巨人の背番号5番!入替り激しい歴代5番の選手と傾向をご紹介

背番号の意味

こんにちは、みっつです。

あなたは『デーブ・ジョンソン選手』をご存じですか?もし知っていたとすれば40代以上、もしかしたら私と同じく50代かもしれませんね。

ジョンソン選手が巨人に入団した1975年に野球に興味を持った私、巨人戦ばかりがテレビで放送される時代でしたので、どうしても巨人の試合を多く見ていました。

大活躍が期待されて入団したジョンソン選手でしたが、1年目の成績はサッパリ。打率が2割にも満たない成績で、『ジョン損』などと言われてしまう事も(^_^;)そんなジョンソン選手がつけていた背番号が5番だったのです。

しかしジョンソン選手は2年目には成績が大幅に良くなり大活躍をして、巨人優勝の立役者となりました!その他にも活躍した選手が何人もいるので、『あっ!この選手も5番だったんだ!』と思ってもらえるのではないかと思います。

今回は、巨人の背番号5番について特集します。歴代の背番号5番の全選手や傾向、背番号5番をつけて活躍した3人の選手もご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。

歴代の背番号5番を背負った選手をご紹介

まずは、巨人の背番号5番を付けた歴代の選手を、古い順から一挙ご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1935年1年大日本東京野球倶楽部苅田久徳選手
1936年~1938年3年東京巨人軍伊藤健太郎選手
1939年~1941年3年東京巨人軍空白
1942年~1943年2年東京巨人軍      伊藤健太郎選手
1944年~1945年2年東京巨人軍      空白
1946年0.5年東京巨人軍      楠安夫選手
1946年~1952年6.5年東京巨人軍~読売ジャイアンツ内堀保選手
1953年~1958年6年読売ジャイアンツ岩本堯選手
1959年1年読売ジャイアンツ那須静雄選手
1960年1年読売ジャイアンツ野口元三選手
1961年~1962年2年読売ジャイアンツ渡海昇二選手
1963年~1967年5年読売ジャイアンツ柳田利夫選手
1968年~1974年7年読売ジャイアンツ黒江透修選手
1975年~1976年2年読売ジャイアンツデーブ・ジョンソン選手
1977年1年読売ジャイアンツジャック・リンド選手
1978年1年読売ジャイアンツ鈴木康友選手
1979年~1986年8年読売ジャイアンツ河埜和正選手
1987年1年読売ジャイアンツジョン・パセラ選手
1988年~1996年9年読売ジャイアンツ岡崎郁選手
1997年~2005年9年読売ジャイアンツ清原和博選手
2006年1年読売ジャイアンツジョー・ディロン選手
2007年1年読売ジャイアンツルイス・ゴンザレス選手
2008年~2011年4年読売ジャイアンツアレックス・ラミレス選手
2012年1年読売ジャイアンツ空白
2013年~2014年2年読売ジャイアンツホセ・ロペス選手
2015年1年読売ジャイアンツフレデリク・セペダ選手
2016年~2017年2年読売ジャイアンツギャレット・ジョーンズ選手
2018年1年読売ジャイアンツアレックス・ゲレーロ選手
2019年~読売ジャイアンツ中島宏之選手

日本で最も歴史がある巨人とはいえ、これまでのべ26人もの選手が背番号5番をつけてきました。ちなみに同じ一桁の背番号7番は12人、8番が13人、6番が多めですが18人という事で、いかに多いかがわかるかと思います。

入替りが激しいので、10年以上つけた選手が一人もいないという、珍しい事になっています。背番号6番は2人、7番と8番は3人ですので、やはり少ないですね。

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背番号5番を背負って活躍した3選手のご紹介

2019年のシーズン開幕を迎える時点で、巨人の背番5を背負った選手は、合計でのべ26名になります。その中から、これぞ巨人の背番号5番と呼べる3名をピックアップし経歴をご紹介しますので、是非参考にしてください。

黒江透修選手


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生年月日  1938年12月12日
出身地   鹿児島県姶良市
投/打   右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ (1964年~1974年)
表彰    ベストナイン:1回

黒江選手は小柄ながらがっちりした体格から、「タンク」の愛称で呼ばれました。

黒江選手が巨人に入団したときには、チームに名遊撃手の広岡選手がいました。しかし、広岡選手に臆することなく、常に全力プレーで取り組むことで、出場機会を増やしていきます。

そして、入団3年目、遊撃手としてレギュラーの座をつかみとると、その後、V9巨人の遊撃手として大活躍します。

特に、黒江選手は、打率こそ3割を超えないものの、日本シリーズにおいて2回の優秀選手に選ばれるなど、勝負強いバッティングが売り物でした。

その黒江選手は選手だけでなく、コーチ・助監督・二軍監督としても輝かしい実績を残しています。巨人、中日、西武、ダイエー、計12度の優勝に貢献をし、「優勝請負人」と呼ばれるようになっています。

私が野球に興味を持った1975年には、黒江選手は現役を引退していましたが、前年の1974年もたまにテレビで巨人戦を見ていました。

そして何故か黒江選手のプレーが目に焼き付いているのです。そのシーンとは

打球が大きくバウンドして、小柄な黒江選手の頭を越えていく

といったものです(^_^;)なぜこんなシーンが目に焼き付き、今でも思い出す事が出来るのでしょう・・・。人間の頭って不思議ですね(笑)

楽天市場では、黒江選手の直筆サイン入りのカードが発売されていました。直筆なので、とっても貴重ですね!

