北海道日本ハムファイターズの背番号10番!歴代の10番の選手とその傾向を紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!
日本のプロ野球には、様々な輝かしい記録が達成されています。通算の記録では、金田正一選手の400勝や、王貞治選手の868ホームランが代表的です。

さらに、張本勲選手の3085安打も、非常に輝かしいですね!

今回は、そんな張本選手もつけた、北海道北海道日本ハムファイターズの歴代の10番の特集です。

歴代背番号10番をつけた全選手や特に印象深い3選手、さらに10番をつけてきた選手の傾向にも迫っていきたいと思います。




歴代の背番号10番を背負った選手をご紹介

まずは、北海道日本ハムファイターズの背番号10番をつけてきた選手をご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1946年1年セネタース松永英一選手
1946年~1947年2年セネタース~東急フライヤーズ柴田繁雄選手
1948年1年急映フライヤーズ藤原鉄之助選手
1949年1年東急フライヤーズ長持栄吉選手
1950年~1951年2年東急フライヤーズ保井浩一選手
1952年1年東急フライヤーズ空白
1953年~1954年2年東急フライヤーズ~東映フライヤーズ上野重雄選手
1955年1年東映フライヤーズ江藤晴康選手
1956年~1958年3年東映フライヤーズ林茂選手
1959年~1975年17年東映フライヤーズ~日本ハムファイターズ張本勲選手
1976年~1979年4年日本ハムファイターズ永淵洋三選手
1980年1年日本ハムファイターズ空白
1981年~1984年4年日本ハムファイターズ井上弘昭選手
1985年~1989年5年日本ハムファイターズ早川和夫選手
1990年~1994年5年日本ハムファイターズマット・ウィンタース選手
1995年~1996年2年日本ハムファイターズ山原和敏選手
1997年~1998年2年日本ハムファイターズ空白
1999年~2000年2年日本ハムファイターズマイカ・フランクリン選手
2001年~2007年7年日本ハムファイターズ~北海道日本日本ハムファイターズ木元邦之選手
2008年~2009年2年北海道日本ハムファイターズターメル・スレッジ選手
2010年~2011年2年北海道日本ハムファイターズブライアン・ウルフ選手
2012年1年北海道日本ハムファイターズターメル・スレッジ選手
2013年~2014年2年北海道日本ハムファイターズ赤田将吾選手
2015年~北海道日本ハムファイターズ清水優心選手

初代は松永英一選手です。慶應大から戦前のセネタースに入団、戦後も今のファイターズの前身となるセネタースの立ち上げに参加しました。

2代目は柴田繁雄選手です。台湾で生まれ育った選手で、シーズン途中で引退した松永選手の背番号10番を引き継ぎました。

3代目の藤原鉄之助選手は、戦中戦後のプロ野球黎明期に各球団で正捕手を務めた選手です。フライヤーズには1年の在籍でした。

4代目の長持栄吉選手は、豪快な性格とスライディングキャッチなどのファンサービスで人気を博した選手です。

5代目・保井浩一選手は、現役はわずか2年でしたが、その後30代で監督に就任し、コートやスカウトも歴任しました。

6代目・上野重雄選手は、5年間の現役生活でしたが、先発中継ぎで140試合以上に登板した右腕です。

7代目は江藤晴康選手です。南海時代にはシーズン24勝で最多勝も獲得した選手ですが、現役最終年のフライヤーズでは登板はわずかでした。

8代目は林茂選手です。控えの内野手として3年間背番号10番を背負いましたが、最終年は1軍出場もなく成績も振るいませんでした。

9代目の張本勲選手は、説明不要の大打者です。数々の偉業を打ち立て、通算3085安打は現在にまで残る金字塔です。

10代目の永淵洋三選手は、最多安打と首位打者のタイトルも獲得したことのある選手です。漫画「あぶさん」の主人公のモデルとしても知られます。

11代目・井上弘昭選手は、18年もの間現役を続けた選手で、全盛期の中日時代には最多安打のタイトルも獲得しました。

12代目・早川和夫選手は、大学社会人経由で即戦力として期待されて入団した外野手です。現役よりもコーチとしての年数が長い選手でした。

13代目はマット・ウィンタース選手です。メジャーでの実績はありませんでしたが、4年連続30本塁打を記録するなどの活躍を見せました。

14代目は山原和敏選手です。ドラフト1位指名で入団しましたが怪我に悩まされました。台湾リーグでもプレイ経験があります。

15代目のマイカ・フランクリン選手は、アメリカ出身の選手です。入団初年は低打率ながらも30本塁打を放つなどの活躍も見せました。

16代目の木元邦之選手は、俊足巧打の内野手です。一時は3割近い打率と2桁本塁打で中軸も担った選手です。

17代目のターメル・スレッジ選手は、「スレッジ・ハンマー」の愛称がついた長距離砲です。1度退団した後、横浜を経て再度日ハムに復帰しました。

18代目・ブライアン・ウルフ選手は、160キロ近い速球を武器にした先発投手です。日本では3球団で9年間プレーしました。

19代目は、17代目に続きターメル・スレッジ選手がつけました。残念ながら怪我により1年で退団となっています。

20代目・赤田将吾選手は、身体能力の高いスイッチヒッターです。長年西武でプレーしましたが晩年は日本ハムでもプレイーました。

21代目は清水優心選手です。高卒捕手として入団以降、背番号10番を背負っています。強肩が持ち味で正捕手を目指します。




背番号10番を背負って活躍した3選手のご紹介

次に、歴代の日本ハムファイターズの背番号10番の選手のうち、私が特に印象深く思う、張本選手、ウィンタース選手、そして清水選手をご紹介したいと思います。

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張本勲選手

生年月日 1940年6月19日
出身地 広島県広島市
投/打 左/左
プロ野球歴
東映フライヤーズ~日本ハムファイターズ(1959年~1975年)
読売ジャイアンツ(1976年~1979年)
ロッテオリオンズ(1980年~1981年)
タイトル等 首位打者7回・最高出塁数9回・最多安打3回
新人王・MVP1回・ベストナイン16回・オールスター出場18回・野球殿堂表彰

