こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!
元号が平成から令和に変わり、インターネットでえは平成の振り返りとして各分野のベストテンを紹介するような記事が多く見られました。
野球も例外ではなく、ホームラン数や打点などのベストテンが紹介されてきました。バッターの打率部門では、上位に左バッターが多い中で、右バッターナンバーワンに輝いたのが内川聖一選手です。
今回は、そんな内川選手もつけていたソフトバンクホークスの背番号1番の特集です。歴代の背番号1番の全選手と、特に活躍した3選手の経歴をご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。
■目次(クリックすると飛びます)
歴代の背番号1番を背負った選手をご紹介
2019年のシーズン開幕時点で、これまでにソフトバンクホークスの背番号1番を背負った選手は、合計18名です。まず、ソフトバンクホークスの背番号1番を背負った歴代の選手を、古い順から一挙ご紹介します。
年 度 | 年 数 | 球 団 名 | 選 手 名 |
---|---|---|---|
1938年 | 1年 | 南海軍 | 岩本義行選手 |
1939年 | 1年 | 南海軍 | 空白 |
1940年~1942年 | 3年 | 南海軍 | 岩本義行選手 |
1943年~1945年 | 3年 | 南海軍~近畿日本軍 | 空白 |
1946年 | 1年 | 近畿グレートリング | 山本一人選手 |
1947年 | 1年 | 南海ホークス | 後田二郎選手 |
1948年~1952年 | 5年 | 南海ホークス | 空白 |
1953年~1954年 | 2年 | 南海ホークス | 藤江清志選手 |
1955年 | 1年 | 南海ホークス | 飯島滋弥選手 |
1956年~1960年 | 5年 | 南海ホークス | 金彦永徳選手(改名:任重) |
1961年~1963年 | 3年 | 南海ホークス | バディ・ビート選手 |
1964年 | 1年 | 南海ホークス | ジョニー・ローガン選手 |
1965年~1966年 | 2年 | 南海ホークス | 井上登選手 |
1967年~1969年 | 3年 | 南海ホークス | ドン・ブレイザー選手 |
1970年~1971年 | 2年 | 南海ホークス | 古葉竹識選手 |
1972年~1982年 | 11年 | 南海ホークス | 桜井輝秀選手 |
1983年 | 1年 | 南海ホークス | 立石充男選手 |
1984年~1985年 | 2年 | 南海ホークス | ジェフ・ドイル選手 |
1986年~1993年 | 8年 | 南海ホークス~福岡ダイエーホークス | 小川史選手 |
1994年~2002年 | 9年 | 福岡ダイエーホークス | 秋山幸二選手 |
2003年 | 1年 | 福岡ダイエーホークス | 空白 |
2004年~2011年 | 8年 | 福岡ダイエーホークス~福岡ソフトバンクホークス | 柴原洋選手 |
2012年~2020年 | 9年 | 福岡ソフトバンクホークス | 内川聖一選手 |
2021年 | 1年 | 空白 | |
2022年~ | 福岡ソフトバンクホークス | 風間球打選手 |
前身の南海ホークス時代までは、10年以上つけていた選手が1人だけで、ほとんどの選手が5年以下となっています。福岡に本拠地を移したダイエーホークス時代からは、逆に10年近くつける選手ばかりという傾向がわかりますね。
背番号1番を背負って活躍した3選手のご紹介
次に、これぞソフトバンクホークスの背番号1番と呼べる3名をピックアップし、経歴をご紹介しますので、是非参考にしてください。
内川聖一選手
出身地 大分県大分市
投/打 右/右
プロ野球歴 横浜ベイスターズ (2001年~2010年)・福岡ソフトバンクホークス (2011年~)
タイトル 首位打者:2回、最多安打:2回、最高出塁率:1回
表彰 年間MVP:1回、ベストナイン:5回
まずは、冒頭でもご紹介しました、平成の右バッターで最高の打率(4000打数以上)である.307を残した内川選手からです。
内川選手は常勝ソフトバンクホークスの中で、不動の三番打者として活躍を続けました。「稀代の安打製造機」と呼ばれるほど、類稀なバッティングセンスの内川選手は、両リーグで首位打者を獲得しています。
これは長いプロ野球の歴史の中でも、江藤慎一選手と内川選手だけの快挙です。
その内川選手の高校時代は、父が監督を努める大分工業高校で野球に取り組みますが、残念ながら甲子園への出場は叶いませんでした。
また、高校時代には足の骨の病気を患い、3回の手術を経験します。
プロ野球のDeNAに入団した時には、足の骨の病気が完治していませんでしたが、その後の努力が実を結び、2000本安打の大記録を達成するまでに至りました。
内川選手のバッティングは、ミートポイントを手元にまでひきつけることで、どのような球種のボールにも対応できるのが特徴です。特に左投手に強く、3本に1本が右方向へのヒットを放つなどの広角な打法が、2000本安打を実現させたといえます。
