千葉ロッテマリーンズの背番号17番!歴代の17番の選手とその傾向を紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

現在のプロ野球界では、18番がエースナンバーというイメージが強いのではないでしょうか?そして準エースの背番号ともいえるのが17番で、多くの名投手がこの背番号を背負ってきました。

日本で初めて完全試合を達成した藤本英雄選手、背番号17番です。さらに背番号17番を背負った選宮地惟友選手、槙原寛己選手も完全試合を達成しています。

そして今年、新たにもう1人の背番号17番の選手が完全試合を達成しました。ご存じのとおり、佐々木朗希選手です。

今回は佐々木選手もつけている千葉ロッテマリーンズの背番号17番の特集です。歴代の17番の全選手や特に印象深い3選手、さらに17番をつけてきた選手の傾向にも迫っていきたいと思います。




歴代の背番号17番を背負った選手をご紹介

まずは、千葉ロッテマリーンズの背番号17番をつけてきた選手をご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1950年~1953年4年毎日オリオンズ萩原昭選手
1954年~1958年5年毎日オリオンズ~毎日大映オリオンズ和田功選手
1959~1965年7年毎日大映オリオンズ~東京オリオンズ中西勝己選手
1966年~1971年6年東京オリオンズ~ロッテオリオンズ佐藤元彦選手
1972年~1973年2年ロッテオリオンズ野村収選手
1974年~1978年5年ロッテオリオンズ金田留広選手
1979年~1981年途中3年ロッテオリオンズ福間納選手
1981年途中~1988年8年ロッテオリオンズ深沢恵雄選手
1989年~1992年4年ロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズ今野隆裕選手
1993年~2000年8年千葉ロッテマリーンズ武藤潤一郎選手
2001年~2004年4年千葉ロッテマリーンズ長崎伸一選手
2005年~2007年3年千葉ロッテマリーンズ手嶌智選手
2008年~2014年7年千葉ロッテマリーンズ成瀬善久選手
2015年1年千葉ロッテマリーンズ空白
2016年1年千葉ロッテマリーンズヤマイコ・ナバーロ選手
2017年~2019年3年千葉ロッテマリーンズ空白
2020年~千葉ロッテマリーンズ佐々木朗希選手

初代は萩原昭選手です。日本国籍ですが台湾出身で、オリオンズ創設に参加しました。主に内野手としてプレーしました。

2代目は和田功選手です。速球とドロップが持ち味の投手で3年連続で14勝以上をあげましたが、当時の酷使のためか現役生活は短めです。

3代目・中西勝己選手は、オリオンズ先発投手陣の一角を担った選手です。引退後は各球団で長年コーチも務めています。

4代・佐藤元彦選手は、慶應大・サッポロビールを経てオリオンズに入団しました。サイドスローを武器に先発・リリーフをこなしました。

5代目の野村収選手は、20年近い現役生活で4球団を渡り歩きました。NPBで史上初の全12球団から勝利を挙げた投手となっています。

6代目の金田留広選手は、昭和の大投手・金田正一選手の弟です。兄譲りの鉄腕で2度の最多勝を獲得しました。

7代目は福間納選手です。1度阪急からのドラフト指名を断った経験がある選手ですが、27歳にしてオリオンズに再指名され入団しました。




8代目は深沢恵雄選手です。福間選手とのトレードで入団しました。貴重なアンダースローの投手として先発投手陣を支えました。

9代目・今野隆裕選手は、プロ1年目から44試合に登板したスリークォーターの左腕で、リリーフをメインとした選手です。

10代目・武藤潤一郎選手は、ドラフト1位入団した投手で、大学・社会人・アメリカへの野球留学・台湾リーグなど多彩なキャリアを積みました。

11代目の長崎伸一選手は、天理高校時代に春の選抜での優勝経験のある投手です。プロでは14試合の登板にとどまりました。

12代目の手嶌智選手は、自由枠で入団しファームでは最多勝も獲得しましたが、1軍での登板は1試合でした。

13代目は成瀬善久選手です。平成のロッテを代表するエースの1人で、日本代表等にも選出経験があります。

14代目はヤマイコ・ナバーロ選手です。ドミニカ共和国出身の選手で、背番号17番としては珍しい野手登録の選手でしたが成績は振るいませんでした。

15代目は佐々木朗希選手です。ロッテでは最も期待される若手選手であり、将来は日本球界を背負うことが期待される選手の1人です。




背番号17番を背負って活躍した3選手のご紹介

次に、歴代の千葉ロッテマリーンズの背番号17番の選手のうち、私が特に印象深く思う、深沢選手、成瀬選手、そして佐々木選手をご紹介したいと思います。

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深沢恵雄選手

生年月日 1955年5月30日
出身地 山梨県身延町
投/打 右/右
プロ野球歴
阪神タイガース(1977年~1981年)
ロッテオリオンズ(1981年~1988年)
タイトル等 オールスター出場1回

深沢選手は、山梨県出身で峡南高校時代には2年時に甲子園出場も経験しています。卒業後は社会人の日本楽器でプレーし、2年目の都市対抗野球では河合楽器の補強選手として活躍しました。

同年のドラフト会議で阪神タイガースに5位指名を受けましたが、入団は翌年の都市対抗野球後の入団でした。

阪神では中継ぎなどで起用されましたが、目立った成績は残せませんでした。そんな中、5年目の1981年のシーズン途中に福間選手とのトレードでオリオンズへ移籍することとなります。

すると翌年には先発として9勝をあげ、さらに翌年の1983年にはチームトップの12勝をあげました。そして1984年にはキャリアハイとなる15勝をあげるなど1980年代のロッテ投手陣を支えました。

