日本ハムの背番号19番!『けろよん』もいる歴代の選手と傾向を紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

あなたは、まっスラという球種があるのをご存知ですか?諸説ありますが、ストレートを投げたつもりが勝手にスライダーのような変化をするボールを指すのが一般的です。

そのまっスラを武器に、1981年に開幕から15勝連勝という素晴らしい成績を残した選手がいます。それは間柴茂有選手です。間柴選手が日本ハム時代につけていた背番号が19番でした。

今回は、日本ハムの背番号19番を特集します。歴代の全ての選手と、特に活躍した3選手の経歴をご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。




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歴代の背番号19番を背負った選手をご紹介

2019年のシーズン開幕を迎えた時点で、日本ハムの背番号19番を背負った選手は、合計で21名になります。まず、日本ハムの背番号19番を付けた歴代の選手を、古い順から一挙ご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1946年0.5年セネタース北林正沖選手
1946年~1947年1.5年セネタース~東急フライヤーズ上口政選手
1948年1年急映フライヤーズ野口正明選手
1949年1年東急フライヤーズ森弘太郎選手
1950年~1958年9年東急フライヤーズ~東映フライヤーズ米川泰夫選手
1959年0.5年東映フライヤーズビル西田(改名:西田亨)選手
1959年0.5年東映フライヤーズボブ・アレキサンダー選手
1960年~1961年2年東映フライヤーズ嵯峨建四郎選手
1962年~1973年12年東映フライヤーズ~日拓ホームフライヤーズ尾崎行雄選手
1974年~1977年4年日本ハムファイターズ野村収選手
1978年~1988年11年日本ハムファイターズ間柴茂有選手
1989年~1991年3年日本ハムファイターズ上岡良一選手
1992年~1994年3年日本ハムファイターズ島崎毅選手
1995年~2003年9年日本ハムファイターズ厚沢和幸(改名:厚澤和幸)選手
2004年~2007年3.5年北海道日本ハムファイターズ清水章夫選手
2007年0.5年北海道日本ハムファイターズ萩原淳選手
2008年1年北海道日本ハムファイターズ中村泰広選手
2009年~2011年3年北海道日本ハムファイターズ林昌範選手
2012年~2017年6年北海道日本ハムファイターズ増井浩俊選手
2018年1年北海道日本ハムファイターズマイケル・トンキン選手
2019年~2022年4年北海道日本ハムファイターズ金子弌大選手
2023年~北海道日本ハムファイターズ玉井大翔 選手

10年以上の選手が2人なのに対して、3年以下の選手が12人と、圧倒的に短い期間しかつけていない選手が多いという傾向がわかりますね。

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背番号19番を背負って活躍した3選手のご紹介

次に、これぞ日本ハムの背番号19番と呼べる3名をピックアップし経歴をご紹介いたしますので、是非参考にしてください。

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間柴茂有選手

生年月日  1951年11月15日
出身地   滋賀県大津市
投/打   左/左
プロ野球歴
大洋ホエールズ (1970年~1977年)
日本ハムファイターズ (1978年~1988年)
福岡ダイエーホークス (1989年~1990年)
タイトル  最高勝率:1回

間柴選手は、1969年のドラフト2位で、当時の大洋ホエールズに入団をいたします。高卒ルーキーながら、開幕から1軍に登録をされるなど大きな期待を受けましたが、結局、4年間は1勝も挙げることが出来ませんでした。

その後、入団5年目の1974年に初勝利を挙げると、その翌年には年間6勝を挙げます。しかし1976年から低迷し、大洋ホエールズではこれが最高の勝利数となります。

1978年に日本ハムファイターズへ移籍をした間柴選手は、得意球のまっスラに加えて新たにフォークボールを覚えることで、一躍ブレイクを見せます。

移籍をした初年度に7勝を挙げると、その2年後には自身初の二桁勝利となる10勝を挙げました。そして、プロ野球選手として12年目のシーズンの1981年に、間柴選手は圧巻の成績を残します。

開幕からパ・リーグのタイ記録となる12連勝を記録すると、その後も連勝記録を伸ばし、最終的には日本プロ野球のタイ記録となる15連勝を達成しました。

結局、シーズンを無傷の15勝0敗で終えた間柴選手は、最高勝率のタイトルも受賞します。この年、間柴選手の不敗神話がプロ野球の歴史に刻まれました。
ちなみに間柴選手の連勝記録は、2013年に楽天イーグルスの田中将大選手が、24連勝で更新することになりました。

素晴らしい連勝記録を持つ間柴選手、実は1975年にも開幕6連勝しています。しかし、その後は7連敗してしまい、6勝7敗に終わりました。連敗は1976年になっても続き、1977年の4月に勝つまで連敗を13にまで伸ばしてしまったのです。

私の間柴選手のイメージは、どちらかというと勝ちより負けが先行するといった感じです(^_^;)通算成績も81勝83敗と負け越してはいますが、けろよんに似ている顔つきが強そうに見えないというのも原因だったりします(^_^;)

