野球での背番号11番!どんな意味がある?主な名選手もご紹介!

豆知識

こんにちは、みっつです。

数字の11って1が2つ並んでいて、シンプルながらもカッコいい数字だと思いませんか?そんな11ですが、野球において背番号11番はどのような意味があるのでしょうか?

プロ野球や社会人野球、大学野球や高校野球に分けて背番号11番の意味を解説したいと思います。そして、背番号11番をつけて大活躍した選手もご紹介しますので、楽しみにしてくださいね!

ご注意
ご紹介する内容は、筆者の思いや推測が含まれています。また正確さを保証している訳ではありませんので、御理解の上お読みください。

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背番号11番を背負う意味って?

野球において背番号11番の持つ意味ですが、プロ野球をはじめアマチュア野球でも共通した点がある事がわかりました。それは

ピッチャーがつけるケースが非常に多い!

という事です。そのあたりも含めて、プロ野球と社会人野球、大学野球、高校野球に分けてその傾向を解説していきますね。

プロ野球での背番号11番

プロ野球では2018年度の開幕時点で、永久欠番などで空き番号となっている球団を除くすべての球団で背番号11番をピッチャーが背負っていました。

空き番号以外は全てピッチャーというのは、プロ野球では背番号11番はピッチャーが標準といった感じですね。

これは2018年に限った事ではなく、ほぼ毎年、背番号11番の選手の多くがピッチャーとなっています。

社会人野球での背番号11番

社会人野球では必ずとは言い切れませんが、私が調べた5球団すべてで背番号11の選手はピッチャーでした。

やはり社会人野球でも、背番号11番はピッチャーがつける傾向にあるようです。

大学野球での背番号11番

大学野球でも背番号11番をピッチャーが着用するケースが多いようです。

特に早稲田大学では安藤 元博選手が1960年度の早慶戦で5試合49回を投げて3失点と言う突出した活躍をしたことから、背番号11番はエースナンバーとなっています。

高校野球での背番号11番

高校野球でも、第90回記念選抜高等学校野球大会で8強に入ったチームのうち7校で背番号11番をピッチャーがつけていました。

この傾向は他の高校でも見られ、背番号11番はピッチャーというのが浸透しています。

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プロ野球で大活躍した背番号11番の歴代名投手をご紹介

背番号11番を付けていた名投手、まずはプロ野球で大活躍した投手をご紹介します。

村山実選手

生年月日  1936年12月10日
出身地   兵庫県
投/打   右/右
プロ野球歴 大阪タイガース
      阪神タイガース (1959 – 1972)
タイトル  最多勝:2回 (1965年、1966年)
      最優秀防御率:3回 (1959年、1962年、1970年)
      最多奪三振:2回 (1965年、1966年)
      最高勝率:1回 (1970年)

村山実選手は1959年に大阪タイガース(現阪神タイガース)に入団しました。

高度に制球されたフォークボールを武器に沢村賞を3回受賞したほか、1970年には2リーグ制になって以降の最高記録であるシーズン防御率0,98を達成しています。

その活躍ぶりは、二代目「ミスタータイガース」と呼ばれるにふさわしいものでした。村山選手が付けていた背番号11番は、現在阪神タイガースで永久欠番になっています。

野茂英雄選手

生年月日  1968年8月31日
出身地   大阪府
投/打   右/右
プロ野球歴 近鉄バファローズ (1990 – 1994)
      ロサンゼルス・ドジャース (1995 – 1998)
      ニューヨーク・メッツ (1998)
      ミルウォーキー・ブルワーズ (1999)
      デトロイト・タイガース (2000)
      ボストン・レッドソックス (2001)
      ロサンゼルス・ドジャース (2002 – 2004)
      タンパベイ・デビルレイズ (2005)
      カンザスシティ・ロイヤルズ (2008) 
タイトル  最多勝:4回 (1990年 – 1993年)
      最高勝率:1回 (1990年)
      最優秀防御率:1回 (1990年)
      最多奪三振:4回 (1990年 – 1993年)

野茂英雄選手は1990年に大阪近鉄バファローズに入団しました。

「トルネード投法」と呼ばれるフォームでフォーシームやフォークボールを投げ、プロ入り1年目で最多勝・最高勝率・最優秀防御率・最多奪三振の投手四冠を達成し、ベストナイン・新人賞・沢村賞・MVPを同時に受賞する偉業を成し遂げました。

