千葉ロッテの背番号1番!歴代の1番の選手とその傾向をご紹介!

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

『ボクはね・・・』

高校野球の選手がインタビューの受け答えで、このようにふてぶてしく語り始める選手がいて、高校1年生の高校球児だった私は、カルチャーショックを覚えました。

当時(1980年)はやはり謙虚に?『自分は・・・』というのが普通でしたから。すごく肝が据わっている選手で、私にはとても真似は出来ないと思ったものです(^_^;)

その肝が据わった選手こそ、横浜高校で全国優勝を成し遂げた愛甲猛選手だったのです。準優勝した早稲田実業の荒木選手と共に、アイドルのような人気ぶりでした。

今回は、愛甲選手もつけて活躍した、千葉ロッテマリーンズの背番号1番の特集です。歴代の背番号1番の全選手と、特に活躍した3選手の経歴をご紹介しますので、楽しみにしていてくださいね。




歴代の背番号1番を背負った選手をご紹介

2019年のシーズン開幕時点で、これまでに千葉ロッテマリーンズの背番号1番を背負った選手は、合計13名です。まずは、背番号1番を背負った歴代の選手を、古い順から一挙ご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1950年~1953年4年毎日オリオンズ伊藤庄七選手
1954年~1956年3年毎日オリオンズ      橋本力選手
1957年~1959年3年毎日オリオンズ~大毎オリオンズ平井嘉明選手
1960年~1962年2・5年大毎オリオンズ       空白
1962年~1968年6・5年大毎オリオンズ~東京オリオンズ       八田正選手
1969年~1972年4年ロッテオリオンズ広瀬宰選手
1973年~1976年4年ロッテオリオンズラフィーバー選手
1977年1年ロッテオリオンズ空白
1977年~1980年4年ロッテオリオンズ     高橋博士選手
1981年~1995年15年ロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズ愛甲猛選手
1996年1年千葉ロッテマリーンズ仁村徹選手
1997年1年千葉ロッテマリーンズ南渕時高選手
1998年~2005年8年千葉ロッテマリーンズ小坂誠選手
2006年1年千葉ロッテマリーンズ空白
2007年~2009年3年千葉ロッテマリーンズ大嶺祐太選手
2010~千葉ロッテマリーンズ清田育宏選手

15年もの間、ロッテの1番をつけてきた愛甲選手が際立っていますね。清田選手や小坂選手も長くつけていて、千葉ロッテマリーンズの1番を背負った代表的な選手と言えるでしょう。

背番号1番を背負って活躍した3選手のご紹介

次に、これぞ千葉ロッテの背番号1番と呼べる3名をピックアップし、経歴をご紹介しますので、是非参考にしてください。

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愛甲猛選手

生年月日  1962年8月15日
出身地   神奈川県逗子市
投/打   左/左
プロ野球歴 
千葉ロッテマリーンズ(1981年~1995年)
中日ドラゴンズ(1996年~2000年)
表彰    ゴールデングラブ賞:1回

まずは最初にもご紹介しました、愛甲選手からです。

愛甲選手は、横浜高校時代に全国制覇を成し遂げたエース左腕です。当時、端正な顔立ちの愛甲選手は、「甲子園のアイドル」として人気を博しました。

1981年、愛甲選手は高校生ながらも、ドラフト1位で千葉ロッテに入団をします。しかし、入団から3年間で1度も勝ち星を得られなかった愛甲選手は、結局、投手としては芽が出ることがありませんでした。

その時、チームメイトの落合選手からの助言を受けて、打者への転向を決意いたします。落合選手を師と仰いで打撃練習に没頭した愛甲選手は、打者としての才能が開花します。

入団から5年目にやっと野手としてレギュラーの座を掴むと、1989年には一塁手としてゴールデングラブ賞にも輝きました。
また、愛甲選手は1988年6月25日から1992年7月11日の5年間にかけて、535試合フルイニング出場のパ・リーグ新記録を樹立しました。

高校時代からむこっきが強い愛甲選手は、武勇伝の多い選手としても有名です。悪童と呼ばれる一方では、お酒を一滴も飲めないなど、ユニークな一面も持ち合わせています。

その愛甲選手は、現役引退後に解説者を努めましたが、ぶっちゃけ話で人気を集めました。

愛甲選手の高校時代は、真面目に野球に取り組んでいる期間が少なく、『やんちゃ』している期間が長かったようです(^_^;)勉強しないで野球をやりに高校へ通っている生徒は少なくありませんが、愛甲選手は凄く青春を謳歌していたみたいです(笑)

そんな愛甲選手が高校時代に全国優勝して、少しテングになっていましたが、プロ入りして4年間は1軍でピッチャーとして勝てずバッターとしてヒットもうてないという屈辱を受けています。

私は『愛甲はプロで通用しないだろうな』などと思っていましたが、見事にバッターとして活躍しました。それには、当時のチームメイトだった落合博満選手の存在がありました。

甲子園の優勝ピッチャーというプライドを捨てきれなかった愛甲選手の、テングの鼻を折ったのが落合選手、プライドを捨てられてバッターとして成長できたといいます。

落合選手との出会いが、愛甲選手のターニングポイントになったのでしょうね!

