こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!
日本球界で最も歴史の古い球団の1つでもある読売ジャイアンツにはいくつかの永久欠番となっている背番号があります。王選手の1番、長嶋選手の3番、黒沢選手の4番、沢村選手の14番、川上選手の16番、金田選手の34番です。
一桁背番号の若い番号は永久欠番に指定されている番号が多く、巨人では一桁背番号の重みは他球団以上とも言えます。
そんな中、今回は読売ジャイアンツの背番号5番を特集いたします。歴代の5番の全選手や、特に印象深い3選手、さらに5番をつけてきた選手の傾向にも迫っていきたいと思います。
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歴代の背番号5番を背負った選手をご紹介
まずは、読売ジャイアンツの背番号5番をつけてきた選手をご紹介します。
年 度 | 年 数 | 球 団 名 | 選 手 名 |
---|---|---|---|
1935年 | 1年 | 東京巨人軍 | 苅田久徳 |
1936年~1938年 | 3年 | 東京巨人軍 | 伊藤健太郎 |
1939年~1941年 | 3年 | 東京巨人軍 | 空白 |
1942年~1943年 | 2年 | 東京巨人軍 | 伊藤健太郎 |
1944年~1945年 | 2年 | 東京巨人軍 | 空白 |
1946年~1946年途中 | 1年 | 読売ジャイアンツ | 楠安夫 |
1946年途中~1952年 | 7年 | 読売ジャイアンツ | 内堀保 |
1953年~1958年 | 6年 | 読売ジャイアンツ | 岩本堯 |
1959年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | 那須静雄 |
1960年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | 野口元三 |
1961年~1962年 | 2年 | 読売ジャイアンツ | 渡海昇二 |
1963年~1967年 | 5年 | 読売ジャイアンツ | 柳田利夫 |
1968年~1974年 | 7年 | 読売ジャイアンツ | 黒江透修 |
1975年~1976年 | 2年 | 読売ジャイアンツ | デイブ・ジョンソン |
1977年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | ジャック・リンド |
1978年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | 鈴木康友 |
1979年~1986年 | 8年 | 読売ジャイアンツ | 河埜和正 |
1987年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | ジョン・パセラ |
1988年~1996年 | 9年 | 読売ジャイアンツ | 岡崎郁 |
1997年~2005年 | 9年 | 読売ジャイアンツ | 清原和博 |
2006年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | ジョー・ディロン |
2007年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | ルイス・ゴンザレス |
2008年~2011年 | 4年 | 読売ジャイアンツ | アレックス・ラミレス |
2012年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | 空白 |
2013年~2014年 | 2年 | 読売ジャイアンツ | ホセ・ロペス |
2015年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | フレデリク・セペダ |
2016年~2017年 | 2年 | 読売ジャイアンツ | ジョーンズ・ギャレッド |
2018年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | アレックス・ゲレーロ |
2019年~2023年 | 5年 | 読売ジャイアンツ | 中島宏之 |
初代は苅田久徳選手です。巨人軍入団選手の第2号で「投の沢村栄治、打の景浦将、守の苅田」と呼ばれた守備の名手です。
2代目は伊藤健太郎選手です。巨人の黎明期を支えた外野手でした。
3代目の楠安夫選手は、戦後巨人に復帰し背番号5番を背負いましたが、結核の診断によりシーズン前に退団しています。
4代目の内堀保選手は、戦前戦後の巨人の正捕手で、全盛期の沢村栄治の投球を受けた生き証人でした。
5代目・岩本堯選手は、俊足巧打の外野手として入団1年目から中心選手として活躍しました。
6代目・那須静雄選手は、巨人に3年間在籍した外野手ですが、1軍出場は2試合にとどまりました。
7代目は野口元三選手です。甲子園で活躍した捕手ですが、正捕手の森選手がいたこともあり出場機会には恵まれませんでした。
8代目は渡海昇二選手です。入団1年目から外野の準レギュラーとして一軍定着し、1番打者として抜擢されたこともありました。
