こんにちは、みっつです。
プロ野球には、活躍した選手を称えるために、永久欠番や準永久欠番があります。当ブログでも、永久欠番と準永久欠番について、チーム別に特集してきました。
今回は、チーム別に特集してきた永久欠番と準永久欠番の記事を、一気にご紹介したいと思います。
■目次(クリックすると飛びます)
セントラルリーグのチーム別の永久欠番・準永久欠番
まずは、セントラルリーグ各チームの、永久欠番と準永久欠番についてご紹介します。
広島東洋カープ
広島東洋カープは、1950年の2リーグ制のスタートと同時に発足した歴史ある球団です。これまで、永久欠番の栄誉を受けた選手は3人います。
その中には、国民栄誉賞を受賞している選手や、初代ミスター赤ヘルと呼ばれた選手、更には、男気に溢れた性格から、多くのファンに愛された選手が含まれています。
選手の詳細は、紹介記事リンクで、経歴を含めてご紹介しています。
阪神タイガース
阪神タイガースは、1935年に大阪野球倶楽部として設立されました。
日本プロ野球の球団として、2番目に誕生した阪神タイガースには、歴史に残る名選手も多く、これまでに3人の選手が永久欠番の栄誉を受けています。
その中には、初代ミスター・タイガース、更に2代目ミスター・タイガースと呼ばれた選手がいます。
また、選手としての成績に加え、監督しての功績も認められて、永久欠番に制定された選手もいます。詳しくは、紹介記事をご覧ください。3人の永久欠番選手について、経歴を含めてご紹介しています。
横浜DeNAベイスターズ
横浜DeNAベイスターズには、前身の球団にまで遡っても、永久欠番に該当する選手はいません。しかし、横浜DeNAベイスターズには、その昔、対象者を固定せずに背番号100を永久欠番に定めたことがあります。
ある特定の背番号を先に永久欠番とし、球団に貢献した人に背番号100番をプレゼントして、讃えようとするとても珍しい試みでしたが、球団の身売りとともに消滅をしています。
また、本来ならば、永久欠番に制定されてもおかしくない選手が何人かいます。その中から、カミソリシュートを武器に活躍をした、平松政次選手を取り上げてみました。
その一方、横浜DeNAベイスターズでは、背番号18番を「横浜ナンバー」とし、準永久欠番としています。平松政次選手と、準永久欠番の18番を付けていた選手について、経歴を含めてご紹介しています。
読売ジャイアンツ
日本プロ野球界で最も歴史のある巨人は、1934年に大日本東京野球倶楽部として発足いたしました。その後、1947年に読売ジャイアンツ(以下、巨人)に球団名を変更し、現在に至っています。
歴史のある巨人には、これまでに6人の選手が永久欠番の栄誉を受けています。その中には、50年以上も前に制定された背番号であったり、他球団で多くの活躍をしたにもかかわらず、巨人の永久欠番と受けている選手がいます。
永久欠番の栄誉を受けた6選手について、経歴を含めてご紹介しています。
中日ドラゴンズ
中日ドラゴンズは、1936年に名古屋軍として球団の歴史が始まり、1954年に中日ドラゴンズの球団名に変更されています。読売ジャイアンツ、阪神タイガースに続いて、3番目に古い球団になります。
歴史がある中日ドラゴンズには、これまでに2人の選手が永久欠番の栄誉を受けています。戦争がプロ野球選手に大きな影響を及ぼした時期があります。
選手として最も活躍できる時期に、野球を離れ戦地に赴くことは、耐え難いことだったでしょうね。
中日ドラゴンズで永久欠番を受けている2選手は、そうした戦争に大きく野球人生を左右された選手です。経歴と永久欠番を受けた経緯についてご紹介しています。
東京ヤクルトスワローズ
東京ヤクルトスワローズには、前身の国鉄スワローズまで遡っても、永久欠番に該当する選手はいません。
しかし、永久欠番に制定されてもおかしくない選手が何人かいます。その中から、永久欠番ではありませんが、一時期、保留欠番を受けていた大杉勝男選手を取り上げてみました。
その一方、東京ヤクルトスワローズには、準永久欠番として制定された番号が、現在3つあります。その中には、初代ミスター・スワローズと呼ばれた選手から、名捕手が継承してきた背番号を付けていた選手等が、準永久欠番の対象となっています。
大杉勝男選手と、3人の準永久欠番選手について、経歴を含めてご紹介しています。
パシフィックリーグのチーム別の永久欠番・準永久欠番
続いてパシフィックリーグの各チームの、永久欠番と準永久欠番をご紹介したいと思います。セントラルリーグのチームと比べると、永久欠番が若干少ないように感じます。
