こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!
鈴木大地選手と聞いて、どのような選手を連想しますか?大部分の人が水泳か野球の選手を連想するのではないでしょうか?
もし水泳選手を連想するのは、年齢層が高いか水泳ファン、野球選手を連想すれば年齢層が低いか野球ファン、といった傾向がみられそうです(^^;)
今回は、プロ野球選手である鈴木大地選手がつけている、東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号7番を特集します。歴代の7番の選手の経歴や、つけてきた選手の傾向に触れていきますので、楽しみにしてくださいね。
■目次(クリックすると飛びます)
歴代の背番号7番を背負った選手をご紹介
まずは、東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号7番をつけた選手をご紹介します。
年 度 | 年 数 | 球 団 名 | 選 手 名 |
---|---|---|---|
2005年~2011年 | 7年 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 山﨑武司選手 |
2012年~2017年 | 6年 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 松井稼頭央選手 |
2018年 | 1年 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 空白 |
2019年 | 1年 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 辰巳涼介選手 |
2020年~ | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 鈴木大地選手 |
2010年、イーグルス監督に就任した星野仙一氏の初仕事として岩村明憲選手と松井選手という二人の日本人メジャーリーガーがイーグルスへ入団しました。
塩川達也選手から譲られる形で慣れ親しんだ背番号1番を着用することになった岩村選手に対し、松井選手の渡米前、西武ライオンズ時代の代名詞でもあった7番は山﨑選手が使用していたので、松井選手の背番号は32番となりました。
32番は松井選手がライオンズ入団時に使用した番号で、ちょうど前任者の小坂誠選手が引退し空き番となっていたのです。
2011年オフに山﨑選手が退団すると、7番を松井選手が引き継ぎました。イーグルス時代には本塁打王などを獲得した山﨑選手の後ということもあり、「身が引き締まる思い」と語っていた松井選手。
2013年のイーグルス日本一には、数字では表せない貢献も含め、その存在価値は極めて絶大なものでした。何より、松井選手はやはり7番が良く似合いました。
2017年オフ、松井選手が退団します。一年の空白を経て2019年シーズンからは辰己選手が使用することに。
入団前に「目標は新人王」と語っていた辰己選手。絶対の自信がある守備では再三にわたり好プレーを連発。
さらには遠投125メートルという強肩を遺憾なく披露し、惜しくもゴールデングラブ賞は逃したものの、124試合に出場したのですから、言葉どおりの活躍を見せてくれたと言っていいでしょう。
そして2020年シーズンからは鈴木大地選手が7番を背負うこととなりました。
歴代背番号7番の3選手の経歴をご紹介
次に、背番号7番をつけてきた歴代の3選手をご紹介します。
山崎武司選手
出身地 愛知県知多市
投/打 右/右
プロ野球歴
中日ドラゴンズ(1987年~2002年)
オリックスブルーウェーブ(2003年~2004年)
東北楽天ゴールデンイーグルス(2005年~2011年)
中日ドラゴンズ(2012年~2013年)
タイトル等
本塁打王2回・打点王1回・ベストナイン3回
オールスター出場6回・オールスターMVP2回
中日時代、本塁打王に輝くなどチームの主砲として活躍していた山﨑選手、愛知県の名門・愛工大名電高時代から4番で捕手でした。
プロ入りも捕手としての入団でした。地元出身選手ということで期待度も高く、プロ入り3年目の1989年シーズン終盤には早くも一軍マスク、しかもスタメン起用されたほどです。
しかし、このことが二人の選手の運命を変えます。
シーズンも押し迫った10月16日。対広島東洋カープ戦でスタメンマスクを被った山﨑選手は、盗塁王を狙うカープ・正田耕三選手の餌食となります。
初回から盗塁を決められ、5回終了までに何と5盗塁を許します。たまらず当時中日の監督だった星野監督は捕手を中村武志選手に交代。そこから正田選手は1盗塁を決め、1試合6盗塁というプロ野球タイ記録を達成されてしまいました。
この試合以降、山﨑選手は捕手として起用されることはありませんでした。しかし、野手に転向したからこそ打撃に集中でき、結果本塁打王にまでなったのですから、山﨑選手にとって結果オーライでしたね。