河埜和正選手


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生年月日  1951年11月7日
出身地   愛媛県八幡浜市
投/打   右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ (1970年~1986年)
表彰    ベストナイン:1回、ダイヤモンドグラブ賞:1回

河埜選手は、V9巨人の遊撃手として活躍をした黒江選手の後継者です。高校野球としては無名校から、ドラフト6位で巨人に入団をしました。

当初は、大きな期待を受けていたわけではありませんが、守備力の高さを買われて、入団5年目の1974年に黒江選手に代わって、ショートのレギュラーの座をつかみとります。

バッチングでは3割に到達した年はなかったものの、勝負強さが光っていました。そして10盗塁以上を9年に渡って記録し、走攻守揃った選手として活躍しました。

1981年にはセ・リーグ最多となる儀打を放つなど、2番打者として定着を果たします。

人気の巨人軍では、少し地味な選手でしたが、野球少年のお手本となるプレーも多く、たくさんのファンに愛された選手でした。

私が野球に興味を持ち出した1975年当時は、河埜選手はショートのレギュラーに定着していたものの、将来性を買われて起用されていた印象が強かったですね。

打てなくても、エラーをしても、当時の長嶋監督が将来性を買って起用していた、そんな風に見えましたね(^_^;)

しかし、辛抱強く起用されたおかげで、1977年には打率も.294に達し、名実ともに巨人のショートのレギュラーになったのではないかなと思います。

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清原和博選手


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生年月日  1967年8月18日
出身地   大阪府
投/打   右/右
プロ野球歴 埼玉西武ライオンズ(1986年~1996年)
      読売ジャイアンツ(1997年~2005年) 
      オリックス・バッファローズ(2006年~2008年)
表彰    新人王、ゴールデングラブ賞5回

清原選手は高校野球の名門PL学園で、1年生の夏から5年連続で甲子園に出場し、合計13本のホームランを放ちます。

当時、甲子園球場の両翼には、「ラッキーゾーン」と呼ばれるエリアがありましたが、清原選手のホームランの多くはそのラッキーゾーンを軽々と越えていきました。

高校時代からケタ違いの飛距離を見せ付けていた清原選手は、王選手の本塁打記録を打ち破る選手と期待されて、プロ野球のドラフトに望みます。

1985年のドラフト会議、1位指名を確約されていた、相思相愛の巨人から指名はなく、埼玉西武ライオンズに入団をしました。ドラフト後の会見で大粒の涙を流したシーンは、現在も語り継がれています。

清原選手は埼玉西武ライオンズに11年在籍した後、あこがれの巨人に移籍をし、背番号5番を付けました。

ちなみに、清原選手は通算安打数2122本、通算本塁打数525本の輝かしい記録を残しましたが、首位打者・本塁打王・打点王といったタイトルを獲得することは一度もなく、「無冠の帝王」とも呼ばれました。

私より3歳年下の清原選手、PL学園時代から超ど級のスラッガーとして全国的に知られていました。体も大きく、とてもとても高校生には見えなかったですね(^_^;)

そして、確実だと思われた巨人、そして阪神タイガースへの入団を果たせなかった際に見せた涙、今でも目を閉じると思い出されます。

その11年後の1997年に、清原選手はフリーエージェントを宣言して、憧れだった巨人へ入団する事が出来ました。選手が入りたい球団を選べない時代から、実績を残せば入団できるフリーエージェント、この時ほど私は素晴らしい制度だなと感じた事はありません。

引退後は人生を踏み外してしまいましたが、きっときっと更生して戻ってきてくれる、そう願わずにはいられません。

当ブログでは、フリーエージェントについて特集しています。よろしければご覧になってみてくださいね。
プロ野球のフリーエージェント!ルールや行使した主な選手をご紹介

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巨人の背番号5番を付けた選手の傾向とは?

プロ野球界において背番号5番は、守備・攻撃ともに、チームの要となる選手がつける傾向があるといえます。

高校野球では、背番号5番は主に三塁手つけることから、プロ野球界においても内野手のイメージがあります。

このことから巨人の背番号5番の意味するものは、名手と呼ばれる内野手の番号といえます。ただし、巨人の背番号5番は、サードよりもショートのイメージがあります。

そして、巨人の背番号5番は、10人もの外国人選手がつけているので、外国人野手がつける傾向も強い番号ですね。

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終わりに

今回は、巨人の背番号5番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?巨人でも他球団と同じく内野手がつける傾向があり、10人もの外国人選手がつけてきたのが特徴と言えますね。

2019年からは、アメリカでのプレーの経験もある、中島宏之選手がオリックス・バファローズより移籍してきました。

ピークは過ぎているとはいえ、中島選手の経験は比較的若い内野手が多い巨人にとって、プラスになる事は間違いありません。

プレー以外での中島選手のチームに対する貢献、といった事にも注目してみたいと思います。

最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。