平成の右バッターの最高打率を誇る内川選手、タイトルや表彰以外にも、以下のような多くの輝かしい記録を残しています(2020年末現在)。
・両リーグで最多安打数獲得
・7年連続打率3割以上
・打率3割以上を14回
・奥様は元フジテレビアナウンサーの長野翼さん(^_^;)
私が内川選手で最も印象に残っているのが、2009年のワールドベースボールクラシック(以下WBC)での活躍です。国別対抗で行われるWBC、内川選手は予選から活躍し、日本を勝利へと導いていきます。
そして決勝の韓国戦でも攻守に大活躍、特に延長10回にヒットを放ち、あのイチロー選手のタイムリーヒットを呼び起こして決勝のホームを踏みました。
あの試合を思い出すと、今でも鳥肌が立つ思いです(笑)
秋山幸二選手
出身地 熊本県八代郡
投/打 右/右
プロ野球歴 西武ライオンズ(1981年~1993年)・福岡ソフトバンクホークス (1994年~2002年)
タイトル 本塁打王:1回、盗塁王:1回、最多勝利打点:2回
表彰 ベストナイン:8回、ゴールデングラブ賞:11回
秋山選手は陸上選手の両親から受け継いだ高い運動能力から、現役時代は「スーパーアスリート」と呼ばれていました。高校時代は甲子園への出場こそ果たせていませんが、プロ野球全球団からの関心を受けるほどの高い運動能力と野球センスがあったのです。
高校3年生の時、プロへの志望届けを出さなかったことから、ドラフトでは指名を受けませんでした。しかし、秋山選手はドラフト終了後に急遽プロ入りを宣言し、ドラフト外で西武ライオンズに入団をします。
入団4年目には3塁のレギュラーポジションを掴みとると、打撃も40本塁打を放つ活躍を見せます。その後、守備の負担が軽くなるようにと、外野手に転向をした秋山選手は、さらにバッティングが開花します。
1987年43本塁打を放ち、初の本塁打王のタイトルを獲得、また51盗塁で盗塁王にも輝きました。同一シーズンで30本塁打以上・50盗塁以上を、日本プロ野球史で初めて成し遂げます。
その後、ダイエーホークスに移籍をすると、低迷していたチームを牽引し、日本一へと導く活躍をしました。
ちなみに、現役時代の秋山選手は、「打者として最もメジャーリーグに近い選手」と、称されていましたが、大リーグの門戸を開けることはありませんでした。
私の秋山選手の思い出というと、1986年の日本シリーズでホームランを打った際、バク宙をしてホームインしたシーンです。186センチの大柄な秋山選手が軽々とバク宙をしたシーンは、今でも脳裏に焼き付いています。
もう1つ脳裏に焼き付いている理由が、私が対戦相手の広島カープのファンだったからです。このシリーズでは広島カープが3連勝した後に引き分けをはさんで西武ライオンズが4連勝という幕切れでした。
3連勝した時には間違いなく日本一だと確信したのに、まさかまさかの4連敗!秋山選手にバク宙まで決められ、私の心のダメージは相当なものでしたね(^_^;)
柴原洋選手
出身地 福岡県北九州市
投/打 左/左
プロ野球歴 福岡ソフトバンクホークス (1997年~2011年)
表彰 ベストナイン:2回、ゴールデングラブ賞:3回
柴原選手は、ダイエーホークスの「ダイハード打線」と恐れられた重量打線で、1番打者を務めました。
平成10年、「ダイハード打線」の中軸を担った、井口選手、小久保選手、松中選手、城島選手の4人がシーズン30本塁打を放ちました。これは、昭和60年阪神タイガースの真弓選手、掛布選手、バース選手、岡田選手以来の大記録で、パ・リーグでは初めての事です。
この時柴原選手は、重量打線の中で、唯一3割を越える打率を残し、リード・オフマンとして活躍を見せました。
ちなみに、「ダイハード打線」を支えた柴原選手と井口選手・松中選手の3人は同期入団であり、ソフトバンクホークスの長い歴史の中で、一番の「ドラフト当たり年」と言われています。
なお、柴原選手は子どもの頃から憧れていた秋山選手の背番号1を引き継ぎましたが、故障や腰痛に悩まされることも多く、入団7年目以降は主だった活躍が出来ずに引退しました。
背番号1番をつけた選手の傾向とは?
「1」という数字は、物事のトップを表すことから、プロ野球選手からも人気のある番号です。日本プロ野球においても、投手・野手に関係なく、チームの顔と呼べる選手が背番号1番をつける傾向があります。
「世界のホームラン王」として歴史に名を残す、元巨人の王選手に代表されるように、背番号1番は実力や人気を兼ね備えたスター選手が付ける番号でもあります。
ソフトバンクホークスにおける背番号1番は、チームリーダーとして活躍した野手の傾向があります。特に、ソフトバンクホークスの背番号1番には、キャプテンを担う選手の傾向もあります。
チームの福岡移転後、これまでに3人のキャプテンが誕生していますが、当初キャプテンを務めた秋山選手と内川選手の2人が、背番号1番の選手になります。
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