日本ハムファイターズの背番号2番!『ガッツ』ほか歴代の2番の選手と傾向をご紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

プロ野球には、子供たちのお手本になるような綺麗なフォームの選手がいたり、逆に格好はいいけど子供たちが身につけるには適さないフォームの選手がいます。多くの場合、子供たちが真似するのは後者だったりしますね(笑)

そんな後者のフォームの持ち主の1人ではないかと思うのが、小笠原道大選手です。

構えている時は普通ですが、バットの軌道がアッパースイングやドアスイングに見える独特なものです。私が指導者なら、子供には真似をするなと言ってしまいそうです(^^;)

今回は、そんな小笠原選手もつけていた、北海道日本ハムファイターズの背番号2番を特集します。歴代の2番の全選手や特に活躍した3選手の経歴、そして2番をつけてきた選手の傾向にも触れますので、楽しみにしてくださいね。




歴代の背番号2番を背負った選手をご紹介

2019年のシーズン開幕時点で、北海道日本ハムファイターズの背番号2を背負った選手は14名です。まずは、その14選手をご紹介していきます。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1950年1年東急フライヤーズ池田力選手
1951年~1952年2年東急フライヤーズ空白
1953年~1954年2年東急フライヤーズ伊藤庄七選手
1955年~1956年2年東映フライヤーズ西江一郎選手
1957年~1961年6年東映フライヤーズ木村軍治選手
1962年~1971年2年東映フライヤーズ岩下光一選手
1972年~1975年4年東映フライヤーズ阪本敏三選手
1976年~1978年3年日本ハムファイターズ服部敏和選手
1979年~1988年10年日本ハムファイターズ高代延博選手
1989年~1996年8年日本ハムファイターズ鈴木慶裕選手
1997年~2006年10年日本ハムファイターズ小笠原道大選手
2007年1年北海道日本ハムファイターズ空白
2008年~2011年3.5年北海道日本ハムファイターズ高橋信二選手
2011年0.5年北海道日本ハムファイターズスケールズ選手
2012年1年北海道日本ハムファイターズ空白
2013年~2015年3年北海道日本ハムファイターズ大野奨太選手
2016年~北海道日本ハムファイターズ杉谷拳士選手

高代選手と小笠原選手の10年というのが目立っていますね。




背番号2番を背負って活躍した3選手のご紹介

次に、背番号2番をつけた選手の中で、特に印象深い3名を紹介しますので、ぜひご覧ください。

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小笠原道大選手

生年月日  1973年10月25日
出身地   千葉市美浜区
投/打   右/左
プロ野球歴 
日本ハムファイターズ(1997年~2006年)
読売ジャイアンツ(2007年~2013年)
中日ドラゴンズ(2014年~2015年)
タイトル  首位打者2回、本塁打王1回、打点王1回
表彰    最優秀選手2回

まずは、最初にご紹介しました、小笠原選手からです。

高校を卒業して社会人NTT関東経由でプロ入りした小笠原選手、入団時のポジションはキャッチャーでした。

即戦力という期待もあり背番号「2」を与えられましたが、プロ入り後2年間は守備位置も内野手にコンバートされてみたり捕手に戻ったりと一定せず、その影響か打撃も振るわず、2年間で放った本塁打はわずか1本だけでした。

プロ入り3年目の1999年、一塁手として固定されると、過去2年間とは別人のように打ちまくります。また「バントをしない2番打者」として大活躍しました。

そして、鳴り物入りで西武ライオンズに入団した松坂大輔選手のプロデビュー戦で、強烈な1発を浴びせるなどブレイクし、一気に25本塁打をマークしています。

4年目の2000年にはあわやトリプルスリーかという打率.329 31本塁打24盗塁を記録し、バッティングはもちろん盗塁でも存在感を示しました。

翌2001年には、MLBに移籍したイチロー選手に代わる首位打者の筆頭候補と言われ、打率.339をマークします。しかし、惜しくも千葉ロッテマリーンズの福浦和也選手に敗れました。

この悔しさをバネにして、2002年から2年連続で首位打者を獲得、2004年まで5年連続3割、2006年にはファイターズ25年振りの優勝に貢献、MVPを獲得します。

2007年からはFAで巨人に移籍しますが、打棒はそのままで3割30本塁打をクリア。巨人を優勝に導き2年連続のMVPに輝きました。

2014年からは中日へ再度FA移籍、2015年に現役を引退。

個人的には『真似してはいけないバッティングフォーム』だとは思うのですが、小笠原選手の成績を振り返ると、本人にはピッタリだったと言えるのでしょうね。

規定打席に達した年10回で全て3割を達成して、通算打率も.310。通算ヒット数が2120本でホームラン数が378本となっています。

逆に言えば、お手本といわれるようなバッティングフォームだったら、ここまでの活躍は出来なかった!かもしれませんね(^^;)

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高代延博選手

生年月日  1954年5月27日
出身地   奈良県吉野郡下市町
投/打   右/右
プロ野球歴 
日本ハムファイターズ(1979年~1988年)
広島東洋カープ(1989年)
表彰    ダイヤモンドグラブ賞1回

智弁学園から法政大、社会人・東芝を経て1979年にドラフト1位で入団した高代選手。1年目からいきなりショートの定位置を掴み、ルーキーながらダイヤモンドグラブ賞を獲得します。

