こんにちは、みっつです。
当ブログで特集しています野球の背番号にまつわる話、今回は背番号14番についてご紹介していきます。
背番号14番というと、主にどのような選手がつけていると想像しますか?ピッチャー?それとも野手でしょうか?
これから野球の背番号14番をどのような選手がつけているか、実際に背番号14番をつけて活躍した選手をご紹介していきます。
■目次(クリックすると飛びます)
背番号14番をつける選手の特徴って?
背番号14番をつけた選手にはどのような共通点がみられるのか、調べていきたいと思います。
プロ野球の場合は、投手が背番号14番をつけているというイメージがかなり強いです。実際に2018年5月現在の各チームの選手を調べてみると、投手が11人・欠番が1人でした。
やはりプロ野球においては背番号14番というのは投手がつける番号として定着しているようです。
社会人野球では、JR東日本野球部・パナソニック野球部・日本生命野球部など、多くの球団で投手が背番号14番をつけています。
大学野球では、東京六大学の2018年春季の各チームを調べてみると投手2人・不明4人となっています。
高校野球では、背番号1~9のレギュラーほど明確ではありませんが、控えの内野手が背番号14をつける傾向があるようです。
背番号14番の歴代名投手をご紹介
次に、背番号14番をつけていた投手を紹介していきます。
沢村栄治選手
生年月日 1917年2月1日
出身地 三重県
投/打 右/左
プロ野球歴 大日本東京野球倶楽部・東京巨人軍
タイトル 最多勝利2回
最優秀防御率1回
最高勝率1回
最多奪三振2回
沢村栄治選手は1934年に大日本東京野球倶楽部(現読売ジャイアンツ)に入団しました。1934年の日米野球でメジャーリーグ選抜チームを8回5安打1失点におさえて伝説の選手と言われるようになりました。
また剛速球の投手としても知られており、その速さは160キロに迫っていたと推測されています。
日本プロ野球でも、3度のノーヒットノーランを達成したほか7割4分以上の通算勝率や1点台の通算防御率など抜群の数字を残して日本プロ野球の発展に大きく貢献しています。
彼の功績は、巨人においては背番号14番を永久欠番とすることで報いられました。日本プロ野球全体においても各年度の最優秀投手に「沢村賞」を授与して沢村選手の活躍を未来に語り継ぐことで報いています。
沢村選手は1936年・1937年・1940年・1941年・1943年に背番号14番を着用しました。
外木場義郎選手
生年月日 1945年6月1日
出身地 鹿児島県
投/打 右/右
プロ野球歴 広島カープ
広島東洋カープ
タイトル 最優秀防御率1回
最多勝1回
最多奪三振1回
外木場義郎選手は1965年に広島カープ(現広島東洋カープ)に入団しました。剛速球と大きく縦に曲がるカーブを持ち味として、1965年・1968年・1972年にそれぞれ1回ずつノーヒットノーランを達成しています。
また、2度の20勝以上を含む8度の2桁勝利を挙げるなど先発の柱として活躍して、1975年にはチームに初のリーグ優勝をもたらしました。その年は、最多勝・最多奪三振のタイトルに加えて、最優秀投手・ベストナイン・沢村賞を獲得しています。
外木場選手は1965年から1979年まで背番号14番を着用しました。
津田恒実選手
生年月日 1960年8月1日
出身地 山口県
投/打 右/右
プロ野球歴 広島東洋カープ
タイトル 最優秀救援投手:1回
津田恒美選手は1982年に広島東洋カープに入団しました。入団当初は先発投手として活躍して、1982年には11勝を挙げて新人王を受賞しています。
1986年以降は抑えに転向して、同年のチームのリーグ優勝に貢献するとともに、1989年には28セーブ・防御率1,63という数字を残して最優秀救援投手のタイトルを獲得しました。
津田選手は1985年から1991年まで背番号14番を着用しました。
阿波野秀幸選手
生年月日 1964年7月28日
出身地 神奈川県
投/打 左/左
プロ野球歴 近鉄バファローズ
読売ジャイアンツ
横浜ベイスターズ
タイトル 最多勝1回
最多奪三振2回
阿波野秀幸選手は1987年に近鉄バファローズに入団して2000年まで読売ジャイアンツや横浜ベイスターズでプレーしました。入団当初は先発投手としてプレイして、1987年には15勝を挙げて新人王を受賞しています。
