日本ハムファイターズの背番号4番!歴代の4番の選手と傾向を紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

野球の背番号4番といううと、どのような選手がつけるイメージをお持ちですか?高校野球ではセカンドのレギュラーがつける番号でもあり、内野手というイメージが強いのではないでしょうか?

それに、日本では4という数字は不吉なイメージもありますよね(^^;)なので、プロ野球では日本の選手からは敬遠されがちでした。

そんな背番号4番ですが、プロ野球の日本人のピッチャーがつけていた事がありました。それを知った時、私は『凄い変わり者の選手なんだろうな・・・』なんて感じてしまいました(笑)

その選手こそ、当時の日本ハムファイターズに所属していた武田一浩選手です。

今回は武田選手もつけていた、北海道日本ハムファイターズの背番号4番の特集です。歴代の選手や特に活躍した3選手の紹介、4番をつけてきた選手の傾向にも触れますので、楽しみにしてくださいね。




歴代の背番号4番を背負った選手をご紹介

2019年のシーズン終了時点で、北海道日本ハムファイターズの背番号3を背負った選手は17名います。まずは17名の選手全員をご紹介しますね。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1950年~1958年9年東急フライヤーズ浜田義雄選手
1959年~1961年3年東映フライヤーズ河津宏紀選手
1962年~1964年3年東映フライヤーズ青野修三選手
1965年1年東映フライヤーズラーカー選手
1966年4年東映フライヤーズ高島正義選手
1967年~1968年2年東映フライヤーズ空白
1969年~1971年1年東映フライヤーズ佐野嘉幸選手
1972年~1975年4年東映フライヤーズ末永吉幸選手
1976年~1979年3.5年日本ハムファイターズ行沢久隆選手
1979年~1981年2.5年日本ハムファイターズ吉岡悟選手
1982年~1991年10年日本ハムファイターズ五十嵐信一選手
1992年~1995年1年日本ハムファイターズ武田一浩選手
1996年~1997年2年日本ハムファイターズ渡辺浩司選手
1998年~2006年9年日本ハムファイターズ奈良原浩選手
2007年1年北海道日本ハムファイターズグリーン選手
2008年~2017年10年北海道日本ハムファイターズ飯山裕志選手
2018年1年北海道日本ハムファイターズアルシア選手
2019年~北海道日本ハムファイターズ谷口雄也選手

前身球団から数えると60年の歴史を持つ北海道日本ハムファイターズ、背番号4番が空白だった時期は2年間しかないのが、特徴といえますね。

独断と偏見!背番号4番を背負った印象深い3選手のご紹介

次に、独断と偏見で選んだ特に印象深い3選手を紹介しますので、ぜひご覧ください。

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武田一浩選手

生年月日  1965年6月22日
出身地   東京都世田谷区
投/打   右/左
プロ野球歴 
日本ハムファイターズ(1988年~1995年)
福岡ダイエーホークス(1996~1998年)
中日ドラゴンズ(1999年~2001年)
読売ジャイアンツ(2002年)   
タイトル  最優秀救援投手1回 最多勝1回 
*12球団から勝利(史上3人目)

まずは、最初にご紹介しました武田選手からです。

武田選手は、明大中野高から明治大学を経て、1987年のドラフト会議でファイターズから1位指名を受け入団ました。入団時の背番号は15です。

1年目から20試合に登板、2年目には規定投球回に到達、6勝を挙げ主力投手の仲間入りを果たします。3年目からはリリーフに転向、抑えの切り札として活躍。転向2年目の1991年には最優秀救援投手に輝きます。

1992年からは志願して先発に転向。この時に投手としては珍しい背番号「4」に変更します。1994年には初の2ケタ勝利を挙げますが、以降成績が低迷、1996年からはホークスに移籍しました。

ホークス移籍1年目の1996年には自己最多の15勝を挙げ、前年の0勝から見事に復活。1998年には13勝をマーク、最多勝を獲得しました。この年、FA宣言をし、大学の先輩・星野仙一氏が監督を務める中日ドラゴンズに移ります。

ドラゴンズでは大学の後輩・川上憲伸選手らとローテーションを守り抜き、1999年のドラゴンズ優勝に大いに貢献。チームでは19勝を挙げた野口茂樹選手に次ぐ9勝を記録します。

しかし、徐々に成績が下降し2001年シーズンオフに戦力外通告を受け退団。読売ジャイアンツに移籍します。

巨人移籍後の2002年5月7日、対中日戦で勝利投手となり、史上3人目の全球団から勝利を達成します。当時、交流戦はまだ行われておらず、達成するのが難しい時代での快挙でした。

