こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!
二刀流という言葉は昔からありましたが、あの選手が活躍しだしてからメジャーな言葉になったような気がしませんか?その選手とは、もちろん大谷翔平選手です。
大谷選手は、ピッチャーとしてもバッターとしてもずば抜けた能力を持っていて、どちらも世界最高峰と言えるのではないでしょうか。そして足も速く、野球選手としての実力がここまで高い人は、私は見た事がありませんでした。
今回は、北海道日本ハムファイターズの背番号11番を特集します。背番号11番をつけた全ての選手と、私が厳選した主な3選手をご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。
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歴代の背番号11番を背負った選手をご紹介
2019年のシーズン開幕を迎えた時点で、日本ハムの背番号11番を背負った選手は、合計で19名になります。まずは日ハムの背番号11番を付けた歴代の選手を、古い順から一挙ご紹介します。
年 度 | 年 数 | 球 団 名 | 選 手 名 |
---|---|---|---|
1946年 | 1年 | セネタース | 家村相太郎選手 |
1947年 | 1年 | 東急フライヤーズ | 出沢政雄選手 |
1948年 | 1年 | 急映フライヤーズ | 滝田政治選手 |
1949年~1956年 | 8年 | 東急フライヤーズ~東映フライヤーズ | 原田清選手 |
1957年~1964年 | 8年 | 東映フライヤーズ | 稲垣政夫選手 |
1965年~1971年 | 7年 | 東映フライヤーズ | 萩原千秋選手 |
1972年~1973年 | 2年 | 東映フライヤーズ~日拓ホームフライヤーズ | 藤原眞選手 |
1974年~1975年 | 2年 | 日本ハムファイターズ | 渡辺秀武選手 |
1976年 | 1年 | 日本ハムファイターズ | 坂井勝二選手 |
1977年 | 1年 | 日本ハムファイターズ | 空白 |
1978年~1982年 | 5年 | 日本ハムファイターズ | 石井邦彦選手 |
1983年~1987年 | 5年 | 日本ハムファイターズ | 田中富生選手 |
1988年~1994年 | 7年 | 日本ハムファイターズ | 大島康徳選手 |
1995年 | 0.5年 | 日本ハムファイターズ | 松浦宏明選手 |
1995年 | 0.5年 | 日本ハムファイターズ | 岡本透選手 |
1996年 | 1年 | 日本ハムファイターズ | 下柳剛選手 |
1997年~2001年 | 5年 | 日本ハムファイターズ | 山原和敏選手 |
2002年~2004年 | 3年 | 日本ハムファイターズ~北海道日本ハムファイターズ | 山口弘佑選手 |
2005年~2011年 | 7年 | 北海道日本ハムファイターズ | ダルビッシュ有選手 |
2012年 | 1年 | 北海道日本ハムファイターズ | 空白 |
2013年~2017年 | 5年 | 北海道日本ハムファイターズ | 大谷翔平選手 |
2018年~ | 北海道日本ハムファイターズ | 空白 |
あれ、10年以上つけた選手が1人もいませんね。最長でも萩原千秋選手とダルビッシュ有選手の7年となっています。日本ハムの背番号11番は、比較的入れ替わりの激しい番号と言えるかもしれませんね。
背番号11番を背負って活躍した3選手のご紹介
次に、これぞ日本ハムの背番号11番と呼べる3名をピックアップし経歴をご紹介しますので、是非参考にしてください。
大谷翔平選手
出身地 岩手県奥州市
投/打 右/左
プロ野球歴 北海道日本ハムファイターズ (2013年~2017年)・ロサンゼルス・エンゼルス (2018年~ )
タイトル 最多勝:1回、最優秀防御率:1回、最高勝率:1回、
表彰 最優秀選手:1回・ベストナイン:3回
