東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号12番!歴代の12番の選手とその傾向を紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

プロ野球界においては、若い背番号を背負うということがステータスでもあり憧れでもあります。

楽天ゴールデンイーグルスでも例外でなく、ファンの背番号として指定されている10番を除き、若い背番号はチームの中心選手が使用しています。

今回は東北楽天ゴールデンイーグルスの歴代の12番の特集です。歴代背番号12番をつけた全選手や特に印象深い3選手、さらに12番をつけてきた選手の傾向にも迫っていきたいと思います。




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歴代の背番号12番を背負った選手をご紹介

まずは、東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号12番をつけてきた選手は6人となります。まずは、その6人をご紹介します。

年 度年 数球 団 名選 手 名
2005年1年東北楽天ゴールデンイーグルス小林宏
2006年~2012年7年東北楽天ゴールデンイーグルス草野大輔
2013年~2014年2年東北楽天ゴールデンイーグルス空白
2015年~2016年2年東北楽天ゴールデンイーグルスケニー・レイ
2017年1年東北楽天ゴールデンイーグルス空白
2018年~2020年3年東北楽天ゴールデンイーグルス近藤弘樹
2021年1年東北楽天ゴールデンイーグルスルスネイ・カスティーヨ
2022年1年東北楽天ゴールデンイーグルスホセ・マルモレホス
2023年~東北楽天ゴールデンイーグルス空白

初代は小林宏選手です。オリックス時代には開幕投手も務めた経験があります。分配ドラフトで楽天に加入しました。

2代目は草野大輔選手です。俊足巧打に加え、内外野を守れるユーティリティープレーヤーとして初期の楽天を支えました。

3代目のケニー・レイ選手は、一度楽天を戦力外となった後、40歳にして入団テストを受け復帰した投手です。

4代目の近藤弘樹選手は、2017年のドラフトで外れクジながら1位入団した選手です。しかし結果を残せず、3年でヤクルトに移籍となりました。

5代目・ルスネイ・カスティーヨ選手は、キューバ出身の外野手です。メジャーやマイナーでの経験も豊富な選手でしたが33試合の出場にとどまりました。

6代目・ホセ・マルモレホス選手はドミニカ出身の選手です。主砲として期待されましたが打率が伸びずに1年で退団となりました。




背番号12番を背負って活躍した3選手のご紹介

次に、歴代の東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号12番の選手のうち、私が特に印象深く思う、小林選手、草野選手、そしてレイ選手をご紹介します。

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小林宏選手


*オリックス時代となります。

生年月日 1970年11月30日
出身地 広島県廿日市市
投/打 右/右
プロ野球歴
オリックス・ブルーウェーブ(1993年~2004年)
東北楽天ゴールデンイーグルス(2005年)
タイトル等 オールスター出場1回

広島出身の小林選手は、崇徳高校、広島経済大学でプレーしました。

高校時代は軟式野球部で、大学時代も3年までは野手でしたが、投手が次々と故障したことから緊急登板して好投したことから本格的に投手転向し、大学4年時にはオリックスにドラフト1位を受けるという異色の経歴の持ち主です。

広島経済大では小林選手が初のプロ野球選手となりました。

プロ1~2年目はリリーフを中心に試合に登板し、経験を積みます。

そして3年目には阪神淡路大震災で大きな被害を受けた本拠地・神戸で「がんばろうKOBE」のスローガンのもとにチームは躍進、小林選手も8勝3敗、防御率2.68の好成績を残しました。

その後は、リリーフとして15セーブを挙げた翌年に先発として10勝を挙げるなど、先発、中継ぎとチーム事情や場面によって起用され続けます。

成績は下降気味で迎えた2004年オフには、所属していたオリックスと近鉄が合併することになり、小林選手は分配ドラフトで新設球団の楽天への入団が決定しました。

記念すべき新規球団の初の背番号12番を背負う選手となりましたが、楽天では全盛期の投球を披露することはできず、1年で退団・現役引退となりました。

引退後は10年以上オリックスのコーチを務めました。

草野大輔選手

生年月日 1976年12月4日
出身地 宮崎県延岡市
投/打 右/左
プロ野球歴
東北楽天ゴールデンイーグルス(2006年~2012年)
タイトル等 オールスター出場1回

