日本ハムの背番号21番はトレンディ?歴代の全選手と傾向をご紹介!

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

あなたは、トレンディドラマをご存知ですか?もし『夢中で見ていた』という事であれば、バブル時代の恩恵を受けているかもしれませんね(^_^;)

注目の若手俳優が出演して若い女性に大人気だったトレンディドラマですが、当時大人気だったプロ野球のピッチャーをトレンディエースと呼んでいました。

日本ハムに在籍していた西崎幸広選手もトレンディエースと呼ばれ、人気・実力ともに球界を代表するピッチャーでした。

今回は西崎選手もつけていた、北海道日本ハムファイターズの背番号21番について特集します。21番をつけた全選手と、特に活躍した3選手をご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。




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歴代の背番号21番を背負った選手をご紹介

2019年のシーズン開幕を迎える時点で、日本ハムの背番号21番を背負った選手は、合計で13名になります。まずは、日本ハムの背番号21番を付けた歴代の選手、を古い順から一挙ご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1946年~1947年2年セネタース~東急フライヤーズ清水喜一郎選手
1948年1年急映フライヤーズ関口義雄選手
1949年~1951年3年東急フライヤーズ上林繁次郎選手
1952年1年東急フライヤーズ山本光一選手
1953年~1957年5年東急フライヤーズ~東映フライヤーズ大畑庄作選手
1958年~1968年11年東映フライヤーズ土橋正幸選手
1969年~1980年12年東映フライヤーズ~日拓ホームフライヤーズ~日本ハムファイターズ高橋直樹選手
1981年~1984年4年日本ハムファイターズ高橋里志選手
1985年~1986年2年日本ハムファイターズ三沢淳選手
1987年~1997年11年日本ハムファイターズ西崎幸広選手
1998年~2003年6年日本ハムファイターズ清水章夫選手
2004年~2017年14年北海道日本ハムファイターズ武田久選手
2018年~北海道日本ハムファイターズ清宮幸太郎

最初の10年は比較的入れ替わりが激しかったですが、その後は10年以上つける選手が4人いて、長く活躍しているという傾向がありますね。

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背番号21番を背負って活躍した3選手のご紹介

次に、これぞ日本ハムの背番号21番と呼べる3名をピックアップし、経歴をご紹介いたしますので、是非参考にしてください。

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西崎幸広選手

生年月日  1964年4月13日
出身地   滋賀県大津市
投/打   右/右
プロ野球歴 日本ハムファイターズ (1987年~1997年)・西武ライオンズ (1998年~2001年)
タイトル  最多勝:1回
表彰    ゴールデングラブ賞:2回、ベストナイン:1回

西崎選手は、1987年に愛知工業大学から日本ハムにドラフト1位で入団します。

最初にご紹介した通り、当時は「トレンディ」という言葉が流行し、若い人たちがトレンディドラマに熱狂していたことから、スリムな体格とハンサムな顔立ちの西崎選手は「トレンディ・エース」と呼ばれました。
また、同じようにトレンディエースと呼ばれたのが、近鉄バッファローズの阿波野秀幸選手、西武ライオンズの渡辺久信選手です。彼らと一緒に、プロ野球界にも若い投手が躍動をし、新風を吹き込んだ一人でもありました。

入団1年目から5年連続で2桁勝利を挙げた西崎選手は、日本ハムのエースとして活躍をみせます。その活躍ぶりは新人王にふさわしいものでしたが、同じトレンディエースと呼ばれた阿波野選手が選出されました。

順調な選手生活を送っていた西崎選手ですが、1990年代に入ると故障に悩まされて不本意なシーズンになる事も少なくなってきます。そのような状況でも、1995年にはノーヒット・ノーランの偉業を達成し、翌1996年には14勝と活躍しています。

1998年からはトレードで西武ライオンズに移籍しますが、日本ハム時代と同じように背番号21番が用意されました。

実は西崎選手と私は同じ年です (^_^;)最初に東京オリンピックが開催された1964年生まれです。同じようにトレンディエースと呼ばれた和の選手も同じ年、渡辺選手は1つ年下の1965年生まれとなっています。

西崎選手は高校時代に甲子園の出場があるものの、大学は全国的には名前が知られていなかった愛知工業大学に入っています。

当時はまだ東京六大学や東都大学、関西六大学といったリーグ所属の大学に選手が集まりがちな時代でした。

そんな中、全国のリーグ優勝校が揃う明治神宮野球大会で東都大学リーグ所属の強豪駒澤大学を破っての優勝、その衝撃は今でも忘れられません!

