巨人の背番号25番!入替りの激しい歴代の全選手と傾向をご紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

『フリーエージェント権を行使した理由は、東京に住む妻のお父様の看病のため』

これって誰の事かわかりますか?

実は広島カープからフリーエージェントを宣言して巨人に移籍した、川口和久選手の宣言理由なのです。重いガンを患っていたお父様を奥様は看病したいと訴え、苦渋の決断であったといいます。

川口選手が広島カープに入団した年からのカープファンである私は、同じ左利きであった川口選手のファンでもありました。ですので、巨人への移籍はとてもショックな事として思い出されます。

と同時に、日本のプロ野球も家族を優先するという考え方が出てきた出来事でもありましたね。

今回は、この川口選手もつけていた巨人の背番号25番について特集します。背番号25番をつけた全選手と、私が強く印象に残っている3選手の経歴をご紹介します。あくまでも独断と偏見なので、ノークレームでお願いします(^_^;)




歴代の背番号25番を背負った選手をご紹介

2019年のシーズン開幕を迎える時点で、巨人の背番号25番を背負った選手は合計で30名です。まずは歴代の選手を古い順から一挙ご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1935年~1936年2年大日本東京野球倶楽部~東京巨人軍空白
1937年~1939年3年東京巨人軍井上康弘選手
1940年~1945年6年東京巨人軍空白
1946年~1949年3年東京巨人軍           平山菊二選手
1950年1年東京巨人軍      吉江英四郎選手
1951年1年未満東京巨人軍         岡部宏選手
1951年~1952年1年東京巨人軍         兼吉寛選手
1952年~1953年1年未満読売ジャイアンツ西田亨選手
1953年1年未満読売ジャイアンツ杉本定介選手
1953年1年未満読売ジャイアンツ岡部宏選手
1953年1年未満読売ジャイアンツ辻村隆選手
1953年~1955年2年半読売ジャイアンツ笠原正行選手
1956年1年読売ジャイアンツ高橋正勝選手
1956年~1960年5年読売ジャイアンツ土屋正孝選手
1961年1年読売ジャイアンツ土居章助選手
1962年~1964年3年読売ジャイアンツ古賀英彦選手
1965年~1972年8年読売ジャイアンツ相羽欣厚選手
1973年~1975年3年読売ジャイアンツ富田勝選手
1976年~1980年5年読売ジャイアンツ平田薫選手
1981年1年読売ジャイアンツ松原誠選手
1982年~1984年3年読売ジャイアンツ鈴木康友選手
1985年~1991年7年読売ジャイアンツ鴻野淳基選手
1992年~1994年3年読売ジャイアンツ谷口功一選手
1995年~1998年4年読売ジャイアンツ川口和久選手
1999年~2001年3年読売ジャイアンツ平松一宏選手
2002年1年読売ジャイアンツジョン・ワズディン・選手
2003年1年読売ジャイアンツコリー・ベイリー選手
2004年1年読売ジャイアンツ三澤興一選手
2005年~2006年2年読売ジャイアンツ亀井義行選手
2007年~2010年4年読売ジャイアンツイ・スンヨプ選手
2011年1年読売ジャイアンツジョシュ・フィールズ選手
2012年~2017年6年読売ジャイアンツ村田修一選手
2018年~読売ジャイアンツ岡本和真選手

日本のプロ野球で最も歴史がある巨人でも、30名というのはかなり多いですね。それだけ入れ替わりが激しいとも言えますね。現に一番長くつけた相羽選手でも、10年に満たない8年となっています。

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背番号25番を背負って活躍した3選手のご紹介

次に、これぞ巨人の背番号25番と呼べる3名をピックアップし、経歴をご紹介いたしますので、是非参考にしてください。

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川口和久選手

生年月日  1959年7月8日
出身地   鳥取県鳥取市
投/打   左/右・左
プロ野球歴 広島東洋カープ(1981年~1994年)・読売ジャイアンツ (1995年~1998年)
タイトル  最多奪三振:3回

まずご紹介するのは、高校時代からの大ファンである川口選手です。

川口選手は荒れる速球を武器に三振の山を築いた選手です。広島東洋カープにドラフト1位で入団をすると、2年目から11年連続で100奪三振を記録します。

足を高く挙げたダイナミックなフォームから、右打者の胸元をえぐるような速球を武器に強気の攻めをしました。その一方ではコントロールが定まらずに、セ・リーグ最多四球を6回も記録するなど、荒れ球の投手でもありました。

広島カープ時代は、「巨人キラー」と呼ばれるほど巨人に強いピッチャーでした。後にFA宣言をした川口選手を高額で獲得することで対戦をなくす狙いもあったと言われています。

私の川口選手の好きだったところは、ダイナミックな投球フォームから繰り出されるキレのあるストレートの威力です。めちゃくちゃ速いという訳ではなかったけど、空振りを取れるキレを持っていました。
私もピッチャーをしていた事もあってか、空振りが取れるような威力のあるストレートを投げるのはやはり理想的だと思いますね。

そして、1996年のセ・リーグ優勝時には胴上げ投手となった瞬間も、未だに目に焼き付いています。広島カープからライバルである巨人に移籍しても、変わらずファンであった私、『おめでとう、川口選手!』と心の中で叫びました(笑)

