背番号8番は野球でどんな意味がある?プロとアマチュアで徹底研究 !

豆知識

こんにちは、みっつです。

数字の8というと、どんなイメージがありますでしょうか?日本では末広がりの縁起の良い数字として扱われているので、好きな数字だと思っている方が多いのではないでしょうか?
野球においても、8という数字は人気があるようです。

今回は野球において背番号8番の持つ意味を、プロ野球とアマチュア野球にわけて解説します。そして、プロ野球で背番号8番をつけて大活躍した選手もご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。

ご注意
ご紹介する内容は、筆者の思いや推測が含まれています。また正確さを保証している訳ではありませんので、御理解の上お読みください。

■目次(クリックすると飛びます)

プロ野球での背番号8番の意味

最初に、プロ野球での背番号8番の意味について考えてみます。

プロ野球において背番号8番は、長打力のある外野手がつけているイメージが強いです。背番号6番が内野手のイメージが強いのに対し、背番号8番は外野手のイメージが強いといった感じです。

その理由のひとつとして、高校野球では背番号6番が内野手ですが、背番号8番は外野手であることが考えられます。

もちろん、背番号8番をつけた選手が全て外野手という訳ではなく、守備力の高い内野手として、実績のある選手もいます。

球団はチームを代表する選手に一桁台の背番号を与えますが、特に、将来を期待する選手に、背番号8番を与える傾向があります。

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アマチュア野球での背番号8番の意味

アマチュア野球での背番号8番の意味はどうでしょうか?

高校野球では各ポジションにより背番号が割り当てられます。高校野球において背番号8は、中堅手をあらわしています。

大学野球では監督やコーチ、主将以外は、背番号を自由に選択することが出来ます。ただし、早稲田大学のように、控え捕手が背番号8といった、伝統により背番号が決まるケースもあります。

大学野球や社会人野球では、背番号8番は末広がりの縁起の良い数字として、背番号7番と同様に人気のある背番号となります。

プロ野球での主な背番号8の選手

プロ野球で背番号8番をつけて大活躍した選手を5人、ご紹介したいと思います。

高田繁選手

生年月日  1945年7月24日
出身地   大阪府
投/打   右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ(1968年~1980年)
タイトル  盗塁王1回
表彰歴   新人王
      ゴールデングラブ6回

読売ジャイアンツの黄金時代と呼ばれるのが、プロ野球史上に輝く9連覇を成し遂げた時代です。

高田選手はその黄金時代に、2番打者として王選手と長嶋選手につなぐ役割を果たして、チームに貢献をした選手です。

高田選手は外野手として読売ジャイアンツに入団をしましたが、その後、張本選手が移籍してきたことで、三塁へとコンバートされました。当時、外野手から内野手へのコンバートはとても珍しいことでした。

高田選手は外野手として4回、内野手として2回のゴールデンクラブを受賞するなど、野球センスの良い選手でした。

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原辰徳選手

生年月日  1958年7月22日
出身地   福岡県
投/打   右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ(1981年~1995年)
タイトル  打点王1回
表彰歴   新人王
      MVP1回

原選手は高田選手の現役引退後に入団し、背番号8番を継承いたしました。

長距離を打てるスラッガーとして期待されていた原選手は、入団3年目に105打点をあげて打点王のタイトルを手にし、年間MVPにも輝きました。

名門読売ジャイアンツの4番打者としてプレッシャーのかかるなかで、原選手は入団から12年連続で20本以上の本塁打を放つなど活躍をした選手です。

入団12年目からは脇腹痛や左足のアキレス腱部分断裂などケガに悩まされ、惜しまれつつも1995年に引退をいたしました。

山本浩二選手

生年月日  1946年10月25日
出身地   広島県
投/打   右/右
プロ野球歴 広島東洋カープ(1969年~1986年)
タイトル  首位打者1回
      本塁打王4回
      打点王3回
表彰歴   MVP2回
      ダイヤモンドグラブ賞10回

山本選手は入団当初は背番号27番をつけていましたが、入団3年目から引退するまでの13年間は背番号8番をつけていました。

1975年広島東洋カープが球団創立以来26年目にして、初めてリーグ優勝を果たしました。その立て役者として活躍をしたのが、背番号8番の山本選手だったのです。

山本選手の背番号8番と同僚の衣笠選手の背番号3番が輝いていたチームは、「赤ヘル軍団」と呼ばれ、チームの大躍進に貢献をいたしました。

山本選手のつけた背番号8番は広島球団初めての永久欠番となっています。

有藤通世選手

生年月日  1946年12月17日
出身地   高知県
投/打   右/右
プロ野球歴 ロッテオリオンズ(1969年~1986年)
タイトル  首位打者1回
表彰歴   新人王
      ダイヤモンドグラブ賞4回

プロ野球ドラフト会議の長い歴史のなかで、「空前の大豊作」と呼ばれた年があります。

1968年は山本浩二選手、田淵幸一選手等「法政三羽烏」、明治大学のエース星野仙一投手らが入団した年です。その年、近畿大学の主砲として活躍していた有藤選手は、ロッテオリオンズにドラフト1位で入団しました。

有藤選手は入団1年目から活躍をし、安定した活躍から「ミスター・オリオンズ」と呼ばれる選手になりました。

1985年にはパリーグで初めての2000本安打を記録しました。

有藤選手の背番号8番はロッテオリオンズの永久欠番となりましたが、その後、本拠地のチーム名変更の代償として、残念ながら永久欠番はリセットされています。

久慈照嘉選手

生年月日  1969年4月19日
出身地   山梨県
投/打   右/左
プロ野球歴 阪神タイガース(1992年~1997年)
      中日ドラゴンズ(1998年~2002年)
      阪神タイガース(2003年~2005年)
表彰歴   新人王

久慈選手は阪神タイガースで背番号8番をつけていました。

守備力の高さから、阪神タイガースのOB吉田義男選手の後継者として、「牛若丸2世」と讃えられました。

また、久慈選手は守備だけでなく、打撃にも非凡なものがありました。
勝負強い打撃が認められ、入団1年目から二塁手としてレギュラーの座をつかみました。

長打力のある外野手のイメージが強い背番号8番のなかで、守備力の高い内野手の代表といえるのが久慈選手です。

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まとめ

今回は、野球のおける背番号8番の意味について、プロ野球とアマチュア野球に分けてお伝えしてきました。そして、背番号8番をつけて大活躍した選手5人もご紹介しましたが、いかがだったでしょうか?

縁起が良い数字で人気のある背番号8番は、野球においては実力のある外野手がつける番号として定着してきました。

一部の選手は内野手ではありますが、私としてはこれからも外野手が多くつける番号であって欲しい、そう願っています。

最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。