プロ野球の永久欠番の条件って?主な永久欠番の選手もご紹介!

豆知識

こんにちは、みっつです。

野球のユニフォームには背番号がついていて、番号によってつける選手の特徴があったり意味があったりします。

そんな背番号の中で、プロ野球では永久欠番と呼ばれる今後誰もつけられない番号があります。

今回は、プロ野球の永久欠番の特集です。永久欠番の条件や、メジャーリーグの主な永久欠番の選手についてご紹介していきますね。

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プロ野球の永久欠番の条件って?

プロ野球における永久欠番の条件とは、どのような事があるのでしょうか?はっきりとした規定はありませんが、大活躍をした選手を讃えるために、その選手がつけていた背番号を永久欠番とするケースが多いです。

しかし、単に偉大な成績や記録を残しただけでは、永久欠番とされることは少ないとも言われています。永久欠番を受けられる選手は、偉大な成績だけでなく、チームへの貢献度も考慮されるのです。

大きな記録は残していなくても、チームに貢献をしていた選手が不慮の死にあったり、病気でやむなく現役を引退することになったりした時に、受けた選手もいます。

また永久欠番とされながら、球団が消滅をしたり本拠地移転や球団名変更したりすることで、消滅してしまったというケースも存在しています。

いつから永久欠番は始まったの?

野球での永久欠番の歴史は、1939年から始まりました。

アメリカメジャーリーグのニューヨーク・ヤンキース、ルー・ゲーリック選手の引退に際し、つけていた背番号4番を欠番として、その功績を讃えたのです。

日本のプロ野球で最初に永久欠番となった選手は、1947年7月9日の黒沢俊夫選手と沢村栄治選手となります。

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メジャーリーグの主な永久欠番をご紹介!

永久欠番発祥の地、アメリカメジャーリーグの永久欠番の選手をご紹介します。

ルー・ゲーリック選手

生年月日  1903年6月19日
出身地   アメリカ合衆国ニューヨーク州
投/打   左/左
プロ野球歴 ニューヨーク・ヤンキース(1923年~1939年)
タイトル  三冠王1回、首位打者1回、本塁打王3回、打点王5回、
      アメリカンリーグMVP2回
永久欠番  4番

野球で永久欠番が生まれるきっかけとなった選手が、ルー・ゲーリック選手です。

ニューヨーク・ヤンキースで15年間プレーする中で、2130試合に連続出場を果たすなど、様々なタイトルを獲得したスター・プレイヤーです。

ルー・ゲーリック選手は、35歳のとき不治の病といわれ筋肉が衰えてゆく筋萎縮性側策硬化症に罹り、引退を余儀なくされました。その功績を讃えて、球団は彼の背番号を永久欠番にすることを決めました。

ちなみに、ニューヨーク・ヤンキースでは、先にも後にも、背番号4をつけた選手は彼だけとなります。

ベーブ・ルース選手

生年月日  1895年2月6日
出身地   アメリカ合衆国メリーランド州
投/打   左/左
プロ野球歴 ボストン・レッドソックス(1914年~1919年)
      ニューヨーク・ヤンキース(1920年~1934年)
      ボストン・ブレーブス(1935年)
タイトル  首位打者1回、本塁打王12回、打点王6回、
      MVP1回、最優秀防御率1回
永久欠番  3番

ベーブ・ルース選手は、長いプロ野球の歴史の中でも、もっとも偉大な選手であり、「野球の神様」と人々から称されるなど、伝説として後世に伝えられている選手です。

元祖二刀流のベーブ・ルース選手は、打者として22年間、投手としても10年間、プロ野球の世界で活躍をいたしました。

特に、打者としてすばらしい成績を残しており、1927年に記録したシーズン60本塁打は、34年間もその記録が破られることがありませんでした。長距離打者として12回の本塁打王に輝き、生涯で放った本塁打は714本になります。

実は、ベーブ・ルースが入団した当初は、プロ野球界で背番号をつける習慣がありませんでしたが、1929年に所属していたニューヨーク・ヤンキースが、打順にあわせて背番号を割り振ることになりました。

ノーラン・ライアン選手

生年月日  1947年1月31日
出身地   アメリカ合衆国テキサス州
投/打   右/右
プロ野球歴 ニューヨーク・メッツ(1966年~1971年)
カルフォルニア・エンゼルス(1972年~1979年)
ヒューストン・アストロズ(1980年~1988年)
テキサス・レンジャース(1989年~1993年)
タイトル  最優秀防御率2回、最多奪三振11回
永久欠番  30番(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)
      34番(ヒューストン・アストロズ、テキサス・レンジャース)

ノーラン・ライアン選手は、160Km以上の剛速球を武器に三振の山を築いた、歴史に名をはせる伝説の大投手です。 その記録は、27年間の現役の中で324勝をあげ、5714個の三振を奪いました。

永久欠番は輝かしい活躍をした選手の栄誉を讃える意味で、その選手が付けていた背番号を球団として残すものです。その中でも複数の球団で活躍が認められたことから、ひとりで複数球団から永久欠番の栄誉を受けている選手がいます。

ノーラン・ライアン選手は3つの球団から永久欠番の称号を受けている選手です。

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ハンク・アーロン選手

生年月日  1934年2月5日
出身地   アメリカ合衆国アラバマ州
投/打   右/右
プロ野球歴 アトランタ・ブレーブス(1954年~1974年)
ミルウォーキー・ブルワーズ(1975年~1976年)
タイトル  首位打者2回、本塁打王4回、打点王4回、MVP1回、
ゴールデングラブ賞3回
永久欠番  44番(アトランタ・ブレーブス、ミルウォーキー・ブルワーズ)

ハンク・アーロン選手は、日本の王貞治選手に抜かれるまで、通算本塁打で世界記録を持っていました。また、2007年にバリー・ボンズ選手に抜かれまでは、アメリカ大リーグの通算本塁打記録保持者でもありました。

ハンク・アーロン選手は入団当初こそ、その背番号は一桁の5番をつけていました。しかし、翌年から、本人の希望で背番号44をつけるようになっています。

ハンク・アーロン選手は所属した2球団で活躍したことから、両球団からその功績を讃えて背番号44が永久欠番になっています。

ジャッキー・ロビンソン選手

生年月日  1919年1月31日
出身地   アメリカ合衆国ジョージア州
投/打   右/右
プロ野球歴 カンザスシティ・モナークス(1945年)
      ブルックリン・ドジャース(1947年~1956年)
タイトル  首位打者1回、盗塁王2回、新人王、ナショナルリーグMVP1回
永久欠番  42番

ジャッキー・ロビンソン選手は、アメリカ大リーグがMLBとして体制が整った1900年以降で、初めて黒人(アフリカ系アメリカ人)の大リーガーとなり活躍をいたしました。そして、アメリカ大リーグの長い歴史の中で、黒人選手として初めて永久欠番の栄誉を受けた選手でもあります。

ちなみに、複数の球団から永久欠番を受けている選手は、2018年時点で10人の選手が存在します。

しかし、ジャッキー・ロビンソン選手は黒人として、また有色人種全体のアメリカ大リーグへの道を切り開いたとし、全球団から永久欠番を受けている偉大な選手です。

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まとめ

今回は、プロ野球の永久欠番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?

永久欠番になるためには素晴らしい成績はもちろんですが、所属しているチームへの貢献度といった事も考慮されているのがわかりましたね。

永久欠番は、これからもプロ野球で輝かしい貢献をした人をたたえるために、ずっと残されていく事でしょうね。

最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。