こんにちは、みっつです。
数字の9というと、どのようなイメージがありますか?私は一桁の数字の一番後ろなので、何となく最後の数字というイメージを持ってしまっています(^_^;)
野球では1チーム9人でおこなうスポーツのためか、比較的9という数字を使う傾向にあります。
今回は、野球における背番号9番の意味と、プロ野球で背番号9番をつけて大活躍した選手をご紹介しますので、楽しみにしていてくださいね。
■目次(クリックすると飛びます)
プロ野球での背番号9番の意味
まずは、プロ野球でで背番号9番の意味について考えてみます。
高校野球につけていた背番号に愛着があり、プロ野球でも同じ番号をつける選手が意外に多くいます。しかし、背番号9番に限っては、そのような傾向は見れません。
その理由としては、高校野球では背番号9番は右翼手がつける番号というのが考えられます。
高校時代に右翼手は、どちらかというと若干実力が落ちる選手が多く。プロ野球に入団するケースは余りみられないからです。
これまで、プロ野球界で背番号9番をつけた選手には、長距離打者やヒットメーカーなど、様々なタイプの打者がいます。
背番号9番をつけた選手には、タイトルを獲得した打者が多くいます。また、不振やケガから復活した選手に送られる、カムバック賞を受賞した選手も見られます。
アマチュア野球での背番号9番の意味
高校野球では各ポジションにより背番号が割り当てられます。高校野球において背番号9番は、右翼手をあらわしています。
一昔前では、右翼手はチームのなかで、最も守備の苦手な選手が守るポジションでした。これは、右打者が多いことで、右翼が打球のもっとも飛んで来ないポジションだからです。
高校野球では投手交代の際、戦略としてそのままベンチに下がるのではなく、再度登板を予定して守備位置につくことがあります。その際、投手が右翼の守備につくケースが多くなるのも、打球が一番飛んでこないことが理由です。
その一方、大学野球や社会人野球では、背番号の選択が自由です。しかし、高校野球の背番号として愛着を持ち、背番号9番をつける選手は少なくなります。
高校野球で右翼を守っていた選手が、そのまま大学野球や社会人野球でも右翼手となることが少ないからではないかと考えられるからです。
プロ野球での主な背番号9番の選手
プロ野球で背番号9番をつけて大活躍した選手を、5人ご紹介しますね。
小久保裕紀選手
生年月日 1971年10月8日
出身地 和歌山県
投/打 右/右
プロ野球歴 福岡ダイエーホークス(1994年~2003年)
読売ジャイアンツ(2004年~2006年)
福岡ソフトバンクホークス(2007年~2012年)
タイトル 本塁打王1回
打点王1回
表彰歴 ゴールデングラブ賞3回
小久保選手は福岡ソフトバンクホークスでは4番バッターとして活躍した選手です。
入団2年目には本塁打王を獲得、4年目には打点王に輝き、パ・リーグを代表する長距離バッターへと成長をいたしました。
小久保選手はプレーヤとしての実力もさることながら、卓越したリーダーとしての能力に恵まれ、チームのキャプテンとして高い評価を受けていました。
現役を引退後は日本代表チームの監督に抜擢されるなど、その人間性に対する評価は高く、将来の日本プロ野球界を牽引する人材といわれています。
マット・マートン選手
生年月日 1981年10月3日
出身地 アメリカ合衆国フロリダ州
投/打 右/右
プロ野球歴 シカゴ・カブス(2005年~2008年)
オークランド・アスレチックス(2008年)
コロラド・ロッキーズ(2009年)
阪神タイガース(2010年~2015年)
タイトル 首位打者1回
マートン選手は阪神タイガースの6年間、背番号9番をつけていました。外人選手らしくないコンパクトなスイングが、変化球の多い日本の投手にも順応し、ヒットを量産いたしました。
阪神に入団をした初年度には、年間安打数214本の日本新記録を樹立した事からも、日本の野球に順応した事がわかります。
マートン選手は右打者でありながら、イチロー選手の年間安打記録を抜く偉業の達成でした。日本プロ野球在籍6年間で、首位打者1回、年間最多安打3回、年間最多二塁打1回の輝かしい記録を残しました。
三村敏之選手
生年月日 1948年9月19日
出身地 広島県
投/打 右/右
プロ野球歴 広島東洋カープ(1967年~1983年)
表彰歴 カムバック賞
三村選手の背番号は入団当初は高校出ということで、48番の重い番号をつけていました。その後、背番号30番を経て、入団6年目から背番号9番をつけました。
三村選手は背番号9番をつけると、初年度に打率3割を超えるなど、主力選手として活躍するようになりました。
1975年、広島球団の初優勝時には、2番ショートとしていぶし銀の活躍を見せ、優勝に大きく貢献をしています。
1979年には2年間の不振からのカムバック賞を受賞し、広島の黄金期を支えました。
杉浦亨選手
生年月日 1952年6月8日
出身地 愛知県
投/打 左/左
プロ野球歴 東京ヤクルトスワローズ(1971年~1993年)
表彰歴 カムバック賞
杉浦選手はドラフト下位指名もあり、入団当初は背番号55番をつけていました。
入団時は一塁手でしたが、既にスター選手であった大杉選手が日本ハムから一塁手としてトレードされてくるなど、中々、出番に恵まれませんでした。
入団7年目に外野手にコンバートされ、レギュラーの座をつかむと、背番号も9番に変わりました。
杉浦選手のバッティングはまさに「職人技」と呼べるものでした。バッターボックスへ入場する際には、当時の人気TVドラマ「必殺仕事人」のテーマ曲が流れていました。
1980年にはケガからの復活が認められ、カムバック賞を受賞しています。
柳田悠岐選手
生年月日 1988年10月9日
出身地 広島県
投/打 右/左
プロ野球歴 福岡ソフトバンクホークス(2011年~)
タイトル 首位打者1回
表彰歴 MVP1回
ゴールデングラブ賞3回
柳田選手は背番号9をつけた現役選手のなかで、最高の実力を兼ね備えた選手といえます。
柳田選手の魅力といえば、ヘルメットが飛ぶほどの迫力あるフルスイングです。ストイックなまでに肉体改造に取り組んだことから、日本一の長距離バッターと呼ばれる選手になっています。
入団5年目の2015年には、打率3割以上、本塁打30本以上、盗塁30回以上のトリプル・スリーを、プロ野球史上10人目の達成者となりました。
また、同年は首位打者にも輝きましたが、プロ野球史上初めての同時受賞者です。
まとめ
今回は、野球における背番号9番についてお伝えしてきましたが、いかがだったでしょうか?
プロ野球では他の一桁の背番号と違って、そんなに人気があるような感じでもありませんでした。
と言っても、他の背番号に負けない位に多くの名選手がつけている事も事実です。
これからそんな選手が背番号9番をつけて、どんな大活躍をするのか。注目していきたいと思います。
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。