3年目の1981年にはファイターズとしての初優勝に貢献、日本シリーズ出場も果たすものの、法政大学の後輩、江川卓投手がエースの巨人に敗れ、日本一の座を逃します。

その後、長くレギュラーを務めますが、田中幸雄選手ら若手の台頭により出番が減り、当時広島監督を務めていた大学の先輩、山本浩二監督に乞われて広島へ移籍、1年後に引退。

その後はコーチとして広島を皮切りに中日・千葉ロッテ・オリックスなどに在籍。2008年WBCでは走塁コーチとして世界一に貢献。2012年には日本代表チームのコーチに就任します。

2018年からは阪神タイガースでコーチを務めるなど、ひっきりなしにコーチとしてオファーが舞い込む高代コーチ。あの野村克也氏をして「日本一の三塁コーチ」と言わしめた打球判断の良さが高評価の理由です。

高代選手が現役だった頃、私は中学から社会人へと巣立った時期です。そして、中学と高校では野球部だったので、野球の事を一番考えていた時期ですね。

そんな私の高代選手の印象は、『名前は知っているけど地味な選手』といった感じでした(^^;)というのも、バッティングでは目立った活躍がなかったためです。

年度別の成績を見ても、プロ入りした直後の方が良かったように感じます。

どちらかと言うと、選手としてではなくコーチとして大成したのではないでしょうか?引退して30年が経ちますが、毎年どこかのコーチとして招かれています。

30年も連続してコーチをしている人って、私の知る限り高代さんしかいません。他に誰かいたら教えてください、でもプレゼントなどはありませんが(笑)

鈴木慶裕選手

生年月日  1963年5月21日
出身地   東京都大田区
投/打   右/左
プロ野球歴
日本ハムファイターズ(1989年~1996年)
福岡ダイエーホークス(1997~1998年)
タイトル  特になし

神奈川・武相高校から亜細亜大、社会人・日本石油を経て1989年のドラフト2位でファイターズ入りした鈴木選手、1年目から外野手として開幕スタメンを勝ち取るなど活躍。長打はないものの、俊足でルーキーながら22盗塁をマークしました。

プロ4年目の1992年は開幕から打ちまくり、一時打率が4割近くまで上がるほどでした。この年、オールスターに監督推薦で初出場します。

その後は死球が原因で不振に陥り、1997年にはダイエーに移籍するも活躍は出来ず、1998年に引退しました。

鈴木選手の出身校である武相高校、野球が強い高校としても知られていました。無名の高校で野球をしていた私にとっては、武相高校と聞いただけで負けそうな気がしていました。俗に言う『名前負け』って事ですね(笑)

武相高校の同級生に出川哲郎さん、1学年後輩にはパンチ佐藤こと佐藤和弘選手がいます。特に佐藤選手は、鈴木選手のおかげで亜細亜大への進学が決まったと語っています。

それにしても、濃いメンバーと野球をしていたのですね(^^;)高校時代の3人の会話を聞いてみたいものです(^^;)

背番号2番をつけた選手の傾向とは?

高代選手以降、鈴木、小笠原両選手とも「即戦力」と期待される選手に受け継がれてきた背番号「2」。小笠原選手でその重みが一気に増しました。

小笠原選手退団後は、1年間の空番を経てキャッチャーの高橋信二選手が背負います。当時、鶴岡慎也選手らの台頭により捕手よりも打力を活かし、一塁手・指名打者としての出場が多くなっていきました。

背番号を「30」から「2」へ変更した2008年シーズンはほぼ一塁手としての出場となり、2009年には四番打者として定着。強打というよりはバントも厭わない「つなぎの四番打者」として打率3割をマークします。

しかし2010年以降は不振に陥り2011年シーズン途中で巨人へトレードされました。

その後背番号2番はシーズン途中入団のスケールズ選手へ受け継がれ、2013年からは正捕手と期待の高かった大野奨太選手が背負います。その後、大野選手は名捕手の番号である「27」に変更、2016年からは内外野を守れる杉谷拳士選手に受け継がれます。

小笠原選手は入団時捕手でしたし、高橋・大野両選手は正捕手とは言い難い時期に背番号「2」を背負いました。捕手として一皮剥けて欲しいと期待を込めて背番号「2」を贈ってるのが分かりますね。

他の傾向としては、内野手がつけてきたケースが多い、といった事もあります。

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おわりに

今回は、北海道日本ハムファイターズの背番号2番を特集してきましたが、いかがだったでしょうか?活躍が期待されるキャッチャーや内野手が主につけてきた傾向もわかりました。

2019年現在で杉谷拳士選手が2番つけています。2015年の活躍を受け、レギュラー奪取を期待しての事でしたが、やや伸び悩んでいます。

2019年のオフには、フリーエージェントを宣言しないでチームに残留する事を決めました。

過去に2番をつけた小笠原選手がコーチ復帰する2020年、背番号を返上せよとシカゴ・カブスのファイターズOB・ダルビッシュ有選手にからかわれている杉谷選手の奮起を期待します!

小笠原選手の愛称は「ガッツ」でした。杉谷選手もいじられキャラやバラエティー番組の印象でやや損はしているものの、小笠原選手に負けず劣らずの熱い選手です。

必ずや背番号「2」の新しい歴史を造ってくれると信じています。

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。