背番号27番!プロ野球ではどんな選手がつけるの?主な名選手も紹介!

豆知識

こんにちは、みっつです。

数字の27というと、どのような事を思い浮かべますか?誰かの誕生日や通勤に使っている電車やバスの発車時刻かもしれませんね(笑)

当ブログでは、野球における主な背番号についてお届けしています。そして今回は背番号27番の特集です。

背番号27番をつける選手の特徴を調べてみると、特定のポジションの名選手たちがつけている傾向がある事がわかりました。

そのポジションはどこなのか?そのポジションの背番号27番の名選手や他のポジションの名選手をご紹介していきたいと思います。

ご注意
ご紹介する内容は、筆者の思いや推測が含まれています。また正確さを保証している訳ではありませんので、御理解の上お読みください。

■目次(クリックすると飛びます)

背番号27番をつける選手の特徴って?

背番号27番は名キャッチャーがつける番号として、長年受け継がれてきています。

その原点ともいえるのが、昭和30年から20年間もの間、巨人の正捕手としてマスクをかぶり続けた、森昌彦選手の背番号が27番であったことにあります。

森選手が活躍を始めた昭和30年代、テレビ中継される映像は、バックネット裏からのものがメインでした。

この頃、テレビ中継で映し出される背番号は、ピッチャーよりもキャッチャーの方が多かったのです。

そして、当時のテレビ中継の中心は、巨人の試合であったことから、プロ野球ファンの多くが、森選手の背番号27番を一番目にしていたことになります。

こうして、捕手の背番号は27番と、ファンの脳裏に刷り込まれたのかもしれません。

ちなみに、森選手が活躍した昭和30年代には、国鉄の根来広光選手や、サンケイの加藤俊夫選手も、背番号は27番をつけていました。

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背番号27番の名捕手たち

次に、背番号27番をつけて活躍した名キャッチャーをご紹介します。

森昌彦選手

生年月日  1937年1月9日
出身地   岐阜県
投/打   右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ(1955年~1974年)
タイトル  特になし

森選手は巨人が9連覇を果たした昭和40年代、チームの要としてマスクをかぶり続けました。また、森選手は監督としても辣腕を古い、優秀な成績を収めています。

西武ライオンズの監督として、1986年からの9年間で、リーグ優勝8回、日本一6回の、驚くべきほどの好結果を残し、名将として高い評価を受けた選手です。

大矢明彦選手

生年月日  1947年12月20日
出身地   東京都
投/打   右/右
プロ野球歴 東京ヤクルトスワローズ(1970年~1985年)
タイトル  ダイヤモンドグラブ賞6回

大矢選手は、ヤクルトの捕手として15年間、背番号27番をつけ続けました。

駒澤大学からドラフト7位と、下位指名での入団でしたが、地道な努力から実績を積み挙げてレギュラーの座を掴みとりました。

当時、ヤクルトスワローズの3本柱といわれた、松岡弘投手、安田猛投手、そして鈴木康二朗投手をリードし、チームを優勝に導いた名キャッチャーです。

古田敦也選手

生年月日  1965年8月6日
出身地   兵庫県
投/打   右/右
プロ野球歴 ヤクルトスワローズ(1990年~2007年)
タイトル  首位打者1回、最多安打1回
表彰    年間MVP2回、ゴールデングラブ賞10回
 
古田選手は、大矢選手の背番号27番を引き継ぎ、18年間、捕手として活躍した選手です。

特に、野村克也監督の愛弟子といわれ、インサイドワークの良さに定評があったキャッチャーとして知られています。

古田選手は守備面だけでなく、1991年には首位打者を獲得するなど、打撃面でも非凡な才能を発揮した選手です。

現在、古田選手の背番号27番は、永久欠番ではないものの、名誉番号として扱われています。

伊東勤選手

生年月日  1962年8月29日
出身地   熊本県
投/打   右/右
プロ野球歴 埼玉西武ライオンズ(1982年~2003年)
タイトル  ゴールデングラブ賞11回

伊東選手は、西武ライオンズに所属していた1982年からの21年間、背番号27番を背負い続けた選手です。

伊東選手が入団したときコーチをしていたのが、背番号27番の大先輩であり、捕手として尊敬をする森昌彦氏でした。

伊東選手は現役を引退した後、西武ライオンズの監督に就任をすると、引き続き背番号27番を背負いました。

谷繁元信選手

生年月日  1970年12月21日
出身地   広島県
投/打   右/右
プロ野球歴 横浜大洋ホエールズ(1989年~2001年)
      中日ドラゴンズ(2002年~2015年)
表彰    ゴールデングラブ賞6回

1989年に横浜大洋ホエールズに入団した谷繁選手は、攻守の要として活躍し、2002年から中日ドラゴンズに移籍しました。

当初は背番号7番をつけていましたが、2004年からは当時の落合監督の意向により、背番号を名捕手の証ともいえる27番をつけました。

また、2014年からは兼任監督も努めるなど、捕手から監督への王道を辿った選手でもあります。

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背番号27番の捕手以外の名選手をご紹介

日本プロ野球の歴史を振り返ると、名捕手がずらりと並ぶ背番号27番のなかで、投手として活躍をした選手もいます。その選手をご紹介します。

平松政次選手

生年月日  1947年9月19日
出身地   岡山県
投/打   右/右
プロ野球歴 横浜大洋ホエールズ(1967年~1984年)
タイトル  最多勝2回、最優秀防御率1回、沢村賞1回

背番号27番の代名詞と呼ばれる、巨人の森昌彦捕手が活躍していた頃に、まさに「巨人キラー」と称された、大洋ホエールズの平松政次投手です。

平松選手も入団当初は空番号の関係から背番号3番をつけましたが、2年目に背番号を27番に変更すると、その年から12年連続で2桁勝利を挙げる活躍を見せました。

天下一品のシュートは「カミソリシュート」と呼ばれ、V9を達成した巨人打線を悩ませ続けました。

1970年には年間25勝、防御率1.95の好成績を挙げると、最多勝と沢村賞を獲得しています。

弱小チームといわれた大洋ホエールズで、孤軍奮闘の活躍を見せた平松選手は、ホームベースではなくマウンドで背番号27番を輝かせました。

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まとめ

今回は、野球における背番号27番についてお伝えしましたが、いかがだったでしょうか?背番号27番はキャッチャーの番号と言えるほど、名キャッチャーが多かったですね。

キャッチャー以外でご紹介しました平松選手は、当初は3番、後に27番とピッチャーとしては珍しい背番号をつけていたのが、面白いですね!

最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。