こんにちは、みっつです。
野球の8番バッターというと、どのようなイメージをお持ちですか?私は何となくバッティングが得意でない選手が務める、そんなイメージがあります(^_^;)
何故かというと、昔は『ライパチ』という言葉があり、チーム内で野球があまり上手でない選手がライトを守り8番バッターになる、というケースが少なくなかったからです。
今回は、野球の8番バッターについて特集したいと思います。プロ野球での8番バッターの役割や、大活躍した8番バッターをご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。
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8番バッターの2つの役割って?
私が考える8番バッターの役割は主に次の2点になります。それは
- 次の9番バッターに繋ぐバッティング
- キャッチャーの役割を助ける
となります。次からそれぞれについて解説していきます。
1.次の9番バッターに繋ぐバッティング
DH制度のあるパ・リーグでは、9番バッターに巧打者が控えていることがあります。8番バッターの役割の1つとして、巧打者の9番バッターへと繋ぐ事があげられます。8番バッターは9番バッターに繋ぐことで、チャンスを拡げられるからです。
その一方で、DH制度のないセ・リーグでは、一般的に9番バッターはピッチャーが努めます。試合の流れから、9番バッターの投手で攻撃を終え、チェンジになるのが理想と言われています。
9番バッター、いわゆる投手の打席でその回の攻撃を終了しておくと、次の攻撃は上位打線の1番バッターからスタートできるからです。
万が一、守備のときにピンチを迎えてピッチャー交替をしたとしても、次の攻撃を1番バッターからスタートすることで、すぐに交代したばかりの投手にピンチヒッターを送る必要がなくなる事も理由です。
キャッチャーの役割を助ける
キャッチャーは守備の要と言われ、野球において非常に大切なポジションと言えます。そんなキャッチャーを助ける役割が、8番という打順にはあるのです。それは
- ピッチャーとのミーティング時間を持つ
- 出来るだけ疲れないようにする
といった事になります。
ピッチャーとのミーティング時間を持つ
8番バッターには、キャッチャーが入る事が多くあります。これはバッティングだけでの理由ではなく、8番にキャッチャー、9番にピッチャーを打順に入れる事で、試合中にミーティングがし易くなるからです。
キャッチャーとピッチャーの打順をつなげることで、攻撃の際に一緒にいる時間が増えます。その時間で、キャッチャーは積極的にピッチャーとミーティングをします。
出来るだけ疲れないようにする
キャッチャーは守備の間、ピッチャーのボールを受けるために座った姿勢でいます。この姿勢がかなり疲れるのです。
私は左利きという事もあり試合でのキャッチャーの経験はありませんが、ピッチャーの投球練習のためにキャッチャー役をした事はあります。あの姿勢は本当に辛いです(^_^;)ピッチャー経験のある私に言わせれば、ピッチャーより疲れるのではないかと思うほどです。
という事で、キャッチャーを8番にして打席数が少なくする事で、出来るだけ疲れがたまらないように配慮する事が可能となるのです。
プロ野球での主な8番バッター!
次にプロ野球で大活躍した、8番バッターを3人ご紹介します。たまたまですが、ともキャッチャーを3人ご紹介するという事になりました。
達川光男選手
生年月日 1955年7月13日
出身地 広島県
投/打 右/右
プロ野球歴 広島東洋カープ(1978年~1992年)
表彰 ゴールデングラブ賞2回
達川選手は、1980年代の広島カープを支えたキャッチャーです。高校時代は広島商業で1年生の頃から正捕手として活躍し、夏の甲子園でも優勝を経験しています。
特に、「死球パフォーマンス」で一躍有名となった達川選手ですが、チームのムードメーカーとしても貢献をしました。また、野村克也選手が得意としていた「ささやき戦術」を得意とし、試合中の投手を間接的に助けていました。
達川選手はそのキャラクターから、プロ野球史上のなかで、最もファンに愛された捕手でもあります。
山倉和博選手
生年月日 1955年9月2日
出身地 愛知県
投/打 右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ(1978年~1990年)
表彰 年間MVP1回、ゴールデングラブ賞3回
山倉選手は、「日本プロ野球界で規定打席に到達しながら、打率2割に達しなかった、最後の選手」と、不名誉な記録を残しています。このように、山倉選手は打撃こそ振るいませんでしたが、「元祖、意外性の男」と言われてもいました。
名門の読売ジャイアンツの捕手として初めて20本以上の本塁打を放つなど、低い打率でも信じられないような場面で大きなホームランが飛び出す選手でした。
山倉選手が8番打者にいることで、相手チームにとっては気の抜けない打線となり、プレッシャーを与えていました。
伊東勤選手
生年月日 1962年8月29日
出身地 熊本県
投/打 右/右
プロ野球歴 埼玉西武ライオンズ(1982年~2003年)
表彰 ゴールデングラブ賞11回
伊東選手は、1982年からの22年間、ライオンズ一筋でマスクをかぶった選手です。伊東選手を例えるのなら「万能選手」の言葉が当てはまります。
捕手として強肩で巧みなキャッチングから、1990年代の西武黄金時代を支えました。また、伊東選手は珍しい「俊足の捕手」として、盗塁を量産し、捕手としてパ・リーグ初の年間20盗塁を残しています。
そして、伊東選手の持ち味が勝負強いバッティングです。シュアな打撃が売り物の伊東選手は、脅威の8番打者としても相手チームから恐れられました。
常に、チームの勝利を考える姿勢から、儀打数は日本プロ野球歴代4位の305犠打を残しています。
まとめ
今回は、プロ野球における8番バッターを特集しましたが、いかがだったでしょうか?8番バッターは、チーム内でバッティングがあまり得意でない選手が入る事が多いようです。ですので
- 次の9番バッターに繋ぐバッティング
- キャッチャーの役割を助ける
といった役割も納得できますね。
バッティングが得意でない選手が入る8番ではありますが、守備面も含めて8番バッターの選手が活躍しているチームは強い!と言えるのではないでしょうか。
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。