もう一人、この試合によって運命が変わったのはヤクルトスワローズのルーキー・笘篠賢治選手です。この試合前まで盗塁ランキング1位だったのにあっさり正田選手に交わされ、新人王は獲得したものの、盗塁王は逃してしまいます。
そのせいという訳ではないのでしょうが、2年目以降成績が下降、ついには戦力外通告を受け、正田選手のいるカープに移籍しました。
外野手に転向し本塁打王を獲得した山﨑選手でしたが、本拠地がナゴヤドームに移って以降成績が下がってしまいます。
加えて首脳陣との確執が続き、2003年には志願してオリックスブルーウエーブに移籍。しかしここでも監督と衝突、山﨑選手は現役引退を視野に入れていました。
2005年、イーグルス初代監督に就任した田尾安志氏に慰留され、イーグルスへ移籍します。田尾監督の指導で前年4本塁打だったのが25本塁打を記録するまでに復活を遂げました。
しかし、田尾監督が1年で解任され、野村克也監督が就任すると聞いた山﨑選手は「野球観が合うはずがない。今度こそ引退の時だ」と思ったそうです。
しかし、ここからが最大のヤマ場だったのです。
野村監督から「配球を読む」・「考える野球」を叩き込まれた山﨑選手は2007年、38歳にして初の打点王と11年振りにして両リーグでの獲得となる本塁打王に輝きました。
その後もイーグルスの4番打者として、40歳を迎えてなお4番を務めていた山﨑選手でしたが、星野監督が就任すると出番が減少、現役引退を勧められたもののこれを拒否、古巣中日へと復帰します。
その後2年間現役を続け2013年、イーグルスの日本一を名古屋で見届け、44歳で現役を引退。ここまで現役生活を続けるとはと一番驚いているのは、実は山﨑選手本人なのかも知れませんね。
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松井稼頭央選手
出身地 大阪府東大阪市
投/打 右/両
プロ野球歴
西武ライオンズ(1994年~2003年)
ニューヨーク・メッツ(2004年~2006年)
コロラド・ロッキーズ(2006年~2007年)
ヒューストン・アストロズ(2008年~2010年)
東北楽天ゴールデンイーグルス(2011年~2017年)
埼玉西武ライオンズ(2018年)
タイトル等
MVP1回・盗塁王3回・ベストナイン7回・ゴールデングラブ賞4回
オールスター出場9回・オールスターMVP2回
松井選手は、大阪・PL学園高時代は投手でした。
1年生の春からベンチ入りはしていたものの、ケガで満足に投げられず、2年生時に出場したセンバツ大会でもそれは同じでした。
3年生最後の夏、地方予選会で決勝戦まで進みますが、近大付属高の金城龍彦選手(元横浜ベイスターズ他)に敗再び甲子園に帰る夢破れた松井選手。それでも西武から3位指名を受け、プロ野球選手となりました。
高校時代は投手とはいえ、フィールディングに自信のあった松井選手でしたが、プロは段違いのレベルと知り努力を重ねます。ショートの守備も、スイッチヒッターもプロ入りしてから習得しました。
努力のかいあり、プロ入り2年目の1995年には早くも一軍出場、以降渡米するまで二軍に落ちることなくプレーします。この年、出場69試合で21盗塁、失敗はわずか1つ、盗塁成功率.995という驚異的な数字を残します。
翌1996年には打率は3割に達し、62盗塁というハイレベルな数字で盗塁王を獲得しました。以降西武を退団する2003年まで7年連続で3割を達成。同時に全試合出場も果たしています。
2003年オフ、FA権を行使しニューヨーク・メッツに移籍。以降2006年からはコロラドロッキーズ、2008年からヒューストン・アストロズ、2010年にはロッキーズに復帰。7年間MLBでプレーし、計615安打を放つなど一定の活躍を果たしました。
2011年、イーグルス入団により8年振りにNPB復帰を果たしました。
復帰初年度の2011年からイーグルスのレギュラー遊撃手として活躍、打率は.260前後ながらその存在感でチームを牽引します。2012年からは主将に就任、37歳にして14盗塁を記録します。
2013年にはケガと上手く付き合いながら規定打席に到達、打率.248 11本塁打ながら数少ない優勝経験者としてチームに貢献しました。
また、アメリカ生活を経験したことを活かし、アンドリュー・ジョーンズ選手らをホームパーティでもてなすなどプレー以外でも支え、見事優勝を果たします。
その後、2014年からは外野手としてもプレーした松井選手は2015年から外野手登録となり、同年7月にはNPB通算2000本安打を達成します。これはMLBで7年間もプレーしていたことを考えれば驚異的な数字と言えます。さらには日米通算450盗塁も達成しました。
2017年までイーグルスでプレーした松井選手は2018年に古巣・西武に復帰し1年プレーして現役を引退しました。安打数は日米通算で2705安打。盗塁は日米で465個。まさにレジェンドと言える数字と記憶をファンに残して43歳で現役を終えました。
2019年からは西武二軍監督に就任、第二の松井稼頭央選手誕生に期待したいですね!