9代目の柳田利夫選手は、内外野を守れるユーティリティプレーヤーとして、在籍した大毎・巨人・南海で重宝された選手です。
10代目の黒江透修選手は、1960年代~1970年代の巨人の中心選手として活躍しました。引退後は6球団でコーチや監督を務めました。
11代目・デイブ・ジョンソン選手は、巨人初のMLB出身野手です。王貞治選手とハンク・アーロン選手とチームメイトだった唯一の選手です。
12代目・ジャック・リンド選手は、ジョンソン選手の後釜として期待され入団しましたが、1年で退団となりました。
13代目は鈴木康友選手です。高卒入団選手として異例の背番号5番で入団しましたが、1年でショートのレギュラー河埜選手に背番号5番を譲りました。
14代目は河埜和正選手です。巨人一筋17年で活躍しました。守備や走塁、小技でチームに貢献しました。
15代目のジョン・パセラ選手は、メジャー経験もある投手でシーズン途中に入団しましたが、試運転の2軍戦でも調子が上がらず1軍での登板はありませんでした。
16代目の岡崎郁選手は、1980年代~1990年代に中心選手として活躍し、4番などの中軸を担ったシーズンもありました。
17代目・清原和博選手は、言わずと知れた球史に残る大打者です。成績もさることながら華のある選手でした。
18代目・ジョー・ディロン選手は、清原選手の後釜として期待されましたが、腰痛などに悩まされ結果を残せませんでした。
19代目はルイス・ゴンザレス選手です。瞬間的には活躍したものの、外国人選手枠の問題や自身のドーピング問題で契約解除されました。
20代目はアレックス・ラミレス選手です。日本球界で最も活躍した外国人選手の1人で、外国人選手初の2000本安打も記録しています。
21代目のホセ・ロペス選手は、巨人時代もゴールデングラブ賞を受賞するなど活躍しましたが、移籍した横浜での活躍の方が印象的です。
22代目のフレデリク・セペダ選手は、キューバリーグではかなりの活躍をした選手ですが、日本球界への対応は苦しむ形となりました。
23代目・ギャレッド・ジョーンズ選手は、1年目こそ活躍を見せたものの、2年目は外国人選手枠の兼ね合いで試合出場はありませんでした。
24代目・アレックス・ゲレーロ選手は、中日時代に本塁打王も獲得したことのある長打が持ち味のパワーヒッターです。
25代目は中島宏之選手です。西武時代は球界屈指の打てるショートとして活躍しました。2023年限りで巨人を退団しました。
背番号5番を背負って活躍した3選手のご紹介
歴代の読売ジャイアンツの背番号5番の選手のうち、私が特に印象深く思う、岡崎選手、清原選手、そしてラミレス選手をご紹介します。
岡崎郁選手
出身地 大分県大分市
投/打 右/左
プロ野球歴
読売ジャイアンツ(1980年~1996年)
タイトル等 ゴールデングラブ賞1回・オールスター出場4回
大分県出身の岡崎選手は、大分商業高校時代に春夏の甲子園に出場するなど活躍しました。そんな活躍もあり、1979年のドラフト会議で巨人に3位指名を受けます。
本人は法政大への進学を希望していましたが、長嶋茂雄監督の説得もあり入団に至りました。
入団当初はベテラン内野陣の牙城を崩せなかったのと自身の体調不良もあり、支配下登録を外れたこともありました。
入団6年目の1985年に再び支配下登録されると、シーズン終盤にレギュラー争いで優位に立ち、定位置を確保します。そしてこの年から10年に渡って巨人軍の中心選手として活躍をしていきます。
1989年には駒田選手との6番、7番コンビで第2クリーンナップとして他球団に恐れられるようになり、自身初の規定打席に到達と2桁本塁打などの活躍でオールスターにも出場しました。
翌、1990年には打率.289を記録しただけでなく三塁手のゴールデングラブ賞も獲得し、勝負強い打撃だけでなく守備でも評価を受けることとなります。
その後の活躍の中では、3試合のみながら4番に座った試合もありチーム58代目の4番打者として歴史に名を刻みました。
年齢的にベテランの域になると打撃成績の低下や、元木選手や仁志選手の台頭により出場機会が減り、1996年に現役引退となりますが、その背番号5番はFA加入した清原選手に受け継がれることとなりました。
華々しい活躍はありませんでしたが、勝負強さが光る打者でした。
また巨人の歴代背番号5番の選手の中では最長タイとなる9シーズンに渡って使用したことにより「背番号5番=強打者」のイメージを強くする形となりました。
清原和博選手
出身地 大阪府岸和田市
投/打 右/右
プロ野球歴
西武ライオンズ(1986年~1996年)
読売ジャイアンツ(1980年~1996年)
オリックス・バファローズ(2006年~2008年)
タイトル等 最高出塁率2回・最多勝利打点1回
新人王・ベストナイン3回・ゴールデングラブ賞5回・オールスター出場18回
日本球史に残る活躍を残した清原選手。その活躍やエピソードを挙げればキリがありません。主に巨人時代の活躍や成績についてご紹介したいと思います。
PL学園高校時代から甲子園で大活躍した清原選手。5期連続の甲子園出場で放った通算13本塁打は現在まで破られていない大記録です。