福岡ソフトバンクホークス
福岡ソフトバンクホークスには、前身の南海ホークス及びダイエーホークスまで遡っても、永久欠番に該当する選手はいません。
しかし、永久欠番に制定されてもおかしくない選手が何人かいます。その中から、戦後初の三冠王に輝き、23年間ホークスで活躍した、野村克也選手を取り上げてみました。
その一方、福岡ソフトバンクホークスには、準永久欠番として制定された番号が、これまでに6つありました。幅広く活躍した選手から、功績を残した監督、更には架空上の選手に至るまで、準永久欠番の対象となっています。
野村克也選手と、6人の準永久欠番選手について、経歴を含めてご紹介しています。
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズは、福岡に拠点をおく西鉄ライオンズが前身のチームです。その後、数回にわたり球団名が変わる中で、永久欠番が1つあります。
それは、「神様、仏様、稲尾様」とファンから呼ばれた、稲尾和久選手の背番号24番です。この、稲尾選手の背番号が永久欠番になった理由にはドラマがあります。
また、埼玉西武ライオンズは準永久欠番として制定された番号が、これまでに4つありましたが、現在は3つの背番号が準永久欠番から消滅をしています。稲尾選手と、4人の準永久欠番選手について、経歴を含めてご紹介しています。
東北楽天ゴールデンイーグルス
東北楽天ゴールデンイーグルスは、2004年に設立された、現在の日本プロ野球界で一番新しい球団です。創立から14年とまだまだ浅い歴史ですが、これまでに2つの永久欠番があります。
その番号と該当者は、輝かしい成績を残した選手ではなく、新設球団ならではの番号と、球団への貢献度から制定された番号です。
また、東北楽天ゴールデンイーグルスには、これまでアメリカ大リーグに移籍し、活躍をする選手が2名も輩出しています。将来、新たな永久欠番となるかもしれません。
北海道日本ハムファイターズ
北海道日本ハムファイターズには、前身の球団に遡っても、永久欠番に該当する選手はいません。他の球団にはないとてもユニークな永久欠番が存在しています。それは、球団オーナーが着用した背番号を、永久欠番としているのです。
また、本来ならば、永久欠番に制定されてもおかしくない選手が何人かいます。その中から、史上初の3000本安打を放ち、元祖安打製造機と呼ばれた、張本勲選手を取り上げてみました。
その一方、北海道日本ハムファイターズには、準永久欠番として制定された番号が3つあります。ユニークな永久欠番と張本選手、3人の準永久欠番選手について、経歴を含めてご紹介しています。
オリックス・バファローズ
オリックス・バファローズは、オリックス・ブルーウェーブと近鉄バファローズが、2004年の合併により誕生したプロ野球チームです。新球団としての歴史は浅いですが、前身の球団を含めると約80年もの歴史があります。
これまで、オリックス・バッファローズには、2人の永久欠番が制定されましたが、不運にも永久欠番でなくなりました。その一方、オリックス・バッファローズには、準永久欠番として制定された番号が3つあります。
その中には、近い将来間違いなく永久欠番に制定されるでしょう、世界で活躍をした有名選手もいます。
千葉ロッテマリーンズ
千葉ロッテマリーンズには、前身の毎日オリオンズまで遡っても、永久欠番に該当する選手はいません。しかし、永久欠番に制定されてもおかしくない選手が何人かいます。
その中から、史上最多の3度の三冠王に輝き、プロ野球史上最強の右打者と呼ばれた、落合博満選手を取り上げてみました。その一方、千葉ロッテマリーンズには、3つの準永久欠番が制定されましたが、2つは消滅しています。
落合博満選手と、3つ準永久欠番選手について、経歴を含めてご紹介しています。
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まとめ
今回は、プロ野球の永久欠番と準永久欠番について、球団別にまとめた記事をご紹介しましたが、いかがだったでしょうか?
せっかく永久欠番や準永久欠番になっても、身売りといった事情で消滅してしまったり、球団の方針で永久欠番にならなかった番号もあります。
明確な基準がないので仕方ありませんが、誰もが納得できるような形で、永久欠番と準永久欠番を決めて欲しいものですね。
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。