プロ入り4年目で通算70勝をあげたあと、1995年からは米国のロサンゼルス・ドジャースなどでプレーして、2桁勝利を7度達成するなどの実績を残し、日本人選手への米国での評判を高めました。

野茂選手は近鉄時代およびブルワーズ、レッドソックス、デビルレイズで背番号11番を着用しました。

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斎藤雅樹選手

生年月日  1965年2月18日
出身地   埼玉県
投/打   右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ (1983 – 2001)
タイトル  最多勝利:5回 (1989年、1990年、1992年、1995年、1996年)
      最優秀防御率:3回 (1989年、1990年、1996年)
      最多奪三振:1回 (1995年)
      最高勝率:3回 (1990年、1992年、1996年)

斎藤雅樹選手は1983年に読売ジャイアンツに入団しました。1989年ごろから絶頂期を迎え、1989年には最多勝利・最優秀防御率のタイトルに加えて沢村賞・ベストナイン・最優秀投手などを受賞しています。

1990年、1992年、1995年、1996年にも数々のタイトル獲得や表彰を受け、この5年の通算勝利数が91勝に達するなど、「平成の大エース」と呼ばれるにふさわしい活躍をみせました。

ダルビッシュ有選手

生年月日  1986年8月16日
出身地   大阪府
投/打   右/右
プロ野球歴 北海道日本ハムファイターズ (2005 – 2011)
      テキサス・レンジャーズ (2012 – 2017)
      ロサンゼルス・ドジャース (2017)
      シカゴ・カブス (2018 – )
タイトル  最優秀防御率:2回(2009年、2010年)
      最多奪三振:3回(2007年、2010年、2011年)
      最高勝率:1回(2009年)
      最多奪三振:1回(2013年米国)

ダルビッシュ有選手は2005年に北海道日本ハムファイターズに入団しました。

多彩な変化球を自由自在に操る制球力を武器に勝利を積み重ね、2017年終了時点で日米通算150勝まであと1勝に迫っています。

ダルビッシュ選手は2005年から2017年7月30日まで背番号11番を着用し、2018年から再び背番号11番を着用しています。

大谷翔平選手

 
生年月日  1994年7月5日
出身地   岩手県
投/打   右/左
プロ野球歴 北海道日本ハムファイターズ (2013 – 2017)
      ロサンゼルス・エンゼルス (2018 – )
タイトル  最多勝:1回 (2015年)
      最優秀防御率:1回 (2015年)
      最高勝率:1回 (2015年)

大谷翔平選手は2013年に北海道日本ハムファイターズに入団しました。

大谷選手は投手としても打者としても本格的に活躍していて、特に2016年には「2桁勝利・100安打・20本塁打」の偉業を達成し、投手部門と野手部門の両方でベストナインに選出されるという日本プロ野球界初の快挙をなしました。

2018年からはロサンゼルス・エンゼルスに活躍の場を移して、すでにメジャーリーグでも二刀流で大きなインパクトを残しています。

大谷選手は2013年から2017年まで背番号11番を着用しました。

高校で背番号11番をつけ大活躍した投手

次に高校で背番号11番をつけて大活躍した、3人の選手をご紹介します。いずれの選手も、1年生もしくは2年生という下級生の時に背番号11番をつけて、甲子園で活躍しました。

荒木大輔選手

生年月日  1964年5月6日
出身地   東京都
投/打   右/右
プロ野球歴 ヤクルトスワローズ (1983 – 1995)
      横浜ベイスターズ (1996)
タイトル  なし

荒木大輔選手は早稲田実業学校高等部1年生の時に背番号11番を背負い、夏の甲子園で準優勝する原動力となりました。

甘いルックスで人気も凄まじく、多くの女性ファンが甲子園に詰めかけました。それは大ちゃんフィーバーとまで呼ばれ、社会現象になった程です。

プロ野球のヤクルトスワローズに入団しても背番号11番をつけ、ではケガに悩まされながらも1987年に10勝をあげています。そして1992年のリーグ優勝および1993年の日本一に貢献しました。

桑田真澄選手

生年月日  1968年4月1日
出身地   大阪府
投/打   右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ (1986 – 2006)
      ピッツバーグ・パイレーツ (2007)
タイトル  最優秀防御率:2回 (1987年、2002年)
      最多奪三振:1回 (1994年)
      最高勝率:1回 (1998年)