1989年には19勝を挙げて最多勝・最多奪三振・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞などを受賞しました。
阿波野選手は、ドラフト1位指名で競合した球団全てに所属してそのすべてで日本シリーズに登板した唯一の選手です。
阿波野選手は1987年から1994年まで背番号14番を着用しました。
今中慎二選手
生年月日 1971年3月6日
出身地 大阪府
投/打 左/左
プロ野球歴 中日ドラゴンズ
タイトル 最多勝利:1回
最多奪三振:1回
今中慎二選手は1989年に中日ドラゴンズに入団し、主に先発投手として、多種多様な球種を同じフォームで投げて相手打者を翻弄しました。
1993年から1996年までの活躍が特に顕著であり、この4年間で56勝を挙げています。中でも1993年には17勝・勝率7割以上・防御率2,20という特に優れた成績を残しました。
この結果、1993年には最多勝利・最多奪三振のタイトルに加え、沢村賞・最優秀投手・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞を受賞しました。
今中選手は1989年から2001年まで背番号14番を着用しました。
意外?背番号14番の名野手たち
背番号14番はピッチャーの背番号というイメージが強いですが、ここでは背番号14番をつけて活躍した野手を紹介したいと思います。
中村勝広選手
生年月日 1949年6月6日
出身地 千葉県
投/打 右/右
プロ野球歴 阪神タイガース
タイトル なし
中村勝広選手は、1972年に阪神タイガースに入団しました。
粘り強い攻撃と安定した守備を持ち味に活躍して、1975年・1976年には3桁安打・2桁本塁打・打率2割台後半という安定した成績を残しています。
中村選手は1972年から1982年まで背番号14番を着用しました。
ジョージ・アリアス選手
生年月日 1972年3月12日
出身地 アリゾナ州(米国)
投/打 右/右
プロ野球歴 カリフォルニア・エンゼルス
アナハイム・エンゼルス
サンディエゴ・パドレス
オリックス・ブルーウェーブ
阪神タイガース
ティファナ・ポトロス
読売ジャイアンツ
タイトル なし
ジョージ・アリアス選手は、1996年にカリフォルニア・エンゼルス(現アナハイム・エンゼルス)に入団しました。2000年に来日してオリックス・ブルーウェイブ、阪神タイガースおよび読売ジャイアンツでプレーしています。
2000年から2004年には5年連続で100試合以上出場・100安打以上・20本塁打以上という結果を残し、2003年にはチームのリーグ優勝にも貢献してベストナイン・ゴールデングラブ賞を受賞しました。
ジョージ・アリアス選手は、サンディエゴ・パドレスおよび阪神タイガース所属時に背番号14番を着用しました。
八木裕選手
生年月日 1965年6月8日
出身地 岡山県
投/打 右/右
プロ野球歴 阪神タイガース
タイトル なし
八木裕選手は、1987年に阪神タイガースに入団し、1990年から1992年までは3年連続で120試合以上出場・100安打以上・20本塁打以上と主力として活躍しています。
1997年以降は代打として優れた結果を残し、「代打の神様」と呼ばれるようになりました。
八木選手は1987年に背番号14番を着用していました。
まとめ
今回は、野球の背番号14番について特集しましたが、いかがだったでしょうか?プロ野球では他の背番号10番代と同じように、ピッチャーが主につけていましたね。
しかし野手でも、背番号14番をつけて活躍した選手が、結構多いなという印象でもあります。
高校野球では野手の方が多い傾向にあるのは、ベンチ入り出来る選手に限りがある事が関係しているようです。
当ブログでは、野球における背番号以外にも、様々な野球の話題を提供しているので、よろしければご覧になってみてくださいね。
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最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。