まずは大谷選手からご紹介しますね。冒頭でも触れましたが、私が知る限りでは世界で最も優れた選手ではないかと思っています。そして最も魅力を感じる選手でもあります(笑)
高校時代から日本ばかりでなくメジャーリーグの球団からも注目され、大谷選手は高校を卒業したらアメリカでプレーをしたいという希望を持っていました。
そんな中で、日本ハムはドラフトで大谷選手を強行指名しました。それでも大谷選手の気持ちは変わらなかったので、交渉は難航すると思われたのですが・・・
栗山秀樹監督が、高校卒業してすぐにアメリカで活躍した選手が少ない事を韓国の例にとって説明したり、日ハムで二刀流で育てたい事、背番号はダルビッシュ選手のつけていた11番を用意するといった事で大谷選手を説得。
その努力が報われて、北海道日本ハムファイターズの大谷翔平選手が誕生したのでした。
栗山監督は約束通りに、大谷選手をピッチャーとしてもバッターとしても育てていきます。
日本ハムが所属するパリーグには指名打者制があるにもかかわらず、入団1年目からピッチャーとして先発をしつつ、指名打者を解除して打席に入ることがありました。
ピッチャーとして先発出場をすると、降板後には野手として外野の守備につく事も珍しくなく、ピッチャーとして登板しない日はバッターとして出場する事も当たり前になっていきます。
2016年には、史上初となる投手部門と野手部門の両方で、ベストナインに選ばれる快挙も成し遂げました。
投手としての大谷選手の魅力は、日本人最速となる162kmの剛速球です。しなやかな右腕から放たれる大谷選手の剛速球は、170kmの壁を打ち破る可能性も秘めていると囁かれています。
バッターとしての魅力は、やはり長打力ですね。2018年には、メジャーリーグで22本ものホームランを放ち、長打力を見せつけました。二刀流で打席に入る機会があまり多くないのにこの本数は、メジャーのホームランバッターにも引けをとりません。
このように世界に誇れる大谷選手ですが、私が最も印象的だと思ったのは、入団2年目の2014年に、日本プロ野球で初めて2桁勝利(11勝)と2桁本塁打(10本)を達成した事です。
記録ももちろん素晴らしいのですが、あのベーブ・ルース以来の約100年ぶりの大記録というのが凄く印象に残っています。まだ20歳の若者が、あの伝説のベーブ・ルースと肩を並べたという事実に、ただただ驚くばかりでした!
まさに、大谷選手は「生きる伝説」として、これからも活躍が期待されています。
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ダルビッシュ有選手
出身地 大阪府羽曳野市
投/打 右/右
プロ野球歴
北海道日本ハムファイターズ (2005年 – 2011年)
テキサス・レンジャーズ (2012年 – 2017年)
ロサンゼルス・ドジャース (2017年)
シカゴ・カブス (2018年~)
タイトル(日本) 最優秀防御率:2回、最多奪三振:3回、最高勝率:1回
表彰(日本) 最優秀投手:1回、年間MVP:2回、沢村賞:1回、ベストナイン:2回、ゴールデングラブ賞:2回
ダルビッシュ選手は、東北高校のエースとして甲子園にも出場すると、ノーヒットノーランを達成するなど、「超高校級」と騒がれました。
ダルビッシュ選手の持ち味といえば、身長195cmの長身から投じる、時速150km以上の剛速球です。そして、得意とするツーシーム、さらにフォーシーム、カーブ、スライダー、チェンジアップなど、7色の変化球も操ります。
そのダルビッシュ選手の代名詞といえば「三振」です。剛速球と7色の変化球を武器にして、これまで日本プロ野球界で3回、アメリカ大リーグで1回の最多奪三振を記録しています。
投球フォームは、ボールをリリースした後に、長い軸足が高く跳ね上がるのが特徴です。ちなみに、軸足の跳ね上がりが高く美しく見えることが、「調子のバロメーター」といわれています。
日本やアメリカで大活躍のダルビッシュ選手、私が最も印象に残っているのが高校3年生の最後の夏の甲子園での出来事です。
