こんにちは、みっつです。
野球の背番号5番、どのようなイメージをお持ちになりますか?
プロ野球だと、あの選手がつけていた番号だ!などとお思いになるかもしれませんね。一桁の数字なので、プロ野球では多くの有名な選手がつけていました。
今回は、野球で背番号5番の持つ意味を、プロ野球とアマチュア野球で検証してみたいと思います。
そして、プロ野球で背番号5番つけて大活躍した選手もご紹介しますので、楽しみにしていてくださいね。
■目次(クリックすると飛びます)
プロ野球での背番号5番の意味
プロ野球界において背番号5の選手は、攻撃・守備ともに、チームの要の選手が背負っている事が多いです。
バッティングにおいては、背番号5番をつける選手は、クリーンナッ
プと呼ばれる、主軸となる打順を任される傾向にあります。
守備においては、内野であればサード、外野であればセンターといった、華やかで軸となるポジションを任せれているケースが多いです。
このことから、プロ野球でも背番号5番をつける選手は、攻守にわたって高いレベルの選手である、と言えるのではないでしょうか。
アマチュア野球での背番号5番の意味
次に、アマチュア野球での背番号5番の意味を考えてみたいと思います。
高校野球では各ポジションにより背番号が割り当てられます。
高校野球において背番号5番の持つ意味は、サードをあらわしています。
サードは打球が飛んでくる確率が高く、もっとも早い打球が飛んでくるポジションでもあります。
従って、三塁は守備の要であり、チームのなかでも野球センスに優れた選手が守ります。といった事から、チームの中心選手が背負っているのが背番号5番であると言えます。
その一方、大学野球や社会人野球では、背番号の選択が自由です。
大学野球や社会人野球で好んで背番号5をつける選手は、高校野球で背番号5番をつけていた選手が多くなります。
大学野球や社会人野球でも背番号5番をつける選手は、高校野球の流れをくみ、野球センスに優れた、チームの要の存在となる選手が多くなります。
プロ野球での主な背番号5番の選手
プロ野球で、背番号5を実際につけた選手の中でも、大活躍した5選手をご紹介しますね。
清原和博選手
生年月日 1967年8月18日
出身地 大阪府
投/打 右/右
プロ野球歴 埼玉西武ライオンズ(1986年~1996年)
読売ジャイアンツ(1997年~2005年)
オリックス・バッファローズ(2006年~2008年)
表彰歴 新人王
ゴールデングラブ賞5回
清原選手は高校時代、1年生の頃から名門PL学園の4番バッターとして活躍しました。甲子園では通算13本の本塁打を放ち、通算最多本塁打の記録を残しています。
清原選手は埼玉西武ライオンズに在籍していた11年間は背番号3をつけていましたが、その後、移籍をした読売ジャイアンツでは背番号3が永久欠番であったことから、背番号5番をつけるようになります。
その後、オリックス・バッファローズに移籍した後も、現役を引退するまでの12年間を背番号5番で過ごしました。
清原選手は通算安打数2122本、通算本塁打数525本の輝かしい記録を残していますが、首位打者・本塁打王・打点王といったタイトルを一度も獲得することがありませんでした。
このことから、清原選手は「無冠の帝王」と呼ばれています。
また、「お祭り男」の異名もあり、チャンスや大きな試合では活躍をする選手でした。
新庄剛志選手
生年月日 1972年1月28日
出身地 福岡県
投/打 右/右
プロ野球歴 阪神タイガース(1990年~2000年)
ニューヨーク・メッツ(2001年)
サンフランシスコ・ジャイアンツ(2002年)
ニューヨーク・メッツ(2003年)
北海道日本ハムファイターズ(2004年~2006年)
表彰歴 ゴールデングラブ賞10回
新庄選手は「記録よりも記憶に残る男」と称される選手です。
新庄選手の背番号は入団当初こそ63番つけていましたが、入団3年目に亀山選手とのコンビによる「亀新フィーバー」が巻き起こると、その翌年から背番号も5番に変わり、一躍チームの中心選手となりました。
その後、新庄選手はアメリカ大リーグに移籍をいたしますが、背番号5番をつけていました。
ファンに見せるプレーをいつも心がけ、そのパフォーマンスに多くのファンが魅了されました。
また、新庄選手はチャンスにも強い選手でした。
敬遠で投じたボールを打ち返し、サヨナラ勝ちを決めるなど、エピソードはたくさん残っています。
新庄選手の奇想天外な行動と、試合を決めるプレーの数々から、「新庄劇場」とファンから讃えられていました。
石井琢朗選手
生年月日 1970年8月25日
出身地 栃木県
投/打 右/右
プロ野球歴 横浜ベイスターズ(1989年~2008年)
広島東洋カープ(2009年~2012年)
タイトル 盗塁王4回
表彰歴 ゴールデングラブ賞4回
石井選手は現役23年間で4種類の背番号をつけていましたが、もっとも印象に残っているのは背番号5番です。
横浜ベースターズの中心選手として、入団6年目から13年間背番号5番を背負いました。
石井選手は投手としてプロ野球に入団をするものの、本人が野手志望であったことから、3年目に野手に転向しました。
主に、1番・2番を打ち、リードオフマンとして、チームを引っ張りました。
シーズン最多安打も2回記録し、通算2432本の安打を記録しています。
和田一浩選手
生年月日 1972年6月19日
出身地 岐阜県
投/打 右/右
プロ野球歴 埼玉西部ライオンズ(1997年~2007年)
中日ドラゴンズ(2008年~2015年)
タイトル 首位打者1回
和田選手は強打の捕手として埼玉西部ラインオンズに入団しました。
しかし、チームには球界を代表する伊東選手が捕手を務めていたことから、入団2年目には外野への転向を決意いたしました。
背番号も捕手として期待されていたことから、入団当時は背番号22番をつけていました。
しかし、外野への転向をきっかけに、背番号5番に変更しました。
和田選手は大きくオープンにスタンスをとった、独特のバッティングフォームが特徴です。
「ヒットの延長がホームラン」とする和田選手ですが、通算315本のホームランを放った長距離バッターでもありました。
松田宣浩選手
生年月日 1983年5月17日
出身地 滋賀県
投/打 右/右
プロ野球歴 福岡ソフトバンクホークス(2006年~)
表彰歴 ゴールデングラブ賞6回
松田選手は現役のなかで最も背番号5のイメージが強い選手です。
残念ながら、11年間、背番号5番をつけていましたが、2017年からチームの意向で背番号3に変更をいたしました。
このことで、チームのリードオフマンとして要の存在から、チームのスター選手に認められたことになります。
松田選手はプロ野球界を代表する三塁手として、ゴールデングラブ賞にも6回輝いています。
しかし、松田選手の魅力はフルスイングから生み出される長打力といえます。三振も多いが、ライナーでスタンドに飛び込む、松田選手独特のホームランに魅了されるファンも多くいます。
まとめ
今回は、野球の背番号5番について解説してきましたが、いかがだったでしょうか?
背番号5番をつける選手は、プロ野球・アマチュア野球ともにチームの中心選手がつける事が多い傾向にあります。
これからも、過去の背番号5番の選手にあこがれ、またチームの期待を背負って、数多くの素晴らしい能力の選手がつけていく事でしょう。
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。