韓国人の両親を持つ張本選手は、広島で生まれ育ちました。幼少期には原爆も経験するなど、過酷な環境で育ち一歩間違えば道を踏み外していたヤンチャな少年でした。

しかし、生活を変えるために野球に打ち込むと、その才能を開花させます。

当初は現在の瀬戸内高校に進学しますが、浪華商業高校に転校します。

オーバーワークにより投手の道は断念することとなりましたが、転校直後から4番に座りました。そして、ドラフトが無かった当時は複数球団からの誘いを受け、東映フライヤーズへ入団することとなりました。

入団後は1年目から開幕スタメンを掴むと、シーズン途中には4番にも座り新人王を獲得します。2年目には打率3割を記録、3年目には打率.336で21歳の若さで首位打者に輝きました。

その後の活躍については説明不要なくらいの圧倒的成績です。

7度の首位打者はイチロー選手に並んで最多タイ記録で、まさに「安打製造機」と呼ぶにふさわしい成績です。

入団以降、20年連続の100安打以上、2桁本塁打など大きな怪我がなく継続して成績を残せたのが偉大な成績につながっています。

シーズン30本以上の本塁打を放つことも珍しくない張本選手でしたが、同年代には野村克也選手がおり意外にも本塁打王や打点王のタイトルの獲得はありません。

それでも通算本塁打では歴代7位となる504本塁打を放っており、よく比較されるイチロー選手よりも長距離砲だったことが際立ちます。

実力のある選手のメジャー挑戦が増えた現代、張本選手の通算3085安打は今後も長く記録として残りそうです。




マット・ウインタース選手

生年月日 1960年3月18日
出身地 アメリカ・ニューヨーク州
投/打 右/左
プロ野球歴
カンザスシティ・ロイヤルズ(1989年)
日本ハムファイターズ(1990年~1994年)
タイトル等 オールスター出場2回

ウィンタース選手は、アメリカ出身の選手です。高校時代にヤンキースからドラフト指名を受け入団しますが、10年ほどのマイナー生活が続きます。

1989年にメジャー初昇格しますが、翌年からはプレーの場を日本に変え、日本ハムに入団することとなりました。

1年目から持ち前の長打力を発揮し、4番に座ります。

4年連続で30本塁打と、助っ人外国人としては申し分のない成績を残しましたが、当時は西武にデストラーデ選手、近鉄にブライアント選手という屈指の選手がおり、本塁打王の獲得はありませんでした。

入団5年目の1994年は、打率.260、22本塁打、81打点という成績で、悪くはない成績でしたが、前の4年からは下降気味というのは明らかであり、同年限りで現役を引退することとなりました。

「野球はエンターテイメントであり、(プレーでもパフォーマンスでも)観客を喜ばせることこそ自分の仕事」と語りプレー以外のファンサービスやパフォーマンスでもファンを喜ばせた選手です。

踊るパフォーマンスが多かったことから「踊るホームラン王」の愛称もつきました。そんなウィンタース選手を当時の大沢監督も気に入り、不動の4番として起用したのです。

清水優心選手

生年月日 1996年5月22日
出身地 山口県周防大島町
投/打 右/右
プロ野球歴
北海道日本ハムファイターズ

清水選手は、山口県出身で中学時代までは地元のクラブチームでプレーしましたが高校は名門・九州国際大付属高校に進学し、1年春からレギュラーを掴みます。

当時のチームメイトには、古澤選手、アドゥア大選手らもおり、甲子園にも出場しました。

2014年のドラフト会議ではファイターズから2位指名を受け入団します。

1~2年目は1軍出場こそほとんどありませんでしたが、2軍のキャッチャーとしては最多出場するなど着実に力をつけます。

そして3年目の2017年以降は1軍定着を果たし、正捕手争いを続けています。

現代のプロ野球界では、圧倒的に捕手としての能力が優れていたり、打力がある場合を除き正捕手を固定せず、投手によって捕手を変えるケースも多いというのも背景にはあります。

打力こそ目立った数字はありませんが、1塁到達1.78秒の送球や遠投115mという強肩が持ち味です。

入団以降、大きな活躍はありませんが、歴代の背番号10番の選手では張本選手に次いで2番目の長さとなりました。

年齢的にも脂の乗った年齢になってきましたので、更なる活躍を期待したいです。




背番号10番をつけた選手の傾向とは?

日本ハムファイターズの歴代背番号10番の選手は、投手・捕手・内野手・外野手とまんべんなく登録がありました。

特に張本選手が17年間も着用し、偉大な成績も残したことから、以降は安打数を残せるタイプの期待の選手に受け継がれていくものかと思われましたが、意外な結果となりました。

これには球団の方針等もありますので何とも言えませんが、少し寂しい気もします。

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終わりに

今回は北海道日本ハムファイターズの背番号10番を特集してきましたがいかがだったでしょうか。

ポジション等には特に縛りのようなものはありませんでしたが他球団での実績があったり、ドラフト上位指名の選手、助っ人外国人選手などが背番号10番を着用しており、間違いなく球団からの期待の高さは伺えます。

期待された選手が期待に見合った成績を残せるかは未知数の部分も大きいので、今後もファイターズの10番に注目したいです。

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。