涙のドラフトを経て西武に入団することとなりますがここでも新人時代から活躍見せます。高卒ルーキーでの打率.304、31本塁打、78打点はNPB記録となっています。
西武の主砲として11年プレーした後、FA権を獲得し念願の巨人移籍が決定します。
巨人では主に4番に座り、シーズン2桁本塁打を20年連続まで伸ばすなど長打力で活躍を見せますが、三振が多く打率が低かったことや怪我が増えたことで、チームやファンの期待に確実に応えられたとはいい難い状況でした。
バッシングを受けたり応援ボイコットを受けるなど悔しい経験もありました。それも清原選手の実績やポテンシャルが相当なものであり、それに比べると成績が物足りないということでしょう。
そんな中でもプロ16年目となる2001年には打率.298、29本塁打、121打点と全盛期とそん色のない成績をおさめ、121打点はキャリアハイの成績でした。
巨人在籍9年間の間には節目となる2000本安打に400本塁打、500本塁打を記録しただけでなく、オールスターMVP2回などお祭り男ぶりは健在で、記録だけでなく記憶に残る活躍がありました。
巨人退団後はオリックスを経て現役引退となります。引退後は自身のスキャンダル等もありましたが、復帰後は徐々に日本球界へのつながりを深めています。
夏の甲子園に清原選手の息子の勝児選手が出場した際には、清原コールや大歓声があがったりするなどいまだに清原選手の人気が高いことが伺えました。
アレックス・ラミレス選手
出身地 ベネズエラ
投/打 右/右
プロ野球歴
クリーブランド・インディアンス(1998年~2000年途中)
ピッツバーグ・パイレーツ(2000年途中~2000年)
ヤクルトスワローズ~東京ヤクルトスワローズ(2001年~2007年)
読売ジャイアンツ(2008年~2011年)
横浜DeNAベイスターズ(2012年~2013年)
タイトル等 首位打者1回・本塁打王2回・打点王4回・最多安打3回
最優秀選手2回・ベストナイン4回・オールスター出場8回
ラミレス選手は助っ人外国人選手でも屈指の成績を残した選手です。
ベネズエラ出身のラミレス選手ですが、18歳の時に国内選手権に出場していたところが、インディアンスのスカウトの目に留まりマイナー契約を結びます。
インディアンス、パイレーツでプレイ後、2001年からヤクルトで日本球界デビューしました。
ヤクルトでは入団初年度から主力打者として大活躍を見せました。在籍7年間の間で、最多安打2回、ホームラン王1回、最多打点2回と数々のタイトルを獲得します。
中でも2003年は打率.333で打率2位、40本塁打でホームラン王、124打点で打点王と三冠王に近い成績を残しました。2007年オフにヤクルトの残留交渉が決裂し、2008年から巨人に移籍することとなりました。
巨人1年目にも全試合に主軸として出場し、打率.319、45本塁打、125打点という好成績を残します。
翌2009年には打率.322で首位打者を獲得、2010年には49本塁打でホームラン王、129打点で打点王を獲得など、毎年のように打撃タイトルを獲得する抜群の安定した打撃成績を見せました。
2010年には8年連続でのシーズン100打点を達成し、王貞治選手の7年連続を上回りプロ野球新記録を樹立しました。さらに自身4度のシーズン120打点は、松中選手と並んで最多タイ記録となっています。
2011年には4番としての連続先発出場記録を416試合として、松井秀喜選手の記録を抜き球団新記録を達成。
さらに8月にはタフィ・ローズ選手の1792安打を抜くNPB1793安打目を放ち、歴代外国人選手の通算最多安打記録を更新しました。
巨人でも変わらず好成績を残していたラミレス選手でしたが、2011年から統一球の導入でプロ野球界全体の打撃成績が低下し、チームも守備面を重視する方向へシフトしていきました。
結果として巨人での地位が絶対的なものではなくなり横浜へ移籍することとなります。
横浜では2年プレーしましたが、その間には外国人選手枠で入団した選手としては史上初となるNPB通算2000本安打を達成しています。
独立リーグでのプレーを経て横浜の監督に就任し、チームを初のCS出場に導くなども手腕を見せました。
助っ人外国人選手として名実ともに歴代最高とも言える成績もさることながら、明るい性格やホームラン後のパフォーマンスなどで非常にファンに愛された選手でした。
背番号5番をつけた選手の傾向とは?
読売ジャイアンツの背番号5番は、内野を守る選手が多いことがわかりました。歴史のある読売ジャイアンツの一桁背番号の割には比較的入れ替わりが多いこともわかりました。
そんな中でも岡崎選手、清原選手といった主力級打者がそれぞれ9年間背番号5番を背負って以降、主砲として期待される外国人選手が背番号5番を背負う傾向が顕著になったと言えます。
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おわりに
今回は、読売ジャイアンツの背番号5番を特集してきましたが、いかがだったでしょうか。
巨人の次の背番号5番は内野手がつけてきた傾向がありましたが、今後も同じように内野手の背番号となるのか注目です。