貴重なアンダースローの投手で、浮き上がるような直球と多彩な変化球が武器でした。しかし、投手としては制球力は高くなく球威も無いことから、失点は多めなのが欠点としてあげられます。

1988年にはそういう背景から戦力外となってしまい、現役続行を希望していましたが引退する運びとなりました。

タイトル獲得等はありませんでしたが、2022年現在で、歴代背番号17番の選手の中で最長タイとなる8シーズンで背番号17番を背負いました。

成瀬善久選手

生年月日 1985年10月13日
出身地 栃木県小山市
投/打 左/左
プロ野球歴
千葉ロッテマリーンズ(2004年~2014年)
東京ヤクルトスワローズ(2015年~2018年)
オリックス・バファローズ(2019年)
タイトル等 最優秀防御率1回・最高勝率1回・オールスター出場3回

成瀬選手は、横浜高校のイメージが強いですが出身は栃木県で、中学時代は地元中学で全国3位にも輝いています。そんな実績から名門・横浜高校に入学し選抜大会では1学年下の涌井選手らとともに準優勝に輝きました。

2003年高3時のドラフト会議では6位指名でロッテに入団します。

高卒ルーキーということもあり、プロ入り後の最初の2年は1軍登板がありませんでした。3年目で1軍昇格を果たすと、13試合に先発しローテーション争いに食い込みます。

そして圧巻だったのは4年目です。開幕から先発ローテーション入りすると年間を通じて調子を崩さずシーズンを終えます。16勝1敗、防御率1.82という好成績で、年間で与えた四死球はわずかに31でした。

沢村賞こそダルビッシュ選手に譲ったものの、この活躍で球界を代表する投手の仲間入りを果たしたと言っても良いでしょう。翌2008年には背番号を17番に変更し、北京五輪の日本代表にも選出され大会の奪三振王にも輝きました。

その後も6年間で5度の二桁勝利とロッテのエース格としてチームを代表する活躍を見せます。

成瀬選手の特徴としては平均球速は130キロ台と速球はないものの「招き猫投法」とも呼ばれるタイミングがとりずらく出所の見えないフォームと抜群の制球力を武器に打者をかわすピッチングが持ち味です。

しかし球威がないことから打者に捉えられる傾向が強く被本塁打数の多い選手でした。FAでヤクルトに移籍するもロッテ時代の全盛期からは程遠く、良くない部分ばかりが目立ってしまいました。

全盛期は長かったとは言えないかもしれませんが、インパクトのある選手だったことに間違いはありません。

佐々木朗希選手

生年月日 2001年11月3日
出身地 岩手県陸前高田市
投/打 右/右
プロ野球歴
千葉ロッテマリーンズ(2020年~)
タイトル等 完全試合1回・オールスター出場1回

佐々木選手は、ご存じの通り「令和の怪物」と言われています。岩手県陸前高田市出身の佐々木選手ですが、小学3年生の時の東日本大震災の津波で父と祖父母を亡くし、家も流されてしまいました。

それでも、移り住んだ大船渡市でも野球を続け、選手としての頭角を現します。中学時代から軟式で140キロを記録し、県内外の強豪校から声がかかりました。

しかし、地元の仲間と甲子園に行きたいという理由で大船渡高校に進学を決めました。

当時のチームはさほど強豪というわけではありませんでしたが、高1で147キロ、高2で157キロを計測し、その名は全国までとどろきます。

そして高3時の日本代表候補合宿では非公式ながら163キロを計測し「令和の怪物」と名付けられました。

高3時の夏の岩手県大会では惜しくも決勝で敗れてしまいましたが、その際佐々木選手は試合に出場せず、その起用法については大きな賛否両論がわきました。

ドラフト会議では4球団競合の末、ロッテが交渉権を獲得し入団します。背番号は17番となりましたが、将来的に170キロを投げて欲しいという期待も込められています。

プロ入り後の1年目は2軍戦も含めて登板がなく肉体強化の1年となりました。2年目には1軍デビューをすると11試合に先発し、まずまずの成績を残し、今後に期待を持たせてくれるシーズンとなりました。

そして3年目となる今年、開幕ローテーション入りを果たすと初戦で自己最速となる164キロ記録しました。さらに、登板3戦目には史上最年少での「完全試合」を達成します。

プロ野球新記録となる13者連続奪三振、プロ野球記録タイの毎回となる1試合19奪三振というおまけつきでした。なお、次の試合でも8回まで完全試合を継続するも打線の援護がなく途中降板しています。

話題に事欠かなく、一挙手一投足に注目が集まる将来の球界のエース候補です。そのポテンシャルにはメジャーも注目しており、佐々木選手の今後の活躍と成長は非常に楽しみです。




背番号17番をつけた選手の傾向とは?

千葉ロッテマリーンズの背番号17番つけてきた選手はほとんどが投手登録の選手でした。ナバーロ選手を除いて、日本人選手ばかりというのも特徴的です。

また、10年以上に渡って背番号17番を背負い、強い印象のある選手もいないのですが、1年だけで終わった選手もほとんどいないというのも面白いです。

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おわりに

今回は千葉ロッテマリーンズの背番号17番を特集してきましたがいかがだったでしょうか。

成瀬選手以降、間にナバーロ選手を挟みましたが、佐々木選手まで空白となっていたことから、日本人エースが背負う背番号というイメージが非常に強くなりました。

その佐々木選手は、近い将来ロッテだけではなく、日本のエースとなることが期待されています。今後の活躍に期待が膨らみますね。

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。