こんにちは、みっつです。
当ブログでは、野球に関する話題を多く提供してきています。永久欠番と準永久欠番についても球団ごとにご紹介してきました。今回は、北海道日本ハムファイターズの永久欠番と準永久欠番についての特集です。
北海道日本ハムファイターズには、永久欠番や準永久欠番が存在するのか、そして該当する選手を前身のチームから全てご紹介します。
そして、あの選手は永久欠番なのか?といった事もご案内しますので、楽しみにしていてくださいね。
■目次(クリックすると飛びます)
日本ハムファイターズに永久欠番はある?
2018年現在、日本のプロ野球で永久欠番は合計で18こありますが、日本はムファイターズには選手としての該当はありません。
しかしながら、他の球団にはないとってもユニークな永久欠番が存在しています。球団オーナーが着用した背番号を、永久欠番としているのです。
それは大社義規さんの100番です。
大社義規さん
1915年、香川県に生まれた大社さんは日本ハムを創業、実業家として活躍する一方で、大の野球好きと知られた人物でした。そして、日本ハム球団の初代オーナーに就任すると、とにかく足しげく球場に通っては、選手を慰労して周りました。
自分が仕事で球場に出向けない日は、職員を球場に向かわせて、電話で随時試合経過を報告させていた逸話も残っています。永久欠番となっている背番号100番は、1981年のリーグ優勝時に、大社氏が着用していたユニフォームの背番号です。
選手が結婚をする際には、仲人を率先して務めるなど、選手や球団、そしてファンに、これ程までに愛されたオーナーはいないと言えます。
なお、大社氏は球団オーナーとして永久欠番の栄誉を受けるだけでなく、2009年には特別表彰で野球殿堂入りまで果たしました。
ですので、オーナーが永久欠番になる、なんて事も出てくるのですね。
あの方は永久欠番じゃないの?
前身のチームからの北海道日本ハムファイターズの長い歴史で、忘れてはならない名選手がいます。それは、あの張本勲選手です。
意外な事に、張本選手がつけていた背番号10番は、永久欠番にも準永久欠番にもなっていません。
素晴らしい成績を残していながら永久欠番にも準永久欠番にもなっていないのは、その時代の背景や、球団オーナーや監督等の思惑があったのでしょう。
張本勲選手
生年月日 1940年6月19日
出身地 広島県
投/打 左/左
プロ野球歴 日本ハムファイターズ(1959年~1975年)
読売ジャイアンツ(1976年~1979年)
ロッテオリオンズ(1980年~1981年)
タイトル 首位打者7回、最多安打3回
表彰 新人王、年間MVP1回
張本選手は、史上初の3000本安打を記録した、元祖「安打製造機」と讃えられた選手です。やや、バットを斜めに寝かした構えから、シュアな打撃で安打を量産いたしました。その一方で、長打力も持ち合わせた、典型的な中距離スラッガーでした。
大阪の浪商高校から入団をした張本選手は、19歳で早くもチームの4番打者を任されます。23年間の現役生活で、3085安打、打率3割1分9厘、そして504本塁打は、「あっぱれ」といえる記録を残した選手です。
張本選手が特に素晴らしい事は、3000本以上の安打を放ちながら、500本以上の本塁打も放っている点です。「本塁打を意識するのではなく、ヒットを打ち続けることにこだわり、その延長に本塁打を考えていた」と語る中で、500本以上の本塁打を放った天才打者です。
日本ハムファイターズの準永久欠番の意味と全選手の紹介
永久欠番も準永久欠番も、偉大な功績を残した選手の背番号を欠番にすることには変わりません。欠番とする期間が永久なのか、一時的なものかの違いです。
永久欠番と準永久欠番についての詳しい解説はこちらからどうぞ。
⇒プロ野球の準永久欠番とは?永久欠番との違いと主な該当選手をご紹介
日本ハムファイターズの準永久欠番は現在3つあります。それは
- ダルビッシュ有選手・大谷翔平選手の背番号11番
- 稲葉篤紀選手の背番号41番
- 大沢啓二監督の背番号86番
となっています。
ダルビッシュ有選手・大谷翔平選手の背番号11番
現日本ハムファイターズの背番号11番は、ダルビッシュ有選手と大谷翔平選手の2人の天才投手が、アメリカ大リーグで活躍をしていることから、準永久欠番としています。
ダルビッシュ有選手
生年月日 1986年8月16日