日本ハム在籍時、チームメイトだったマット・ウィンタース選手からカットボールという変化球があることを教わります。

後に川上選手へと伝授されたカットボールは一気に知名度を上げたことから、武田選手は「日本球界にカットボールを広めた選手」と言われています。

引退後は2006年のWBCに投手コーチとして参加。他にNHK・BSのMLB中継解説者としても活躍されています。

行沢久隆選手


*写真は西武ライオンズ時代です。

生年月日  1953年7月11日
出身地   大阪市此花区
投/打   右/右
プロ野球歴 
日本ハムファイターズ(1976年~1979年)
西武ライオンズ(1979年~1988年)
タイトル等 特になし

高校野球の強豪校として一時代を築いた大阪・PL学園。そのPLが1970年、夏の甲子園で初の決勝進出を果たした時のメンバーである行沢選手。卒業後は中央大へ進学、当時「怪物」と騒がれていた法政大・江川卓投手を負かし明治神宮大会で優勝します。

1975年のドラフト2位でファイターズ入り。即戦力と期待され、背番号は「4」となりました。期待に応え、ルーキーイヤーの1976年、開幕からレギュラー争いに参加した行沢選手ですが、思わぬことで注目を集めてしまいました。

4月29日の対近鉄バファローズ戦。1死満塁のチャンスで打席が回ってきた行沢選手は見事満塁ホームランを叩き込みました。しかし、興奮のあまり一塁の走者を追い越してしまい、ホームランを取り消されてしまったのです。

その後、1979年シーズン途中に首位打者経験者・吉岡悟選手との交換トレードで西武ライオンズに移籍。内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤーとして、1980年代に常勝軍団となった西武を支え続けました。

引退後は長く西武でコーチを務め、松井稼頭央・中島裕之両選手らを育て、コーチとしてもチームに大いなる貢献を果たしました。

2013年からは日本経済大で野球部監督をなさっています。

渡辺浩司選手

生年月日  1963年8月9日
出身地   新潟県新潟市南区
投/打   右/左
プロ野球歴 日本ハムファイターズ(1982年~1997年)
タイトル等 特になし

新潟商時代は甲子園出場は叶わなかった渡辺選手。卒業後は社会人野球へ進むことが決まっていました。しかし、知人の勧めによりファイターズの入団テストを受けたところ合格し、1981年にドラフト外でファイターズに入団しま経歴の持ち主です。

一軍初出場はプロ6年目の1987年という遅咲きの渡辺選手でしたが、この年は13試合に出場、6月28日の対西武戦では初ホームランも記録します。以降、出場試合数は少ないものの、内野手の控えとして一軍の戦力としてチームを支えていました。

1995年、当時セカンドのレギュラーだった白井一幸選手がケガで開幕早々に戦線離脱してしまいます。この緊急事態を救ったのが渡辺選手でした。

前年までのプロ13年で計55試合にしか出場したことのなかった渡辺選手が、白井選手の代役としてレギュラーに定着。116試合に出場、規定打席にも到達しました。

13年で15本しかヒットを打っていない渡辺選手が1995年の1年だけで100本ものヒットを量産。守備もソツなくこなした渡辺選手を当時のファイターズ・上田利治監督は「14年目の新人王」と高く評価しました。

翌1996年、前年の活躍のご褒美として背番号「4」を手に入れた渡辺選手。しかしこの年、プロ3年目の金子誠選手が台頭。一気にセカンドのレギュラーを奪取し、新人王へと駆け上がります。

渡辺選手も79試合に出場しますが、ほとんどは守備固めとしての起用で、安打数は38本まで激減してしまいました。

1997年、セカンドとして金子選手がほぼフル出場し、渡辺選手は20試合の出場となります。この年のシーズンオフ、球団から戦力外通告を受け引退を決断、コーチへと転身します。

わずか1年とはいえ、1・2軍を行ったり来たりしていた渡辺選手がレギュラーを獲得したことは大きな話題を呼び、特に同じような立場にいる選手にとっては「やればできる」、「頑張っていればいつかはチャンスが巡ってくる」と勇気と希望の象徴となりました。

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背番号4番をつけた選手の傾向とは?

渡辺選手の引退後、背番号4は西武から移籍してきた奈良原浩選手が着用しました。奈良原選手も内野のユーティリティープレーヤーとしてファイターズに貢献、9年もの間4番を背負いました。

その後は外国人選手を挟み、やはり内野の控え、飯山裕志選手が着えました。飯山選手も4番を10年に渡り背負い続け、チームの日本一に貢献しました。

このように、北海道日本ハムファイターズの背番号4は「内野手の控え選手の番号」というイメージが定着しつつあります。

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おわりに

今回は、北海道日本ハムファイターズの背番号4番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?他の球団と同様に、主に内野手がつけてきた傾向がわかりましたね。

2019年からは外野手の谷口雄也選手がつけています。谷口選手と言えば、芸能人に顔が似ていると話題になり、注目を集めました。

「より野球に集中して欲しい」という栗山英樹監督の配慮からか、主力級の背番号4番が与えられましたが、2019年シーズンはその期待に応えた、とは言えない成績で終わっています。

2020年シーズン、谷口選手には背番号4のイメージを一新するような、素晴らしい活躍を期待したいですね!

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。