こんにちは、みっつです。
野球は1チーム9人でおこなうスポーツですね。そのため、高校野球のようにポジション順に背番号を割り当てると9番までとなります。では野球において背番号10番は、どのような意味があるのでしょうか?
少年野球から高校野球、大学野球、プロ野球に分けて解説していきたいと思います。そして、背番号10番をつけて大活躍したプロ野球選手もご紹介しますので、楽しみにしていてくださいね。
私も高校球児の時は背番号10番をつけていたので、愛着のある番号です(笑)
■目次(クリックすると飛びます)
背番号10番の持つ意味とは?
まずは背番号10番の持つ意味を、少年野球、高校野球、大学野球、プロ野球に分けて解説していきます。
少年野球で背番号10番の持つ意味
少年野球では主将・キャプテンが背番号10を付けることが決められています。この理由についてですが、審判団やチームの監督が主将を識別しやすくするためだという事です。
という事は、少年野球のキャプテンは、一桁の背番号をつけたくてもつけられないのですね。
高校野球で背番号10番の持つ意味
高校野球では特に決まりはありませんが、控えのピッチャーが背番号10番を付けることが多いです。実際に第90回選抜高等学校野球大会で8強に入ったチームの内、優勝した大阪桐蔭高等学校を含む6校で投手が背番号10番を付けていました。
この事からも、高校野球の背番号10番はピッチャーがつけるケースが多いことを証明しています。
大学野球の背番号10番の持つ意味
大学野球では東京六大学野球連盟など19の連盟では、主将が背番号10番を付けることになっています。
読売ジャイアンツの現監督の高橋由伸氏や北海道日本ハムファイターズの斎藤佑樹選手などが、大学野球で背番号10番を着用して大活躍していました。
プロ野球での背番号10番の持つ意味
プロ野球では背番号10番を付けられる選手に特別な決まりや傾向があるわけではありませんが、球団によっては背番号10が特別な意味を持っています。
東北楽天ゴールデンイーグルスでは「10番目のレギュラー選手」と言う意味で、背番号10番がファンのための番号とされ、現在はマスコットキャラクターが付けています。
中日ドラゴンズ、阪神タイガースでは背番号10番は永久欠番とされており、特に阪神タイガースでは、背番号10番を付けた選手は球団史上でも藤村富美男選手のみとなっています。
背番号10番の歴代名選手をご紹介
次に、日本プロ野球界で実際に背番号10番を付けて活躍した選手を5名ご紹介します。
張本勲選手
生年月日 1940年6月19日
出身地 広島県
投/打 左/左
プロ野球歴 東映フライヤーズ(1959年~1972年)
日拓ホームフライヤーズ(1973年)
日本ハムファイターズ(1974年~1975年)
読売ジャイアンツ(1976年~1979年)
ロッテオリオンズ(1980年~1981年)
タイトル 首位打者7回
最高出塁率9回
最多安打3回
新人王
MVP1回
ベストナイン16回
張本勲選手は、1959年から1981年まで東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)、読売ジャイアンツ、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)でプレーしました。
通算安打数をはじめとする打率、安打数に関する数々の日本記録を達成する一方、13年連続で20本以上の本塁打を打っています。そして16年連続で10以上の盗塁数を記録するなど、巧さと力、足の速さをいずれも非常に高い水準で兼ね備えて大活躍しました。
張本選手は現役23年間を通して背番号10を着用し続け、日本で一番長い期間背番号10番を付けた選手でもあります。
藤村富美男選手
生年月日 1916年8月14日
出身地 広島県
投/打 右/右
プロ野球歴 大阪タイガース(1936年~1938年)
阪神軍(1943年~1945年)戦争による英語自粛のため
大阪タイガース(1946年~1958年)
*全て現在の阪神タイガース
タイトル 首位打者1回
本塁打王3回
打点王:5回
最優秀選手1回
ベストナイン6回
藤村富美男選手は、1936年から1958年まで大阪タイガース(現阪神タイガース)でプレーしました。
本塁打王を3回、打点王を5回獲得するなど強打者として活躍しただけでなく、投手としても1946年に13勝するなど通算34勝をあげました。1949年の活躍は特にめざましく、安打数・本塁打数・打点で当時の日本記録を塗り替えています。
藤村選手はこの頃から「ミスタータイガース」と呼ばれるようになりました。
プロ野球界全体に与えた影響の大きさなどから、全部で4人いる「ミスタータイガース」の中でも別格の存在とされ、藤村選手のみを「ミスタータイガース」だと考えるファンや球団関係者も多くいます。
藤村選手は入団当初から現役引退まで背番号10を着用し、引退後背番号10番は永久欠番となりました。
金本知憲選手
生年月日 1968年4月3日
出身地 広島県
投/打 右/左
プロ野球歴 広島東洋カープ(1992年~2002年)
阪神タイガース(2003年~2012年))
タイトル 打点王1回
金本知憲選手は、1992年から2012年まで広島東洋カープ、阪神タイガースでプレーしました。15年連続で100本以上の安打を記録し、18年連続で10本以上の本塁打を打つなど、強打者として活躍しています。
連続フルイニング出場や連続イニング出場の世界記録を持つなど、タフな選手としても知られ、「鉄人」という愛称がつきました。
金本選手は1992年から2002年まで背番号10番を着用しました。
駒田徳広選手
生年月日 1962年9月14日
出身地 奈良県
投/打 左/左
プロ野球歴 読売ジャイアンツ(1983年~1993年)
横浜ベイスターズ(1994年~2000年)
表彰歴 ベストナイン1回
ゴールデングラブ賞10回
駒田徳広選手は、1980年から2000年まで読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズ(現横浜DNAベイスターズ)でプレイしました。
「満塁男」の異名を持つことから、強打者タイプであったと思われがちですが、12年連続で100本以上の安打を打ち、アベレージヒッターとしての側面も併せ持っています。
また守備も安定しており、ゴールデングラブ賞を10回受賞しています。駒田選手は1988年から2000年まで背番号10番を着用しました。
阿部慎之介選手
生年月日 1979年3月20日
出身地 千葉県
投/打 右/左
プロ野球歴 読売ジャイアンツ(2001年~)
タイトル 首位打者1回
打点王1回
最高出塁率1回
表彰歴 最優秀選手1回
ベストナイン9回
ゴールデングラブ賞:4回
阿部慎之介選手は、2001年から現在まで読売ジャイアンツでプレイしています。
17年連続で10本以上の本塁打を打つなど、強打者として活躍していた他、2010年に進塁阻止率で1位になるなど、守備面でもチームを牽引しました。
阿部選手は入団当初から背番号10番を着用しています。
まとめ
今回は、野球における背番号10番の意味についてお届けしましたが、いかがだったでしょうか?少年野球や大学野球の多くの連盟が、キャプテンが背番号10番をつけるという事が興味深かったですね。
高校野球では控えのピッチャーが主につけて、プロ野球では特別な傾向がないが名選手も多い事もわかりました。
これからも野球においては、背番号10番は重要な役割を持つ選手が、つけていく事でしょうね。
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。