こんにちは、みっつです。
中日ドラゴンズは1936年に名古屋軍として球団の歴史が始まりました。読売ジャイアンツ、阪神タイガースに続いて、3番目に古い球団となります。
その後、1954年に、現在の中日ドラゴンズと球団名が変更されました。その中日ドラゴンズの永久欠番について、今回は特集したいと思います。
全ての背番号と選手の経歴をど紹介しますので、楽しみにしていてくださいね!
■目次(クリックすると飛びます)
中日ドラゴンズの永久欠番の番号と選手とは
球団が発足して80年以上の歴史ある中日ドラゴンズでは、これまで永久欠番の名誉を受けた選手が2人います。その2人とは
- 背番号10番の服部受弘選手
- 背番号15番の西沢道夫選手
です。
背番号10番の服部受弘選手
生年月日 1920年2月23日
出身地 愛知県
投/打 右/右
プロ野球歴 中日ドラゴンズ(1939年~1941年、1946年~1955年、1957年~1958年)
タイトル 本塁打王1回
制定の日 1960年3月20日
服部選手は1939年に日本大学から捕手として入団をいたしました。2年後の1941年には本塁打王に輝きましたが、その後、軍に召集されてしまいます。
戦後、プロ野球界に再び戻ってくると、最初は阪急ブレーブスに籍を置きましたが、すぐに中日ドラゴンズに復帰いたしました。
1945年、復帰したその年に、服部選手は当時の監督の進めで、捕手から投手に転向を果たします。一時は打者として本塁打王を獲得した選手が、投手に転向するのはとても珍しいことといえます。
そして、投手転向の2年目には開幕投手を務め、チームのエースに成長をいたします。服部選手は投手としても成功を収め、10年間で259試合に登板、112勝を挙げました。
また、服部選手は引退し1956年に専任コーチとなりますが、その翌年には再び選手として復活するなど、当時ならではのエピソードも残っています。
二軍監督時代の1977年にも、背番号10番を使いました。
背番号15番の西沢道夫選手
生年月日 1921年9月1日
出身地 東京都
投/打 右/右
プロ野球歴 中日ドラゴンズ(1937年~1943年、1946年)
ロッテオリオンズ(1946年~1948年)
中日ドラゴンズ(1949年~1958年)
タイトル 首位打者1回、打点王1回
制定の日 1959年3月15日
西沢選手は中日ドラゴンズが創設された1936年に、養成選手として入団をいたしました。当時は、まだ15歳の少年でした。
翌年、16歳のときにプロ野球で初登板を果たすと、その3年後には20勝を挙げる投手にまで成長をいたします。その後、戦争に召集され、戦後はヒジを痛めたことから打者に転向しました。。
西沢選手は、一時期ではあるが、二刀流として活躍した選手にもなります。
投手としての成績は、通算9年間で231試合に登板、60勝を挙げました。そして、打者としては、首位打者と打点王のタイトルを獲得するなど、大きな功績を残しました。
同時進行ではなくても、打者として40本塁打を記録し、また投手として20勝以上をあげたことのある選手は、長い日本プロ野球の歴史の中でも、西沢選手ただ1人です。
西沢選手は養成選手から永久欠番を受ける選手にまで、階段を駆け上がった選手です。まさに、野球を通して「ジャパン・ドリーム」を実現したといえます。
また、ヘッドコーチ・監督時代の1963年~1966年にも、背番号15番を使用していました。
永久欠番になる条件とは?
永久欠番は、チーム内で類まれな活躍をしたプレイヤーに、球団が栄誉を讃えるものです。その選手がつけていた背番号を永久に欠番にするということは、選手にとっても名誉なことでもあります。
永久欠番になった経緯は見ると、偉大な成績を挙げてチームに貢献をした選手であったり、チームを優勝に導いた采配が認められた監督など、様々なケースがあります。
ちなみに、日本のプロ野球の過去を紐解くと、戦争が選手に大きな影響を及ぼした時期があります。選手として最も活躍できる時期に、野球を離れ戦争に赴くことは、耐え難いことだったと思います。
これまでに、永久欠番を受ける経緯の中には、服部選手や西沢選手のように、戦争を挟んで復帰し活躍した功績が認められたケースもあります。
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まとめ
今回は、中日ドラゴンズの永久欠番についてご紹介しましたが、いかがだったでしょうか?
日本のプロ野球の球団で3番目の歴史を誇る中日ドラゴンズですから、もっと多くの永久欠番があるかと思っていました。
貴重な2つの永久欠番、これからも背番号、選手ともに語り継がれていって欲しいですね!
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。