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村田修一選手

生年月日  1980年12月28日
出身地   福岡県糟屋郡篠栗町
投/打   右/右
プロ野球歴 横浜ベイスターズ (2003年~2011年)・読売ジャイアンツ (2012年~2017年)
タイトル  本塁打王:2回
表彰    ベストナイン:4回、ゴールデングラブ賞:3回

村田選手は、2002年のドラフト会議において横浜ベイスターズの自由獲得枠で入団をしました。強打の内野手として期待され横浜ベイスターズの強打者が付ける背番号25番を背負うと、本塁打王を2回獲得し「ハマの大砲」と呼ばれます。

しかし、所属する横浜ベイスターズの戦力は弱かったため、強いチームへのあこがれが強かった村田選手は2011年にFA宣言で巨人へ移籍します。巨人に移籍後も背番号25番を背負い、4番打者として見事に日本一の美酒も味わうことができました。

また、長距離打者ながら右打ちも得意とし、ライト方向へもホームランが打てる広角打法が魅力でしたね。さらに大きな体格に似合わず守備力にも定評がありました。瞬発力が要求される三塁手として、軽快なフットワークと巧みなグラブさばきでファンを魅了したのです。

ちなみに、村田選手は生え抜き選手以外で初めて巨人の選手会長を務めています。チームメイトからも厚い信頼を得る選手でしたが、2017年に戦力外通告を受けると2018年に惜しまれながら引退しました。

私が村田選手で最も印象深いのが、2013年の楽天イーグルスとの日本シリーズです。相手の楽天には私の高校の後輩がいて、先発ピッチャーとしても起用されていました。

高校の後輩に勝って欲しいと祈るような気持ちで見つめる中、立ちはだかったのが村田選手です。打たれそうで打たれそうで本当に怖かったです(^_^;)

だからと言って後輩を信じていなかった訳ではないですよ!テレビ中継の解説だった梨田昌孝さんが、『村田選手は調子がいい!』と連呼するので怖くなってしまったのです(笑)

その打席はフォアボールでした。後輩も怖さを感じていたのかもしれませんね(^_^;)

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イ・スンヨプ選手

生年月日  1976年10月11日
出身地   韓国大邱広域市
投/打   左/左
プロ野球歴 サムスン・ライオンズ (1995年~2003年)
千葉ロッテマリーンズ (2004年~2005年)
読売ジャイアンツ (2006年~2010年)
オリックス・バファローズ (2011年)
サムスン・ライオンズ (2012年~2017年)
タイトル  特になし(日本)

日本球界で活躍をしたイ・スンヨプ選手は、韓国球界ではまさにスーパースターでした。通算352本塁打の韓国プロ野球新記録を打ち立てて、日本球界との通算本塁打は467本になります。

ちなみに、韓国球界で付けていた背番号36番は、所属していたサムスン・ライオンズの永久欠番になっています。

そのイ・スンヨプ選手は、千葉ロッテから巨人に移籍後、故障の高橋選手に代わり4番打者として活躍しました。豪快なバッティングが目立っていましたが、守備面での評価も高く一塁手として連続無失策1225回の記録を持っています。

韓国のホームラン王が日本にやってくる!

あのソン・ドンヨル選手以来の韓国のスーパースターの日本球界デビューに、私はどんな活躍をしてくれるのか、とても注目したのを憶えています。

来日1年目は期待を大きく裏切った、といっても過言ではないほど私にとってもイ・スンヨプ選手にとっても残念な成績でした。ソン選手と同じように、日本の野球に適応できなかったのが原因です。

日本の野球に適応しはじめた2年目からは、本来の実力を発揮し始めます。特に巨人に移籍した2006年には、打率.323、打点106、ホームラン41本という素晴らしい成績を残す事が出来ました。

しかし、2006年をピークに、徐々に成績が落ち始めます。原因は何だったのか?ケガに悩まされたようですが、もしかしたら2007年から背番号を33番から入れ替わりが激しく定着しない25番に変わったのが、影響しているかもしれませんね(^_^;)

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巨人の背番号25番を付けた選手の傾向とは?

日本プロ野球界において、背番号25番の意味するものは、投手よりも野手のイメージが圧倒的にあります。チームの4番バッターや代打の切り札など、長距離打者のイメージが強くあります。

ちなみに、横浜DeNAベイスターズでは、従来から背番号25番を長距離打者の番号としており、その選手を「ハマのアーティスト」と呼んでいます。ご紹介した村田選手は、DeNAでも背番号25をつけていました。

巨人における背番号25番の意味するものも、長距離打者や代打男です。他球団から移籍した長距離打者も多く、外国人助っ人の打者も含まれます。

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終わりに

今回は、巨人の背番号25番を特集しましたが、いかがだったでしょうか?他の球団と同じく、野手が多くつけてきたという傾向もわかりましたね。

これまで巨人の背番号25番は、生え抜き選手がつける事が少なかったことも影響してか、なかなか定着しませんでした。

しかし2018年より、若き大砲の岡本選手が背番号25番を背負うことになり、生え抜き選手として長く活躍することが期待されています。

そして活躍しても一桁の背番号に変更することなく、相羽選手の8年という記録を越えて永久欠番になるくらいになって欲しいと願っています(笑)

最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。