こんにちは、みっつです。
野球で背番号3番というと、どのようなイメージがありますか?1と並んでチームの中心選手がつけている、というイメージがあるかもしれませんね。
プロ野球で背番号3番をつけていた選手をみても、凄い選手ばかりがつけている感じがします。
今回は、野球で背番号3番はそのような意味があるのか、プロ野球とアマチュア野球にわけて解説していきます。
背番号3番をつけて大活躍したプロ野球選手もご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。
■目次(クリックすると飛びます)
プロ野球での背番号3番の意味
日本のプロ野球で、背番号3番の代名詞といえば長嶋茂雄さんですね!
「ミスター・ジャイアンツ」「燃える男」さらには、「ミスタープロ野球」と賞賛され、日本プロ野球の歴史において、もっとも偉大な選手です。
長島選手がこれほどまで高い評価を得ている理由のひとつに、プロとしてファンを魅了するプレーの数々にあります。
ファンに感動を与えるプレーはタイトルや記録には残らないことも多くあります。
例えば、長島選手の生涯打率は3割5厘です。ランナーがいないときの打率は2割9分4厘ですが、ランナーが3塁にいるときの打率は3割4分7厘にまであがり、満塁のときの打率も3割3分と高い数字を残しています。
このような事から、背番号3番をつける意味は、チャンスに強く、ファンを魅了するスター選手に与えられる番号といえます。
プロ野球の背番号3番の意味は、まさに長島選手が作り上げたといえるのです。
また、出世番号の意味もあり、球団としては期待の若手選手に背番号3番を与える傾向もあります。
ちなみに、読売ジャイアンツ長島選手の背番号3番は永久欠番となっています。
アマチュア野球での背番号3番の意味
高校野球では各ポジションにより背番号が割り当てられていて、背番号3番は一塁手をあらわしています。
その一方、大学野球や社会人野球では背番号の選択は自由です。
大学野球や社会人野球で好んで背番号3番をつける選手は、国民的スターの長島茂雄選手に憧れている人が多くいます。
長島選手が後輩たちに残した、偉業の大きさのあらわれです。
プロ野球での主な背番号3番の選手
次に、プロ野球で背番号3番をつけて大活躍した選手を、5人ご紹介しますね。
衣笠祥雄選手
生年月日 1947年1月18日
出身 京都府出身
投/打 右/右
プロ野球歴 広島東洋カープ(1965年~1987年)
タイトル 打点王1回
盗塁王1回
表彰歴 MVP1回
「鉄人の男」として喩えられる衣笠選手は、実に17年間に渡り一日も休むことなくグラウンドに立ち続けました。
連続試合出場として積み上げられた2215の数字は、偉大な世界記録として国民から大きな賞賛が送られました。
衣笠選手は引退した年、国民栄誉賞を受賞し、1996年には野球殿堂入りも果たしています。
榎本喜八選手
生年月日 1936年12月5日
出身 東京都出身
投/打 左/左
プロ野球歴 大毎(1955年~1963年)
東京オリオンズ(1964年~1968年)
ロッテオリオンズ(1969年~1971年)
西鉄ライオンズ(1972年)
タイトル 首位打者2回
最多安打4回
表彰歴 新人王
榎本選手は背番号3番をつけた往年の名選手のなかでも、特に記憶に残る選手です。
高校卒業の新人としては類まれなバッティング・センスを発揮し、1年目から活躍をした選手です。
榎本選手が入団1年目に記録した安打数・打点は高校卒業の新人としての新記録でした。
また「元祖、安打製造機」と呼ばれ、極めた打撃から生み出された安打数は、通算2314本になります。
抜群の選球眼の持ち主でもあり、プロ1年目に受けた97の四死球は、今なお新人の最多記録として残っています。
立浪和義選手
生年月日 1969年8月19日
出身地 大阪府
投/打 右/左
プロ野球歴 中日ドラゴンズ(1988年~2009年)
タイトル 特になし
立浪選手は現役時代に「ミスター・ドラゴンズ」と呼ばれ、中日ドラゴンズの背番号3番として一番印象深い選手です。
高校野球の名門PL学園で主将を務めると、甲子園では春夏連覇を果たし、その年のドラフト1位で入団したエリート選手です。
入団1年目には新人王を獲得、中日ドラゴンズ一筋に22年間プレーをし、通算2480本の安打を放ちました。
ちなみに、二塁打の通算本数487は、日本歴代1位の記録です。
立浪選手の引退後、「ミスター・ドラゴンズ」の後継者として背番号3番をつける選手が、その番号の重さから辞退をするなど、なかなか決まらないエピソードが残っています。
長池徳二選手
生年月日 1944年2月21日
出身地 徳島県
投/打 右/右
プロ野球歴 阪急ブレーブス(1966年~1979年)
タイトル 本塁打王3回
打点王3回
表彰歴 MVP2回
長池選手はドラフト制度が導入された初年度に、ドラフト1位で阪急ブレーブスに入団をしました。
昭和40年代、「阪急不動の4番バッター」として、華々しい活躍をいたしました。
1971年には32試合連続安打を記録いたしました。
しかし、現役時代はアキレス腱や膝などのケガに悩まされ、早くに引退を余儀なくされました。
長池選手は現役時代から引退後のコーチを含め、背番号3番をつけていました。
松中信彦選手
生年月日 1973年12月26日
出身地 熊本県
投/打 左/左
プロ野球歴 福岡ソフトバンクホークス(1997年~2015年)
タイトル 首位打者2回
本塁打王2回
打点王3回
表彰歴 MVP2回
ゴールデングラブ賞1回
松中信彦選手は平成の三冠王と呼ばれています。
2004年、打率・本塁打・打点の全てでTOPとなり、三冠王を記録しました。
松中選手が記録した2004年以降、三冠王を達成した選手がいないことから、「平成最後の三冠王」とも呼ばれています。
また、3年連続120打点のプロ野球記録を残すなど、プロ野球界を代表する強打者でした。
まとめ
今回は、野球における背番号3番についてお届けしましたが、いかがだったでしょうか?日本のプロ野球では、やはり長嶋茂雄選手の影響が大きいといった感じでしたね!
長島さんをはじめ、野手の有名選手がつけていた背番号3番、これからも日本の野球では特別な番号として、憧れの存在であり続ける事でしょう。
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。