ソフトバンクホークスの背番号2番!歴代の2番の選手とその傾向をご紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

高校時代に通算70本のホームラン

と聞くと、高校球児の中でも別格中の別格とも言える成績ですよね!そして強肩のキャッチャーであれば、プロ野球界が放っておくはずがありません。それが甲子園に出場した事がない、全国的には無名の選手であっても。

そんな選手が、別府大学付属高校時代に当時の福岡ダイエーホークスにドラフト1位指名され、背番号2番をつけて大活躍した、城島健司選手です。

今回は、福岡ソフトバンクホークスの背番号2番を特集します。歴代の背番号2番の選手や活躍した主な選手の経歴、背番号2番をつけた選手の傾向をご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。




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歴代の背番号2番を背負った選手をご紹介

2019年のシーズン開幕時点で、これまでにソフトバンクホークスの背番号2番を背負った選手は、合計13名です。ソフトバンクホークスの背番号2番を背負った歴代の選手を、古い順から一挙ご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1938年~1940年3年南海軍吉川義次選手
1941年~1942年2年南海軍室井豊選手
1943年1年南海軍鈴木芳太郎選手
1944年~1945年2年近畿日本軍空白
1946年~1951年6年近畿グレートリング~南海ホークス筒井敬三選手
1952年0.5年南海ホークス有友敏選手
1952年~1958年6.5年南海ホークス小畑正治選手
1959年~1960年2年南海ホークスジョン・サディナ選手
1961年~1975年15年南海ホークス小池兼司選手
1976年~1979年4年南海ホークス鶴崎茂樹選手   
1980年~1989年10年南海ホークス~福岡ダイエーホークス香川伸行選手
1990年1年福岡ダイエーホークス空白
1991年~1994年4年福岡ダイエーホークス大野久選手
1995年~2005年11年福岡ダイエーホークス~福岡ソフトバンクホークス城島健司選手
2006年~2009年4年福岡ソフトバンクホークス空白
2010年~2018年9年福岡ソフトバンクホークス今宮健太選手
2019年~福岡ソフトバンクホークスカーター・スチュワート・ジュニア選手

13人の選手のうち、9年以上という比較的長く背番号2番をつけた選手が目立つ一方で、2019年を含めて空白の期間が4回と、こちらも目立っていますね。

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背番号2番を背負って活躍した3選手のご紹介

次に、これぞソフトバンクホークスの背番号2番と呼べる3名をピックアップし、経歴をご紹介しますので、是非参考にしてください。

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城島健司選手

生年月日  1976年6月8日
出身地   長崎県佐世保市
投/打   右/右
プロ野球歴 
福岡ソフトバンクホークス(1995年~2005年)
シアトル・マリナーズ(2006年~2009年)
阪神タイガース(2010年~2012年
タイトル  年間MVP:1回、ゴールデンクラブ賞:8回

まずは最初にご紹介しました、城島選手からです。

城島選手は、1994年に別府大学付属高等学校から福岡ダイエーホークスに入団すると、背番号2番をつけて大活躍しました。

ダイエー時代に11年間、メジャーリーグのシアトルマリナーズや阪神タイガース時代を含めると、17年間にもわたって背番号2番を背負い続けます。

城島選手のバッティングは、高校時代の70本ものホームランが示す通りに、長打力が魅力です。そんなパワフルな一面もある一方で、柔軟さも持ち合わせていました。難しいボールも巧みに打ち返すとともに、強靭な身体からのパワーで本塁打も量産をしました。

残念ながら打者としてのタイトルこそ獲得をしていませんが、日本プロ野球で1406本、アメリカメジャーリーグで431本の安打を記録しています。

また、強肩で鳴らした城島選手は、8回のゴールデン・グラブ賞を獲得し、盗塁阻止率ではリーグ最高の5回、最優秀バッテリー賞も5回輝きました。

私の城島選手のイメージは、スケールの大きいプレーです。バッティングは豪快、そして強肩、そんなイメージです。

城島選手には是非ともメジャーリーグに挑戦してほしい、そして日本のキャッチャーが、世界で通用する事を証明してほしい、そう願っていました。

その願い通りにメジャーリーグで活躍してくれたのは、日本人として誇りでしたね。ただ、もう少し若い頃に挑戦してくれれば、もっともっと活躍できたのではないかという欲張りな気持ちもあります(^_^;)

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香川伸行選手

生年月日  1961年12月19日
出身地   徳島県阿波市
投/打   右/右
プロ野球歴 福岡ダイエーホークス(1980年~1989年)
タイトル  ベストナイン:1回