優勝候補の東北高校のエースとして1回戦2回戦と連続完封勝利をあげたダルビッシュ選手、3回戦の千葉経済大付属高校戦でも順調に抑えていきます。
しかし9回ツーアウトから同点にされると延長10回には勝ち越しを許し、その裏の味方の攻撃もツーアウト、ここでダルビッシュ選手がバッターボックスに立ちました。
奮闘むなしく三振に倒れ、最後のバッターになったダルビッシュ選手の表情、未だに忘れられません。もちろん悔しさもあったかもしれませんが、高校3年間の思い出が頭によぎっているような顔つきが印象的でした。
そんなダルビッシュ選手の表情を映し出した映像を、youtubeで発見しました。よろしければご覧になってみてくださいね。
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大島康徳選手
出身地 大分県中津市
投/打 右/右
プロ野球歴 中日ドラゴンズ (1969年~1987年)・日本ハムファイターズ (1988年~1994年)
タイトル 本塁打王:1回、最多安打:1回
大島選手はすべてにおいて遅咲きの選手として有名です。野球を始めたのは高校からで、中学まではバレーボールの選手として、大分県の選抜チームに入るほどの選手でした。
高校から野球を始めた大島選手でしたが、天性の運動能力の高さから、4番でエースとして活躍します。高校卒業後、中日ドラゴンズのファンであったことから入団テストを受けると、見事にドラフト3位で指名を受ける事が出来ました。
投手として指名を受けた大島選手でしたが、当時の水原茂監督にバッティングの素質を見抜かれて、すぐに野手に転向しています。
入団後は、長く2軍での出場が続きましたが、入団7年目にしてレギュラーの座を掴み取ります。そして、入団から14年目に36本のホームランを放つと、33歳にして初の本塁打王に輝きます。
その後、日本ハムに移籍をした大島選手は、主に指名打者として試合に出続けると、39歳10ヶ月にして、2000本安打の記録も達成しました。これは、当時、史上最年長での達成記録でもあります。
このように大島選手は野球を始めたのが高校から、プロでレギュラーになったのは7年目、ホームラン王には33歳、2000本安打は39歳と遅咲きの選手生活を過ごしたのでした。
44歳まで現役を続けますが、常に進化を続けたからこそ遅咲きと言われたのでしょうね。
日本ハムの背番号11番を付けた選手の傾向とは?
日本プロ野球界において、背番号11番の意味するものは、まさに右投手のエース番号です。アメリカ大リーグでトルネード旋風を巻き起こした野茂選手、阪神タイガースの永久欠番投手の村山選手、さらにはアメリカ大リーグで活躍をする、ダルビッシュ選手や大谷選手がいます。
日本ハムにおける背番号11番は、2000本安打を達成した大島選手を代表とし、原田選手、稲垣選手、萩原選手など、当初は野手の番号の傾向がありました。その理由として、日ハムではエース投手が背番号21番を付ける傾向があったからです。
しかし、1995年以降は、投手の番号の傾向が強くなります。特に、最近では、ダルビッシュ選手や大谷選手のように、チームの右エースが付ける番号の傾向が強くなりました。
昨年、大谷選手がアメリカ大リーグに移籍してからは、背番号11番が空席となっています。次の背番号11番を背負う、右のエースとなるべき選手の登場に期待がもたれます。
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あとがき
今回は、北海道日本ハムファイターズの背番号11番を特集してきましたが、いかがだったでしょうか?近年では他球団と同じようにエース級のピッチャーがつける事が多いですが、日ハム特有の傾向として野手がつけていた時期もあった事がわかりました。
ダルビッシュ選手、大谷選手と世界で通用するピッチャーがつけていた背番号11番、今は欠番ですがどのような選手がつけてどんな活躍をしてくれるのか、今から楽しみにしたいと思います。
最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。