースローだった頃も知っていますが、正直言って大きな特徴があるわけではない普通のピッチャーでした(失礼!^^;)
しかしサイドスローに転向すると、実際の球速以上に早く見え、そしてグッと伸びるようなストレートに感動したものです。野球中継を見ている時は、角選手が登板するのを心待ちにしていました。
私は何度も角選手の投球フォームを真似て投げてみましたが、カクカクするような独特のフォームのため、全くコントロールが定まらなかった事を思い出します(^_^;)
そして引退後にはバラエティ番組にも出演するようになります。特にプロボクサーで元世界チャンピオンである渡嘉敷勝男さんと出演した番組は、角選手の明るいキャラクターが好きでよく見ていました(笑)
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斎藤雅樹選手
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出身地 埼玉県川口市
投/打 右/右
プロ野球歴
読売ジャイアンツ (1983年~2001年)
タイトル 最多勝利5回、最優秀防御率3回、最多奪三振1回、最高勝率3回、
表彰 年間MVP1回、沢村賞3回、ベストナイン5回、最優秀投手5回、ゴールデングラブ賞4回
斎藤選手は「1990年代最強の投手」と呼ばれて、数多くのタイトルを獲得した投手です。入団当初はオーバースローの投手でしたが、当時の藤田監督からの指示でサイドスローへと転向を果たします。
元投手の藤田監督から、「腰の回転がサイドスローに合っている」と、指摘を受けたのがキッカケでした。サイドスローに転向した斎藤選手は、3年目の1985年には12勝をあげて主力のピッチャーへと成長します。
しかし、翌1986年から1988年までは不振に陥ってしまいます。そんな斎藤選手の才能が一躍開花したのは、入団7年目の1989年からです。
この年、日本記録の11連続完投勝利を挙げるなど、20勝7敗の成績で最多勝利と、年間MVPのタイトルを獲得しました。これをキッカケに、背番号もそれまでの41番から11番に変更をし、「ミスター完投」と讃えられる選手に成長します。
実は斎藤選手は私と同じ年でしたが、甲子園に出場した事もなく全国的には知られていませんでした。同じ年で全国区の人気だったのが、あの早稲田実業の荒木大輔ですね。あとは池田高校の畠山選手でしょうか。
ですので、斎藤選手がドラフトで巨人に1位指名された時は、斎藤って誰?みたいな感じでしたね(^_^;)このような大投手になるとは、夢にも思わなかったですしね(^_^;)
巨人の背番号11番の傾向とは?
2019年のシーズン開幕を迎える時点で、巨人の背番号11番を背負った選手は、合計で15名になります。
日本プロ野球界において、背番号11の意味するものは、まさに右投手のエース番号です。アメリカ大リーグでトルネード旋風を巻き起こした野茂選手、阪神タイガースの永久欠番投手の村山選手、さらには二刀流で大活躍をする大谷選手等、たくさんの選手がいます。
このように背番号11番は、18番と同じくチームのエース投手が付ける番号になります。ちなみに、大学野球ではエース投手が背番号11番を付けるのが一般的です。
そんな野球の背番号11番について、当ブログで取り上げていますので、詳しく知りたい方はご覧になってみて下さいね。
⇒野球での背番号11番!どんな意味がある?主な名選手もご紹介!
巨人の歴代11番の選手を見てみると、エース級の右投手のエースがつける傾向がある事がわかります。1990年代、日本プロ野球界で最高の投手と呼ばれた斎藤選手は、12年間に渡り、背番号11番を背負いました。
また、巨人の背番号11番には、抑え投手の意味もあります。特に、1970年後半から斎藤選手以外の投手は、抑えで活躍した投手が背番号11番を背負い続けています。
読売ジャイアンツに関しての話題はこちらからどうぞ。
⇒読売ジャイアンツの話題
他にも野球に関する話題を多数お届けしています。
⇒野球に関する話題はこちらからどうぞ
背番号別の特徴に関しての話題を提供しています。
⇒背番号別の特徴
終わりに
今回は、巨人の背番号11番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?15人がつけてきた巨人の背番号11番、右ピッチャーのエース級がつける傾向がある事がわかりましたね。
2021年からは、平内龍太選手が11番をつけてプレーする事となりました。
あの別所選手や斎藤選手のような日本を代表するピッチャーがつけてきた巨人の背番号11番、平内選手が偉大な先人に負けないような活躍が出来るのか、といった事にも注目すると面白いのではないでしょうか?
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。