香川選手といえば、当時人気の野球マンガ「ドカベン」の主人公・山田太郎に体型が似ていたことから、高校時代からついた愛称は「ドカベン」でした。

高校3年生の春と夏、甲子園に連続出場をすると、合計5本の本塁打を放ち、当時の本塁打記録を打ち立てます。

南海ホークスに入団後、香川選手は110kgを超える体系(自称96kg)で活躍をします。 香川選手は太った体系ながらも身体は柔らかく、首位打者も狙えるほどの器用なバッティングが特徴でした。

残念ながら、増え続ける体重が災いし、身体のあちらこちらで故障がちとなります。 わずか現役生活10年で引退に追い込まれた香川選手でしたが、当時は太りすぎで引退をしたことが話題となりました。

170センチの香川選手ですが、一時期は150kg近くにまで増えたといいます。野球のセンスは群を抜いていた自称の96kgあたりであれば、もっともっと活躍する姿を見られたでしょうね。

そして、香川選手で印象に残っているのが、プロ野球1年目からテレビのコマーシャルに出演した事です。目覚まし時計のコマーシャルでしたが

これが鳴るのが楽しみです

というセリフ、今でも鮮明に覚えています(笑)




大野久選手

生年月日  1960年8月15日
出身地   茨城県取手市
投/打   右/右・左
プロ野球歴 
阪神タイガース(1985年~1990年)
福岡ダイエーホークス (1991年~1994年)
中日ドラゴンズ (1995年)
タイトル  盗塁王:1回

大野選手は自慢の足を武器に、低迷していた阪神タイガースと福岡ダイエーホークス、中日ドラゴンズで活躍をした選手です。

阪神タイガース時代は、そのスリムな体型と軽やかな走塁から、チームメイトの和田豊選手・中野佐資選手と合わせて、当時の人気アイドルに掛けて「少年隊」と呼ばれました。

その後、阪神から4対5の大型トレードでダイエーホークスに入団をした大野選手は、開幕からセンターのポジションを獲得し、全試合に出場します。

また、トレード1年目には42盗塁を記録し、盗塁王のタイトルにも輝く活躍しました。

大野選手は、茨城県の取手二高出身です。私が高校球児だった時、3年生の春の大会も夏の大会も取手二高に負けました(^_^;)私達の前に大きく立ちはだかったのが、取手二高だったのです。

特に夏の大会では1年生中心の取手二高にコールド負け。悔しい思いもありましたが、1年生に負けたという恥ずかしい気持ちも強かったですね。ほぼ休みなしで練習してきたのが何だったのか・・・。

取手二高は2年後には、桑田・清原のKKコンビがいたPL学園を破り夏の甲子園で全国優勝を果たします。そんな選手たち相手では、コールド負けも仕方なかったかな?なんていう気持ちになったとさ(^_^;)




背番号2番を付けた選手の傾向とは?

日本プロ野球界では、背番号2番の傾向として高校野球の名残からキャッチャーが付けるイメージが強くあります。

特に高校野球でキャッチャーをしていた選手がそのままプロ野球に入団したとき、「愛着のある2番をそのまま背番号に」と希望する選手が多くいます。

ただし、一桁の背番号は、チームの中でも期待の高い選手が付けることから、高校出身の選手がいきなり背番号2番を付けることは容易くありません。

しかし、ソフトバンクホークスにおける背番号2番の傾向を見ると、捕手の番号とする傾向も強く、さらに高校出身の選手に与える傾向があります。

前身の南海ホークス時代には、高校出身の捕手として活躍した、香川選手が入団時から背番号2番を付けました。 そして、ソフトバンクホークス時代には、同じく高校から入団をした城島健司選手が、捕手として背番号2番つけて活躍しています。

ちなみに、高卒ルーキーの香川選手は10年間、城島選手は11年間、背番号2番を長くつけました。

また最近では、背番号2番を捕手の番号とするのではなく、堅守でいぶし銀と呼ばれるような野手に与える傾向もあります。 例えば城島選手の後は、高校時代の後輩でもあり好守に活躍する今宮健太選手が、背番号2を引き継ぎました。

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おわりに

今回は、福岡ソフトバンクホークスの背番号2番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?

他の球団と同じように、キャッチャーがつける傾向がありましたが、大野選手や今宮選手のようないぶし銀の野手がつける傾向も発見できました。

2019年から2番をつけているカーター・スチュワート・ジュニア選手、素質は十分だと思いますので、今後の大活躍を期待したいですね。

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。

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