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尾崎行雄選手

生年月日  1944年9月11日
出身地   大阪府大津市
投/打   右/右
プロ野球歴 日拓ホームフライヤーズ (1944年~1973年)
タイトル  最多勝:1回、最多奪三振:2回
表彰    新人王、ベストナイン:1回

尾崎選手は、プロ野球界に17歳で衝撃デビューし、「怪童」と呼ばれた選手です。大阪の野球の名門浪商高校に所属した尾崎選手は、2年生の夏の甲子園大会で全国制覇を成し遂げると、高校卒業を待つのではなく学校を中退しプロ野球に入団をします。

そして、17歳でデビューした尾崎選手は、20勝を挙げ、新人賞のタイトルを獲得します。

尾崎選手は、入団当初にロッキングモーションの投球フォームが話題となり、日本プロ野球連盟から使用中止の通達を受けます。しかし、尾崎選手はそのことに臆することもなく、速球を武器に三振の山を築きあげていきました。

入団初年度、17歳でチームの優勝に大きく貢献をすると、その4年後には、リーグ最多となる61試合に登板し、27勝を挙げました。残念ながら6年目に肩を痛めると、満足な投球が出来なくなったことで、28歳の若さで現役を引退しました。

12年間の選手生活だった尾崎選手の成績を見て悔やまれるなと思うのが、肩を痛めた事によって成績がガクンと落ちてしまった 事です。

入団6年目までと肩痛に悩まされた7年目以降では別人のようになってしまいました。勝利数は6年目までに104勝でしたが、7年目以降ではわずかに3勝にとどまっています。

投球回も、6年目までで1373.1回なのに7年目以降は164.2回と、6年目までの年間平均投球回の229回を大きく下回りました。

尾崎選手の現役当時は分業制が確立してなく、エース級のピッチャーは先発にリリーフにフル回転が当たり前、投球回数も300回を超えても珍しくない時代でした。これでは、選手生活が短くなっても仕方ないですよね。

今のように分業制で先発に専念してしっかりと間隔を空けていれば、選手生活はもっともっと長かったと思うし、勝利数も多かったのではないかなと思います。




増井浩俊選手

生年月日  1984年6月26日
出身地   静岡県焼津市
投/打   右/右
プロ野球歴 北海道日本ハムファイターズ (2010年~2017年)・オリックス・バファローズ (2018~)
表彰    最優秀中継ぎ投手:1回

増井選手はスリムな体型から、オーバスローで投げ込む速球と、落差の大きいフォークボールを武器に、主に抑え投手として活躍している選手です。

増井選手は、高校から大学時代は、決して注目を受けるような選手ではありませんでした。しかし、社会人野球の東芝に入社後に実力が目覚めると、ドラフト5位で日本ハムに入団します。

増井選手は、入団1年目の2010年は先発投手として13試合に登板しましたが、3勝をあげるにとどまりました。しかし2011年から主にセットアッパーとして起用されると頭角をあらわしました。

2014年からは抑え役としての起用が増えて、日本ハムやオリックスの守護神として大活躍を見せています。

2017年の第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、日本代表にも選出されました。その後、増井選手は2017年のシーズン終了後にFA権を取得すると、オリックス・バッファローズへの移籍を決意しました。

私が増井選手で面白いなと思ったのが、2016年のシーズンです。2014年から抑え役として活躍してきて2016年も引き続き抑え役でしたが、この年は調子がイマイチでした。

しかし8月に先発に転向すると、プロ入り初完投や初完封も記録してチームのパ・リーグ制覇に大きく貢献しました。プロ野球で11年ぶりとなる10勝10セーブも達成しています。

ずっとリリーフで活躍してきた増井選手が、なぜ先発でブレークしたのでしょうね?久々なので不慣れながら、新鮮な気持ちで投げられて好結果になったのでしょうか?それは本人のみ知る事でしょうね(^_^;)

リリーフから先発へ、そしてチームは日本一になったので、2016年は増井投手にとって忘れられないシーズンになったのではないでしょうか。




日本ハムの背番号19番を付けた選手の傾向とは?

日本プロ野球界において、背番号19番の傾向は、圧倒的に投手の番号であります。特に、エース番号の18番を補佐する準エースの番号といえます。

日本ハムにおける背番号19番も、投手の傾向が強い番号です。特に、チームのエース番号の潮流がいくつもある日本ハムにおいて、背番号19番は18番と同じく、エースの番号を分け合ってきた傾向があります。

日本ハムの背番号19番には、戦後の1950年代に20勝を3回達成し、エースとしてチームに貢献した米川泰夫選手がいます。さらに、17歳でデビューし「怪童」と呼ばれた尾崎行雄選手や、1981年に勝率10割と活躍した間柴茂有選手など、チームへの優勝に大きく貢献度した投手の傾向もあります。

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終わりに

今回は、北海道日本ハムファイターズの背番号19番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?他の球団と同じく、エース級のピッチャーがつける傾向がある事がわかりましたね。

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。

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