宮崎県出身の草野選手は、延岡学園高校時代にショートのレギュラーで甲子園に出場しています。高校卒業後はNTTグループにて野球を続けますが、25歳の時にチームの解散を機にホンダ熊本に移籍しました。

2002年には都市対抗野球準優勝に大きく貢献し、その後はアマチュア日本代表に度々選出されるなど、社会人野球を代表する選手に内野手として活躍します。

そんな中、2005年のドラフト会議で楽天から8位指名を受けました。

年齢的にプロ野球選手になることは諦めかけていた中での下位指名だったので入団するか悩みましたが、高校の先輩でもある黒木知宏選手に相談し、29歳でのプロ入りを決断しました。

プロ1年目は1軍定着することはできませんでしたが、2軍では好成績を残します。2年目に開幕スタメンを掴むと、シーズン終盤には3番に定着し、規定打席未到達ながら打率.320の成績を残しました。

以降はシーズンを通して1軍で試合出場したシーズンは無いものの、複数ポジションを守れるユーティリティ性や巧打でチームに大きく貢献しました。

中でも2009年には初の規定打席に到達し、打率.305や54打点などキャリアハイの成績を残し、オールスターにも出場するなどチームの中心選手ともいえる活躍をしました。

その後、高齢化や新入団選手の台頭などもあり2012年シーズンをもって現役引退となりました。

オールドルーキーということで全盛期を含めた現役生活が短かった選手ですが、戦力が不安定な時期の楽天で記憶に残る活躍をしてくれた選手でした。

ケニー・レイ選手

生年月日 1974年11月27日
出身地 アメリカ・ジョージア州
投/打 右/右
プロ野球歴
カンザスシティ・ロイヤルズ(1999年)
アトランタ・ブレーブス(2006年)
東北楽天ゴールデンイーグルス(2013年、2015年~2016年)

レイ選手はアメリカ出身の投手です。高校時代の1993年にロイヤルズからドラフト指名されると、マイナーリーグからキャリアをスタートさせます。

1999年にロイヤルズでリリーフ投手としてメジャー初昇格しますが、目立った成績は残せませんでした。その後、マイナーリーグや独立リーグでプレイを続け、2006年にはブレーブスで7年ぶりのメジャーの舞台に立ち、シーズン69試合に登板するなどの活躍がありました。

マイナーリーグ、メキシコリーグ、台湾リーグを渡り歩いた後、2013年シーズン途中に楽天に入団し日本球界デビューとなりました。

先発を中心に起用されましたが、打球を顔面に受け骨折し、わずか5試合の登板にとどまりました。

そのシーズンをもって退団となりましたが、2014年オフにかつてのチームメイトだったハウザー選手と入団テストを受け、2015年シーズンから楽天に復帰することが決定します。

2015年の開幕当初は先発での起用が続き、自身開幕4連勝と好スタートを切りました。40代投手の開幕4連勝は村田兆治選手を抜いて歴代最高記録となりました。

翌年にはパリーグの現役最年長投手となりましたが、良い成績を残すことができず自由契約となってしまいます。

長年のマイナー生活やメキシコや台湾などでプレーすることになっても、強く現役生活にこだわったという印象の強い投手でした。




背番号12番をつけた選手の傾向とは?

東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号12番は、球団の歴史が短いということもあり、他の背番号と同様、使用した選手数が少なく絶対的な傾向というのはありません。

しかし、助っ人外国人選手が3名というのが特徴的かもしれません。

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おわりに

東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号12番を特集してきましたが、いかがだったでしょうか?

私がこれまで使用してきた選手の中で最も印象的な選手は草野選手です。

今後どのような選手が背負いどんな活躍をしてくれるのかを楽しみにしたいと思います。