桑田真澄選手はPL学園高等学校1年生の時に、背番号11番を付けて夏の甲子園で優勝を果たし、清原和博選手らと共にPL学園の黄金時代を作り上げました。

読売ジャイアンツに入団し、通算4度の15勝以上を含む173の勝ち星をあげています。

なかでも1987年には最優秀防御率のタイトルに加えて沢村賞・最優秀投手・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を受賞する大活躍を見せました。

田中将大選手

生年月日  1988年11月1日
出身地   兵庫県
投/打   右/右
プロ野球歴 東北楽天ゴールデンイーグルス (2007 – 2013)
      ニューヨーク・ヤンキース (2014 – )
タイトル  最多勝利:2回 (2011年、2013年)
      最優秀防御率:2回 (2011年、2013年)
      最多奪三振:1回 (2012年)
      最高勝率:2回(2011年、2013年)

田中将大選手は駒澤大学附属苫小牧高等学校で2年生の時に背番号11番を付けて夏の甲子園で優勝を果たしています。翌年の夏の甲子園では早稲田実業学校高等部の斎藤佑樹選手と2日におよぶ激しい投手戦を行いました。

プロ入り後もスライダーやスプリットなど多彩な球種で打者を翻弄して、2011年に19勝、2013年に24勝など抜群の成績を残した後、

ニューヨーク・ヤンキースでも4年連続で2桁勝利をあげる活躍を見せて、2017年には日米通算150勝を達成しました。

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意外?背番号11番の名野手たち

背番号11番は投手が付けることが多いですが、野手でも名選手はいます。という事で、ここでは野手をご紹介したいと思います。

大島康徳選手

 
生年月日  1950年10月16日
出身地   大分県
投/打   右/右
プロ野球歴 中日ドラゴンズ (1969 – 1987)
      日本ハムファイターズ (1988 – 1994) 
タイトル  本塁打王:1回 (1983年)
      最多安打:1回 (1979年)

大島康徳選手は1969年に中日ドラゴンズに入団しました。日本ハム時代も含めて2桁本塁打を19回記録するなど強打者であり、1974年と1982年にはチームの優勝にも貢献しています。

大島選手は1988年から1994年まで背番号11番を着用しました。

ジョン・シピン選手

生年月日  1946年8月29日
出身地   カリフォルニア州 
投/打   右/右
プロ野球歴 サンディエゴ・パドレス (1969)
      大洋ホエールズ (1972 – 1977)
      読売ジャイアンツ (1978 – 1980)
タイトル  なし

ジョン・シピン選手は、1969年にサンディエゴ・パドレスで1年間プレーした後、1972年に来日して、1980年まで大洋ホエールズ(現横浜DNAベイスターズ)や読売ジャイアンツでプレーしました。

8年連続で100本以上の安打を打ち、20本以上の本塁打を7度記録するなど打撃で優秀な成績を残しています。また守備にも定評があり、1972年・1973年にはダイヤモンドグラブを受賞して、ベストナインにも選出されました。

ジョン・シピン選手は、1972年途中から1980年まで背番号11番を着用しました。

ルイス・クルーズ選手

生年月日  1984年2月10日
出身地   メキシコ・ソノラ州
投/打   右/右
プロ野球歴 ピッツバーグ・パイレーツ (2008 – 2009)
      ミルウォーキー・ブルワーズ (2010)
      ロサンゼルス・ドジャース (2012 – 2013)
      ニューヨーク・ヤンキース (2013)
      千葉ロッテマリーンズ (2014 – 2015)
      読売ジャイアンツ (2016 – 2017)
      東北楽天ゴールデンイーグルス (2017)
タイトル  なし

ルイス・クルーズ選手は、2008年から2013年まで米国でプレーした後、2014年に来日して、千葉ロッテマリーンズや読売ジャイアンツ、東北楽天ゴールデンイーグルスでプレーしました。

特に千葉ロッテマリーンズでの活躍が目立ち、2015年には128安打、16本塁打、73打点と攻撃面で優れた実績を残しています。またゴールデングラブ賞を受賞するなど、守備でも安定したプレーを見せました。

ルイス・クルーズ選手は、読売ジャイアンツで背番号11番を着用しました。

まとめ

今回は、野球においての背番号11番の意味について解説してきましたが、いかがだったでしょうか?プロ野球、社会人野球、大学野球、高校野球の全てにおいて、背番号11番はピッチャーつけるケースが多い事がわかりました。

恐らくこの傾向は今後も変わらずに、背番号11番をつけて大活躍する選手の多くがピッチャーであり続けるのではないでしょうか?

最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。