西崎選手の最近の話題としては、長女と次女が芸能界入りした事です。お二人とも美男であるお父様の血を受け継ぎ、とっても綺麗ですよ!機会があれば検索してみてくださいね(笑)




高橋直樹選手

生年月日  1945年2月15日
出身地   大分県佐伯市
投/打   右/右
プロ野球歴 
日本ハムファイターズ (1968年~1980年)
広島東洋カープ (1981年~1982年)
西武ライオンズ (1982年~1985年)
読売ジャイアンツ (1986年)
表彰    最高勝率:1回

高橋選手は高校時代に、それまでのオーバスローからサイド気味のアンダースローに投球フォームをチェンジします。特に、塁上に走者がいない時は、ゆったりした動きから手首を返すと、テークバックした右腕を後方に高くあげて投げる、とても変則のフォームが特徴でした。

その高橋選手は、社旗人野球から入団した1年目の1969年に13勝を挙げると、先発ローテーションに定着します。2年目以降は、少し伸び悩むものの、入団5年目にはノーヒット・ノーランの偉業を達成し、それから7年連続で2桁勝利も記録しました。

日本ハムのエースとして活躍をしていた高橋選手でしたが、絶対的な守護神の江夏豊選手との交換トレードで広島カープに移籍します。

広島カープでは2勝と全く振るわなかった高橋選手でしたが、その後に西武へ移籍をすると、チームの初優勝に大きく貢献をいたします。1986年位は再びセ・リーグの巨人に移籍しましたが勝ち星をあげられないまま引退を決意しました。

私の高橋選手のイメージは、やはりセ・リーグでは全く活躍できなかったという事です。パ・リーグでは大活躍していたのに、どうしてセ・リーグでは活躍できなかったのでしょうか?不思議でなりません。

技術的な事もあるかもしれませんが、セ・リーグの水が合わなかったという気持ちの面ではないかなと勝手に推測しています(^_^;)

高橋選手は、もう誰も達成できないであろうという記録を打ち立てています。それは、同じ試合で勝利とセーブを達成という記録です。当時は

「先発してリードしたまま5回を投げた後で一度三塁手の守備をして、セーブが付く条件でリリーフ登板して9回まで投げてチームが勝利した」

引用元:Wikipedia

とあり、勝ち投手とセーブの両方をあげられないというルールがなかったのです。今は

ルール改正によりセーブを記録する投手の条件として「勝ち投手の記録を得なかった投手」が入った(現行ルールでは高橋のようなケースではセーブが付かずに勝利のみが記録される)

引用元:Wikipedia

となっています。このルールは改正される事はないでしょうから、高橋選手が記録した唯一の選手として語り継がれる事でしょう(笑)

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土橋正幸選手

生年月日  1935年12月5日
出身地   東京都台東区
投/打   右/右
プロ野球歴 東映フライヤーズ (1955年~1967年)
タイトル  特になし

東京の浅草雷門の近くにある魚屋が実家の土橋選手は、高校卒業後、家業を手伝いながら軟式の草野球チームでプレーていました。1954年に、友人に誘われて、当時の東映フライヤーズの入団テストを受けたことがキッカケとなり、プロ野球選手になります。

土橋選手は、捕球からの返球を受け取るとすぐに投球動作に入るのを、自らの投球術としていました。浅草生まれで「江戸っ子気性」の土橋選手は、小気味の良いテンポで投げることから、「江戸っ子投法」とも呼ばれました。

土橋選手は速くて重いボールを武器に、8年連続で2桁勝利を挙げる活躍をしました。また、土橋選手の持ち味には、抜群のコントロールがありました。また、上体を突っ立てたまま、スイスイと投げることで制球が安定をし、四球を出さないことでも有名でした。

1964年に30勝を達成した時には、56回連続無四球の記録も打ち立てています。




日本ハムの背番号21番を付けた選手の傾向とは?

日本のプロ野球において、背番号21番の傾向は、圧倒的に投手の番号です。投手のエースナンバーとしては、背番号18番が定着をしていますが、背番号19番と同じく準エースの番号になります。

また、セ・リーグでは右投手のエースを背番号18番とする傾向があることから、左投手のエースを背番号21番にする傾向があります。

その一方で、パ・リーグではセ・リーグに対抗をして、背番号21番を真のエースナンバーとする傾向があります。

日本ハムにおける背番号21番は、最も投手の傾向が強い番号です。当初は捕手の番号でしたが、土橋正幸選手がつけてからは、投手番号の傾向が続いています。

また、球団名の移り変わりの激しい日本ハムでは、選手の入れ替わりも激しく、背番号の定着率も高くはありませんが、お伝えした通り背番号21番は最も定着率の高い番号でもあります。

このことからも、日本ハムの背番号21番には、チームの真のエースが、長く背負ってきた傾向があります。

1960年代の東映フライヤーズで11年間、背番号21番を付けた土橋選手を始めとし、1970年代は高橋直樹選手が12年間背負い、1990年代は西崎幸広選手が11年、2000年に入ると武田久選手が最も長い14年間に渡ってつけました。

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あとがき

今回は、北海道日本ハムファイターズの背番号21番を特集してきましたが、いかがだったでしょうか?他球団と同じように、エース級のピッチャーがつけてきましたが、日本ハムでは特にその傾向が強いのがわかりました。

2018年からは、野手として58年ぶりに清宮幸太郎選手が日本ハムの21番をつけています。高校1年生の時から実力が高く評価されていた清宮選手、エース級がつける21番でバッターとして輝けるか注目していきたいと思います。

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。

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