野球で背番号4番はどんな意味がある?プロとアマチュアで徹底解説 !

豆知識

こんにちは、みっつです。

数字の4というと、どのようなイメージがありますか?日本ではあまり縁起が良いとは言えないというイメージではないでしょうか?

日本の野球においても、背番号4番は少し避けられる傾向にあったようです。

今回はそんな野球において、背番号4番はどのような意味・位置づけなのか、プロ野球とアマチュア野球に分けて解説します。

そして、日本のプロ野球で背番号4番をつけて活躍した選手もご紹介しますので、楽しみにしていてくださいね!

ご注意
ご紹介する内容は、筆者の思いや推測が含まれています。また正確さを保証している訳ではありませんので、御理解の上お読みください。

■目次(クリックすると飛びます)

プロ野球での背番号4番の意味

最初にお話したとおり、日本人は4という数字にあまり良いイメージを持っていないようです。

プロ野球界においても、背番号4番を避ける傾向にあり、一昔前は空き番号として選手につけさせない球団がいくつかありました。

その状況をくつがえしたのが、ジーン・バッキー投手です。

1962年に阪神タイガースに入団したバッキー投手は、1964年には沢村賞を獲得するなど、阪神タイガースの優勝に大きく貢献しました。

このバッキー投手の活躍により、もともと4の数字に抵抗のない外国選手が、好んで背番号4番をつけるようになったのです。

このような流れから、プロ野球界で背番号4番の意味するところは、活躍が期待される外国人に多いといえます。

そのなかで、日本人で背番号4番をつけている選手もいます。

背番号4番の日本人選手には、高校野球の影響からか二塁手として活躍する選手が多いようです。

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アマチュア野球での背番号4番の意味

高校野球では各ポジションにより背番号が割り当てられる傾向があり、背番号4番の持つ意味は、二塁手をあらわしています。

その一方、大学野球や社会人野球では、背番号の選択が自由なことから、背番号4番を好んでつける選手は少ないようです。

やはり、4という数字を避けているのでしょうね。

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プロ野球での主な背番号4番の選手

日本のプロ野球で背番号4番をつけて大活躍した、5人の選手をご紹介しますね。

チャーリー・マニエル選手

生年月日  1944年1月4日
出身地   アメリカ合衆国ウェストバージニア州
投/打   右/左
プロ野球歴 ヤクルトスワローズ(1976年~1978年)
      近鉄バッファローズ(1979年~1980年)
      ヤクルトスワローズ(1981年)
タイトル  本塁打王2回
      打点王1回
表彰歴   MVP1回

マニエル選手はヤクルトスワローズから近鉄バッファローズ、そして再びヤクルトへと、球団を渡り歩きましたが、背番号は常に4番をつけていました。

日本球界にいた6年間のなかでも、特に近鉄バッファローズに所属していた2年間は、本塁打王2回、打点王1回に輝き、球団の初優勝にも貢献をいたしまた。

マニエル選手はヤクルト時代にもチームの初優勝に大きく貢献しており、優勝請負人ともいわれた選手です。

その証拠に、ヤクルト・近鉄の両チームとも、マニエル選手が去った翌年は、リーグ最下位に沈んでしまったエピソードが残っています。

ウラディミール・バレンティン選手

生年月日  1984年7月2日
出身地   オランダ王国キュラソー島
投/打   右/右
プロ野球歴 シアトル・マリナーズ(2007年~2009年)
      シンシナティ・レッズ(2009年)
      ヤクルトスワローズ(2011年~)
タイトル  本塁打王3回

バレンティン選手の魅力といえば、その長打力にあります。
2013年には年間本塁打60本の日本記録を更新するなど、3年連続本塁打王に輝きました。

その一方では、三振の多い選手としても有名です。

2011年には、規定打席に到達した選手のなかで打率が最も低い本塁打王に輝き、翌年には規定打席に到達しておらないが本塁打王になるなど、輝かしい記録の一方では珍記録も残っています。

水谷実雄選手

生年月日  1947年11月19日
出身地   長崎県
投/打   右/右
プロ野球歴 広島東洋カープ(1966年~1982年)
      阪急ブレーブス(1983年~1985年)
タイトル  首位打者1回
      打点王1回

水谷選手は投手として広島東洋カープに入団をしましたが、すぐに野手に転向をし、優秀な成績を残した選手です。

水谷選手は入団当初の背番号は66番でした。
しかし、入団6年目から背番号を4番に変更をすると、1番バッターに定着し、目覚ましい活躍をみせました

その後、長打力にも磨きが掛かり、5番バッターとして、「赤ヘル黄金時代」を支える選手になりました。

正田耕三選手

生年月日  1962年1月2日
出身地   和歌山県
投/打   右/右・左
プロ野球歴 広島東洋カープ(1985年~1998年)
タイトル  首位打者2回
      盗塁王1回
表彰歴   ゴールデングラブ賞5回

正田選手は背番号4番をつけた日本人選手として、最も印象が強い選手です。

スイッチヒッターの正田選手は、ヒットメーカーの言葉が良く似合う選手でした。

入団2年目には読売ジャイアンツの篠塚選手と同率の首位打者を獲得しました。
この時、スイッチヒッターとして初めての首位打者に輝き、また、本塁打ゼロの首位打者も初めてのことでした。

正田選手はプロ野球に入団後にスイッチヒッターに転向し成功を収めた、苦労人でもあります。

大石大二郎選手

生年月日  1958年10月20日
出身地   静岡県
投/打   右/右
プロ野球歴 近鉄バッファローズ(1981年~1997年)
タイトル  盗塁王4回
表彰歴   新人王
      ゴールデングラブ賞3回

近鉄バッファローズ球団55年の歴史のなかで、もっとも長く背番号4番をつけた日本人選手です。
近鉄球団ではもともと背番号4番は外国人番号として定着をしていました。
そのなかで、大石選手は15年間、背番号4番を背負い続けた選手です。

入団当初は背番号43番をつけていましたが、2年目に新人王を獲得する活躍が評価され、一桁台の背番号4番に格上げされました。

シュアなバッティングが魅力であり、盗塁王に4度も輝くなど足の速い選手でしたので、1番バッターとして活躍をいたしました。

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まとめ

今回は、日本の野球での背番号4番についてご紹介しましたが、いかがだったでしょうか?

日本では4という数字はあまり良いイメージがないので、どちらかというと外国人選手がつける事が多いという傾向があります。

以前ほどではありませんが、日本人選手がつけるケースは少なめのようです。

今後はどれ位の日本人選手が背番号4番をつけるのか?といった事に注目するのも、面白いかもしれませんね。

最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。