こんにちは、みっつです。
野球の6番バッターというと、どのようなイメージをお持ちになりますか?クリーンアップの後の打順という事で、様々なケースが想像されると思います。
今回は、野球の6番バッターについて、特集していきたいと思います。6番バッターの役割からプロ野球6番バッターとして大活躍した選手もご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。
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6番バッターの役割って?
私が考える6番バッターの役割は、主に次の2点になります。それは
- ダメ押しの一打で試合を決める
- 下位打線からチャンスメイクをする
となります。次にそれぞれについて解説していきます。
1.ダメ押しの一打で試合を決める
6番バッターは、クリーンナップのすぐ後ろを打つことから、チャンスで回ってくる確率も高い打順です。したがって、6番バッターにはクリーンナップが挙げた得点に、ダメ押し点を加える役目があるのです。
もしも、クリーンナップで得点を出来なければ、6番打者が最後の期待を背負う事になるので、長打力よりもミートの上手いアベレージ・ヒッターが適任だと考えます。
残ったランナーを確実に還す事が出来れば、そのチームの勝利に大きく貢献する事になるでしょう。
下位打線からチャンスメイクをする
一般に、打順の6番バッター以降を下位打線と呼んでいます。ちなみに、1番から5番は上位打線と呼ばれています。その下位打線の中で、最初の打者となるのが6番バッターです。
上位打線には入らないが、下位打線の4名の中では、最も打力の優れた選手が6番バッターに抜擢されます。
例えば、その回の最初の打者や、塁上にランナーがいない場合には、下位打線でもう一度チャンスメイクをする役割があります。これは上位打線の1番打者と同じ役割といえます。
強いチームとは、下位打線からチャンスを作り、得点出来る打線を持っていることです。まさに、その先陣を切る役割を担うのが6番バッターとなります。
プロ野球での主な6番バッター!
ここでは、プロ野球で大活躍した6番バッターを、3人ご紹介します。
宇野勝選手
生年月日 1958年5月30日
出身地 千葉県
投/打 右/右
プロ野球歴 中日ドラゴンズ(1977年~1992年)
千葉ロッテマリーンズ(1993年~1994年)
タイトル 本塁打王1回
宇野選手は遊撃手の常識をガラリと変えた選手です。それまでの遊撃手のイメージは、打力が少々弱くても、小柄で俊敏な選手が多かったからです。
しかし、宇野選手は身長180cmの大型内野手として、長打力を持った選手だったからです。その宇野選手は、1982年には30本塁打を放ち、チームの優勝に大きく貢献をいたしました。
この時、遊撃手としてはプロ野球史上初めて30本塁打を放った選手でもありました。1984年には本塁打王にも輝き、長打力を秘めた大型遊撃手の草分け的存在となりました。
駒田徳広選手
生年月日 1962年9月14日
出身地 奈良県
投/打 左/左
プロ野球歴 読売ジャイアンツ(1981年~1993年)
横浜ベイスターズ(1994年~2000年)
表彰 ゴールデングラブ賞10回
駒田選手は奈良県の無名高校時代に、投手ながら高校通算43本塁打をマークし、注目を受けました。その駒田選手の意外性と長打力を一気に印象付けたのは、1983年のプロ初打席での満塁ホームランです。
プロ野球史上初の満塁本塁打デビューを果たすと、その後も満塁では抜群の強さを発揮し、「満塁男」の異名をとるまでになりました。
まさに、6番バッターとしての勝負強さと長打力を秘めた選手であったのです。
石毛宏典選手
生年月日 1956年9月22日
出身地 千葉県
投/打 右/右
プロ野球歴 西武ライオンズ(1981年~1994年)
福岡ダイエーホークス(1995年~1996年)
表彰 新人王、年間MVP1回、ゴールデングラブ賞10回
石毛選手は、天性のリーダーシップで、西武ライオンズの黄金時代を支えました。入団1年目から本塁打21本、打率0.311で新人王を獲得するなど、西武の中心選手として活躍しています。
当初は、1番バッターを任されていましたが、チーム事情から6番バッターを任されることが多くなりました。明るいキャラクターの石毛選手が、上位打線と下位打線の繋ぎ役として大活躍した事が、上昇軍団の西武ライオンズを誕生させたと言われています。
まとめ
今回は、野球における6番バッターについて特集しましたが、いかがだったでしょうか?クリーンアップの後の打順という事で、残ったランナーを還したり、新たにチャンスを作ったりと、多くの役割がありました。6番バッターが
ダメ押しの一打で試合を決める
下位打線からチャンスメイクをする
といった役割を確実にこなせれば、そのチームは確実に勝利に向かっていると言えるでしょうね。
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。