広島カープの背番号22番!歴代の22番の全選手とその傾向をご紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

昔からのプロ野球ファンであれば誰でも知っているであろう『江夏の21球』。1979年11月4日の日本シリーズ、近鉄バファローズVS広島東洋カープの9回裏の攻防です。

ノーアウト満塁と追い込まれながら、江夏選手の神がかり的なピッチングで近鉄バファローズを抑え日本一に輝いた場面は、今でも語りぐさとなっています。

その時、江夏選手のボールを受けていたのが、当時背番号22番をつけていた水沼四郎選手なのです。

今回は、広島カープの背番号22番について特集します。歴代の全ての選手や特に活躍した3選手、22番をつけた選手の傾向をご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。




歴代の背番号22番を背負った選手をご紹介

2019年のシーズン開幕を迎える時点で、広島カープの背番号22番を背負った選手は合計で14名です。その歴代の全選手を古い順から、一挙ご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1950年~1951年2年広島カープ石川清逸選手
1952年1年広島カープ塚本博睦選手
1953年~1958年6年広島カープ川本徳三選手
1959年1年広島カープ永井康雄選手
1960年~1966年7年広島カープ大石清選手
1967年~1973年7年広島カープ~広島東洋カープ宮本洋二郎選手
1974年~1982年9年広島東洋カープ水沼四郎選手
1983年~1986年4年広島東洋カープ堀場秀孝選手(改名:英孝)
1987年~1993年7年広島東洋カープ足立亘選手
1994年1年広島東洋カープ加藤哲郎選手
1995年~2008年14年広島東洋カープ高橋建選手
2009年1年広島東洋カープアンディ・フィリップス選手
2010年1年広島東洋カープ高橋建選手
2011年~2017年7年広島東洋カープ中村恭平選手
2018年~広島東洋カープ中村奨成選手

他の背番号と比べて1年だけという選手も少ないですが、10年以上も高橋健選手のみと少ないですね。4年から7年という選手が多いのも特徴と言えますね。

背番号22番を背負って活躍した3選手のご紹介

次に、これぞ広島カープの背番号22番と呼べる3名をピックアップし経歴をご紹介しますので、是非参考にしてください。

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水沼四郎選手

生年月日  1947年2月27日
出身地   兵庫県尼崎市
投/打   右/右
プロ野球歴 広島東洋カープ (1969年~1982年)・中日ドラゴンズ (1983年)
タイトル  特になし

水沼選手は、1968年にドラフト2位で広島カープに入団しました。入団3年目にチームの正捕手に定着すると、1975年のセ・リーグ初優勝、1979年から1980年の2年連続日本一に貢献します。

その水沼選手は、打撃よりも捕手としての能力が高く評価された選手です。投手とのサイン交換がなくても、あらゆる変化球をキャッチングできることで、その能力の高さが伺えました。

自分の後継者となる山中選手に対し、ミットの芯、つまりミットのどこで捕球するのが良いかを教えるために、自分のキャッチャーミットを磨かせた逸話も残っています。

特に、1979年の初の日本一に輝いた時、伝説となった「江夏の21球」を、捕手として支えました。ピンチを乗り越えた江夏選手もすごいが、あのスクイズを外したボールを捕球した、水沼選手を讃える声も少なくありません。

スクイズを外されてしまった近鉄バッファローズの石渡選手は、中央大学時代の後輩という事もあり、水沼選手は打席に入った石渡選手に

『いつスクイズやるんだ?』

と話しかけると、普段なら明るく返事が返ってくるのに強張った表情だったそうです。水沼選手はこの時点で必ずスクイズがあると確信したといいます。

そして運命の19球目、3塁ランナーが走ったのを察した水沼選手が立ち上がり、江夏選手はそれに応えてウエストボールを投げ、スクイズは失敗に終わったのです。

こうして広島カープを初めての日本一に導いた水沼選手、このシーンは「江夏の21球」だけでなく、「水沼の21球」としても、伝説は語り継がれています。

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1979年の日本シリーズ第7戦の模様は、水沼自身選手も『江夏の21球をリードした男』というタイトルで本を出版しました。

高橋建選手

生年月日  1969年4月16日
出身地   神奈川県横浜市
投/打   左/左
プロ野球歴 広島カープ (1995年~2008年)・ニューヨーク・メッツ (2009年)・広島東洋カープ (2010年)
タイトル  特になし