出身地 大阪府羽曳野市
投/打 右/右
プロ野球歴 北海道日本ハムファイターズ(2005年~2011年)
テキサス・レンジャーズ(2012年~2017年)
ロサンゼルス・ドジャース(2017年)
シカゴ・カブス(2018年~)
タイトル ※日本プロ野球 最優秀防御率2回、最多奪三振3回、
※アメリカ大リーグ 最多奪三振1回
表彰 最優秀投手1回、沢村賞1回、年間MVP2回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞2回
大谷翔平選手
生年月日 1994年7月5日
出身地 岩手県奥州市
投/打 右/左
プロ野球歴 北海道日本ハムファイターズ(2013年~2017年)
ロサンゼルス・エンゼルス(2018年~)
タイトル 最多勝1回、最優秀防御率1回
表彰 最優秀選手1回、ベストナイン3回
ダルビッシュ有選手は、2007年と2009年のチームの優勝に大きく貢献し、MVPを獲得しています。
一方、大谷選手は、2014年に日本プロ野球史上初となる、二桁本塁打と二桁勝利の二刀流を達成した、若くして歴史に名を残す選手です。
この2人の天才投手の益々の活躍に、球団も敬意を表し、将来は永久欠番にする可能性を十分に秘めています。
稲葉篤紀選手
生年月日 1972年8月3日
出 身 愛知県北名古屋市
投/打 左/左
プロ野球歴 ヤクルトスワローズ (1995 – 2004)
北海道日本ハムファイターズ (2005 ? 2014)
タイトル 首位打者1回、最多安打1回
表彰 ベストナイン5回、ゴールデングラブ5回
稲葉選手は「個人成績は二の次ぎ」をモットーにしており、常にチームプレーを優先する選手でした。走攻守の三拍子が揃った好選手として、20年間の現役生活で通算2167安打を記録しています。
稲葉選手の万人に愛され、周囲から尊敬される人格、そして類まれな指導力が評価され、2017年度からは日本代表監督に就任しました。また、稲葉選手と言えば、ファンファーレに合わせて一斉にファンが飛び跳ねる、「稲葉ジャンプ」が有名でした。
ちなみに、稲葉ジャンプが生まれた背景は、仙台の球場での試合で、寒さの余り観客がジャンプしたのが始まりと言われています。
稲葉選手は自分のイニシャル「A・I」に似ていることから、41番を好んだと言われています。その背番号41番は、稲葉選手の功績を讃えて、引退後は空き番号になっています。
大沢啓二監督
生年月日 1932年3月14日
出 身 神奈川県藤沢市
投/打 右/右
プロ野球歴 南海ホークス (1956年~1964年)
東京オリオンズ (1965年)
※監督として
東京オリオンズ~ ロッテオリオンズ (1966年~1972年)
日本ハムファイターズ (1976年~1984年、 1993年~1994年)
タイトル 特になし
大沢監督と言えば、テレビに登場する際は和服姿がとても印象的でした。サングラスを掛けた貫禄のある容貌、親分肌の性格とべらんめぇ口調から、「親分」のニックネームで親しまれていましたね。
日本ハムファイターズの監督を三度に渡って務めると、1985年から1992年は球団常務取締役も歴任しています。このように球団の発展に尽力したことが評価され、監督時代に付けていた背番号86は準永久欠番に制定されています。
⇒広島カープの永久欠番!全ての背番号と選手の経歴をご紹介!
⇒プロ野球の永久欠番と準永久欠番!球団ごとに意味と全選手をご紹介
他にも北海道日本ハムファイターズに関しての話題も提供しています。こちらからどうぞ。
⇒北海道日本ハムファイターズの話題
野球に関する話題も多数お届けしています。よろしければ、ご覧になってみてくださいね。
⇒野球に関する話題はこちらからどうぞ
まとめ
今回は、北海道日本ハムファイターズの永久欠番と準永久欠番について、前身のチームも含めてご紹介しましたが、いかがだったでしょうか?唯一の永久欠番が、球団オーナーがつけていた番号というのも面白いですね。
輝かしい成績を残した張本選手が、永久欠番どころか準永久欠番になっていないというのは、北海道日本ハムファイターズも基準が厳しいのかもしれません。
今後どのような選手が、永久欠番にふさわしい活躍を見せるのか、といった事も楽しみですね!
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。