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辰己涼介選手
出身地 兵庫県神戸市北区
投/打 右/左
プロ野球歴 東北楽天ゴールデンイーグルス(2019年~)
辰巳選手は、兵庫県の杜高校出身です。1年生から外野手のレギュラーを獲得しますが、甲子園への出場は叶いませんでした。
大学は立命館大へ進学。ここでも1年生からレギュラーを掴みます。4年生の秋季リーグでは首位打者と盗塁王を獲得し、西学生野球リーグ歴代2位の記録となる通算122安打、打率.324という好成績を残しました。
加えて俊足と強肩を活かした外野守備にも定評があり、まさに走攻守揃ったドラフト会議の超目玉として、12球団全てからプロ入りに向けた調査書が届きました。
2018年のドラフト会議では1巡目指名で根尾昴選手ら高校生に指名が集中し、辰己選手の名前が呼ばれませんでしたが、いわゆる「ハズレ1位」指名入札では何と4球団が競合、抽選の結果イーグルスに入団することになりました。
辰己選手の競合に敗れた阪神タイガースが近本選手を指名し入団しましたが、辰巳選手の社高校時代の2つ先輩になります。先輩後輩が揃ってドラフト同期でプロ入りすることとなりました。
入団後はオコエ瑠偉選手との定位置争いとなります。2019年の開幕スタメンはオコエ選手が勝ち取りましたが、徐々に辰己選手も出番を増やしていきます。
調子を落とし4月中旬に2軍落ちするものの5月初めには復帰。以降はレギュラーとして起用され124試合に出場。オコエ選手は52試合の出場に留まったため、ひとまず定位置争いは辰己選手に軍配が挙がりました。
2019年の打率は.229。しかし13盗塁に加え、守備に就いた122試合でエラーがわずかに2つ、守備率.991という前評判通りの活躍を示した辰己選手でしたが、守備について「守備率10割を目指していたので悔しい」とのコメントが来年以降の辰己選手を暗示しています。
「俺はまだまだこんなもんじゃない」。辰巳選手の内なる叫びが聞こえてきそうです。
入団会見で山﨑・松井両選手が付けていた背番号7番を背負うことについて聞かれると「球団を代表するような選手が付けていた番号。自分もそうならなければならない」と答えていました。
2020年から背番号8番に変わりますが、その意気込みは変わらずに、激戦区となったイーグルス外野手争いを制し、日本を代表するような選手へと成長して欲しいですし、そうなると信じています。
背番号7をつけた選手の傾向とは?
山﨑選手の大活躍により、一気にステータスの上がったイーグルスの背番号7番。後を受けた松井選手がこれまた活躍したことにより、その地位は不動のものとなりました。
おいそれと選手に渡す番号ではないと球団が考えたのか、松井選手退団後の2018年は空き番。そして2019年、ドラフト1位で入団した辰己選手が満を持して引き継ぎます。
そして、2020年からは鈴木選手が背負うこととなりました。
この流れを改めて見ると、今後イーグルスの7番は、チームを、あるいは球界を代表するような可能性を秘めた選手、あるいは既にその域に達している選手が継承していきそうです。
こんなことを今から考えるのは不適切ではありますが、鈴木選手が引退、あるいは退団した後にはぜひもう一度辰己選手に7番を背負って欲しいです。
身体能力の塊のような辰己選手の守備を見ていると、渡米前、ライオンズで華麗な守備を披露していた松井選手のような華やかさを感じずにはいられません。
ボールがその選手のところに飛んでいっただけでワクワクするような守備を見せてくれる選手は久々に表れたような気がします。あのイチロー選手にも守備では匹敵するのでは、と考えています。
⇒東北楽天ゴールデンイーグルスの話題
そして、背番号の話題を始めとした野球の豆知識に関してはこちらをどうぞ
⇒野球の豆知識
おわりに
今回は、東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号7番を特集してきましたが、いかがだったでしょうか?
2020年からは、鈴木大地選手が7番をつけています。内野のレギュラーが固まっているイーグルスにあって、どう鈴木選手が入り込んでいくのか。
試合終盤になればなるほど、もつれればもつれるほど、良い意味での鈴木選手のジョーカーぶり、何でも出来るというユーティリティーさが、イーグルスの強さに直結するような気がしてなりません。
そして、千葉ロッテマリーンズ時代から定評があったリーダーシップ、楽天イーグルスでも貴重な選手としてなくたはならない存在とねるでしょう。
記念すべき球団創立15周年の2020年、イーグルス7年ぶりの優勝を予想するのは、悪くない読みのようです。
最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。