高橋選手は高校野球の名門横浜高校時代、投手ではなく主に外野手でした。その後、拓殖大学に進むと、東都大学リーグでも本塁打を量産するなど、外野手の4番打者として活躍します。

しかし、大学4年生にして、投手としての力量が認められると、広島カープには投手として入団することになります。ちなみに、高橋選手が広島カープに入団した時、すでに年齢は26歳になっており、「オールド・ルーキー」として、注目を浴びました。

投手としては遅咲きの高橋選手でしたが、入団の初年度から即戦力として、先発や中継ぎにフル回転の活躍を見せます。

横浜高校の後輩の松坂大輔選手がアメリカ大リーグで活躍する姿を見て、高橋選手は40歳という年齢を目前にして、大リーグに果敢にチャレンジします。そして高橋選手は、アメリカでも「オールド・ルーキー」の称号を得ます。

入団したトロント・ブルージェイズでは、怪我のために開幕戦を待つことなく解雇されます。しかし、その後にニューヨーク・メッツとマイナー契約を交わすと、開幕から1ヶ月、不屈の精神からメジャー昇格を果たし、40歳にしてメジャー・デビューを成し遂げました。

高橋選手はアメリカ大リーグでも、「オールド・ルーキー」としての偉業を達成しました。

高橋選手が広島カープに在籍していた時期は、広島カープにとって暗黒の時代とも言えるかもしれません。1997年の3位を最後に、15年連続でBクラスに終わるという屈辱を味わいました。

高橋選手の成績を見ても、勝率が3割以下の年が4回あります(^_^;)これは高橋選手が打たれたのか打線の援護がなかったのか、両方なのかはわかりません。

ただ1つ言える事は、私は高橋選手のファンでした!同じ左利きだし、完成されていない粗削りなピッチングが憎めなかったのです(笑)それに40歳にしてメジャーリーグに挑戦。応援せずにはいられませんでした。

大石清選手

生年月日  1940年4月3日
出身地   静岡県清水市
投/打   右/右
プロ野球歴 広島東洋カープ (1959年~1966年)・阪急ブレーブス (1967年~1970年)
タイトル  特になし

大石選手は、1959年に静岡県の清水市商業から広島カープへと入団しました。入団初年度の1959年から活躍を見せた大石選手は、入団2年目にはチームのエースに認められ、そこから3年連続20勝を達成します。

大石選手といえば、持ち前の速球とカミソリ・シュートに加えて、プロ入団後に覚えたスライダーを武器に、三振の山を築きました。その一方では、コントロールに不安定な面があり、3年連続最多与四死球のうれしくない記録も作りました。

また、大石選手は巨人の4番打者として活躍していた、ミスタープロ野球の長嶋選手と相性が良く、ジャイアンツ・キラーとも呼ばれました。

大石選手が現役だった頃は、まだまだ1人のピッチャーが先発やリリーフと大車輪の活躍する時代です。大石選手の入団した1959年から1964年の主な成績が以下の通りとなります。

年度登板数先発数勝利数敗戦数完投数投球回
1959年39219104173.0
1960年6039261316341.0
1961年5936271821346.1
1962年5837201821331.1
1963年483010228218.1
1964年5130171515261.2

勝利数も敗戦数も、1人のピッチャーとは思えないほどですが、特に投球回が凄いですね!今のプロ野球では1年目の173回でもかなり多いのに、300回越えが3回もあるとは酷使されていたと言われても仕方ないですよね(^_^;)

広島カープの背番号22番をつけた選手の傾向とは?

日本プロ野球界において、背番号22番の傾向は、投手よりも野手のイメージが圧倒的にあります。特に、背番号22番はチームの4番打者や代打男など、長距離打者のイメージが強くあります。

ちなみに、横浜DeNAベイスターズでは、背番号22番を長距離打者の称号「ハマのアーティスト」の番号としています。

広島カープにおける背番号22番の傾向は、投手と野手が混在しています。投手では大石清投手や高橋健投手が背番号22番をつけて活躍しました。

また、野手では捕手の水沼四郎選手が、8年間背番号22番をつけて、赤ヘル軍団の黄金期を支えました。

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終わりに

今回は、広島カープの背番号22番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?日本のプロ野球では主に野手がつけていますが、広島カープでは少なからずピッチャーもつけている傾向が分かりました。

2018年からは甲子園で一大会における最多本塁打記録を塗り替えた中村奨成選手が、捕手として背番号22番を受け継いでいます。かつての水沼選手を超えるようなキャッチャーになれるのか、注目していきたいと思います。

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。