小坂誠選手

生年月日  1973年7月2日
出身地   宮城県亘理郡
投/打   右/左
プロ野球歴 
千葉ロッテマリーンズ(1997年~2005年)
読売ジャイアンツ(2006年~2008年)
東北楽天ゴールデンイーグルス(2009年~2010年)
タイトル  盗塁王:2回
表彰    新人王、ゴールデングラブ賞:4回

小坂選手は、高校時代こそ全く無名の選手でしたが、社会人野球でヤクルトスワローズのスカウトの目に止まり、プロ野球選手への道が開けました。

ただし、ヤクルトスワローズはスカウト陣が小坂選手の獲得を希望したが、フロントからOKが出ずに、結局、当時千葉ロッテでジェネラル・マネージャーを努めていた広岡達郎氏が獲得をしました。

ヤクルトスワローズからは落印を押された小坂選手でしたが、千葉ロッテに入団をすると、1年目から輝かしい活躍を見せます。

遊撃手としてレギュラーの座を掴むと、自慢の俊足を生かして躍動します。そして、ルーキー1年目から56盗塁を記録しましたが、この数字は新人選手の盗塁記録として現在も破られていません。

さらに、小坂選手は入団2年目に背番号を1番に変更をすると、見事に盗塁王の初タイトルに輝きました。また、社会人野球から定評のあった守備力は、千葉ロッテのショートのポジションを、9年間も守り続けました。

昭和の時代、ショートの名手として名高い、阪神タイガースの吉田義男選手が「牛若丸」と呼ばれたのに対抗して、小坂選手は「平成の牛若丸」と称されました。

辛口で知られる野村克也さんからも、『まるで忍者のよう』と小坂選手の守備を絶賛した事からも、守備力はずば抜けていたのでしょうね。

抜群の守備力に対して、巨人に移籍した2006年以降は、バッティングが足を引っ張り出場機会を減らしてしまいました。もっと活躍する小坂選手を観たかったのですが、少し残念でした。

でも選手生活を、地元である東北楽天ゴールデンイーグルスで終える事が出来て、小坂選手としては幸せだったのかもしれませんね。

清田育宏選手

生年月日  1986年2月11日
出身地   千葉県鎌ヶ谷市
投/打   右/右
プロ野球歴 千葉ロッテマリーンズ(2010年~)
表彰   ベストナイン:1回、ゴールデングラブ賞:1回

清田選手は高校時代に速球投手として注目を浴びましたが、東洋大学に進学をすると野手に転向した経歴の持ち主です。その後、天性のスラッガーとしてのセンスを持つ清田選手は、大学4年生の時には4番打者として活躍しました。

こうして、社会人野球を経て、地元の千葉ロッテに入団を果たした清田選手は、1年目から1軍に定着をすると、その年の日本シリーズで一気にブレイクをいたします。

レギュラーシーズンを3位で終えたチームは、クライマックス・シリーズを制し、日本シリーズに進出したことから、「下克上」と騒がれました。

清田選手はその第1戦で、ミスタープロ野球こと長嶋選手以来となる新人選手の初戦本塁打を記録しました。さらに、日本シリーズの全試合にフル出場した清田選手は、日本シリーズ新人選手通算最多打点となる通算6打点を記録しました。

2019年、スーパー・ルーキーの藤原恭大選手が入団し、ますます外野の選手層が厚くなりましたが、勝負強い清田選手のバッティングに益々期待が持たれています。

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私は年に数回、千葉ロッテマリーンズの本拠地であるZOZOマリンスタジアムで、千葉ロッテ戦を観戦しています。お目当てはロッテではなく、対戦相手の東北のチームですが(笑)

清田選手は先発出場する時もあれば、代打の切り札として登場する事もあります。2019年7月28日には代打で出場して、見事にサヨナラヒットを打たれてしまいました(^_^;)

ですので、私は清田選手に対して打たれたという強烈なイメージを持っています。お願いだから東北のチームと対戦する時は、大人しくしていてね(^_^;)

背番号1番を付けた選手の傾向とは?

「1」という数字は、物事のトップを表すことから、プロ野球選手からも人気のある番号です。日本プロ野球においても、投手・野手に関係なく、チームの顔と呼べる選手が背番号1番を付ける傾向があります。

千葉ロッテマリーンズにおける背番号1番の傾向は、圧倒的に内野手の番号の傾向です。

1981年に投手として愛甲選手が入団をしましたが、結果的には内野手として活躍しました。また、2010年からは外野手の清田選手が背番号1番を付けていますが、彼もアマチュア時代は投手として活躍をし、野手に転向をしています。

このことから、千葉ロッテの背番号1番には、投手から野手に転向をした選手が付ける傾向もあるといえます。

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あとがき

今回は、千葉ロッテマリーンズの背番号1番を特集してきましたが、いかがだったでしょうか?千葉ロッテでは、内野手がつける傾向がある事がわかりました。

2010年からは清田選手が背番号1番をつけています。若い選手が台頭してきているとは言っても、まだまだ勝負強いバッティングは健在です。

打率3割をマークした2015年のようなバッティングが甦れば、クリーンアップの一角を担える可能性が高いので、今後の活躍に期待したいと思います。

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。