背番号25番!プロ野球ではどんな選手がつけるの?主な名選手もご紹介!

豆知識

こんにちは、みっつです。

数字の25というと、どのような事を思い出しますでしょうか?4分の1を表すクォーター?それとも笑顔の意味に使われる2525(ニコニコ)でしょうか(笑)

当ブログでは、野球に関しての話題を多く提供していますが、今回は野球における背番号25番についてお伝えしたいと思います。

日本のプロ野球で背番号25番をつける選手の特徴や、実際に25番をつけて活躍した選手、歴代のDeNAベイスターズの25番をご紹介しますので、楽しみにしていてくださいね。

ご注意
ご紹介する内容は、筆者の思いや推測が含まれています。また正確さを保証している訳ではありませんので、御理解の上お読みください。

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背番号25番をつける選手の特徴って?

背番号25番のイメージは、チームの4番バッターや代打男など、長距離打者のイメージが強くあります。この背番号25番のイメージを作り上げたといえるのが、1948年に阪神タイガースに入団をした別当薫選手です。

別当選手は入団1年目から、ダイナマイト打線と恐れられた、強力打線の一角を担いました。

別当選手に代表されるように、背番号25番の打者には、右打ちのパワーヒッターが多くいます。次からは、そんな選手たちをご紹介します。

背番号25番の歴代名野手たち

長距離バッターがつけるイメージが強い背番号25番、ここでは別当薫選手を始め、4人の選手をご紹介していきます。

別当薫選手

生年月日  1920年8月23日
出身地   兵庫県
投/打   右/右
プロ野球歴 大阪タイガース(1948年~1949年)
      毎日オリオンズ(1950年~1957年)
タイトル  本塁打王1回、打点王1回
表彰    最優秀選手1回、ベストナイン6回

別当選手は入団時から引退する前年まで、元祖、背番号25を背負った選手です。阪神タイガース入団の2年目には、39本の本塁打を放ち162打点の活躍を見せます。

そして、入団3年目には、日本のプロ野球がセ・リーグと、パ・リーグに分裂をしたのをきっかけに、当時の毎日オリオンズに引き抜かれます。すると、本塁打王と打点王の2冠王に輝く活躍を見せ、パ・リーグ分裂初年度のMVPを受賞しました。

また、盗塁王にも輝いた別当選手は、プロ野球史上初のトリプルスリーを達成した選手にもなりました。

ダリル・スペンサー選手

生年月日  1928年7月13日
出身地   米国カンザス州
投/打   右/右
プロ野球歴 阪急ブレーブス(1964年~1968年、1971年~1972年)
タイトル  特になし

スペンサー選手は、1964年に阪急ブレーブスの助っ人外国人として来日しました。アメリカ大リーグで強打者として活躍していたスペンサー選手は、日本のプロ野球で初めて背番号25番をつけます。

当時、身長190cmの巨体選手はまだまだ珍しく、その圧倒的なパワーに日本プロ野球ファンに驚きを与えました。

また、スペンサー選手は1965年7月16日に、サイクル安打を達成いたしましたが、それまでサイクル安打の意味を知らなかった日本人は、まったく驚きを見せませませんでした。

このことが発端で、サイクル安打が認識されるようになり、野球連盟から表彰を受けることになったというエピソードがあります。

高井保弘選手

生年月日  1945年2月1日
出身地   愛媛県
投/打   右/右
プロ野球歴 阪急ブレーブス(1964年~1982年)
タイトル  特になし

高井選手は代打男の異名を持ち、1970年代後半に活躍をした選手です。1972年に阪急ブレーブスに入団をした高井選手は、1974年に当時の通算代打本塁打記録を更新しました。

高井選手が放った通算代打本塁打27本は、日本記録だけでなく世界記録として残っています。また、初めて出場したオールスターの舞台でも、代打逆転サヨナラ本塁打を放ち、代打屋としての力を実証しました。

大田卓司選手

生年月日  1951年3月1日
出身地   大分県
投/打   右/右
プロ野球歴 埼玉西武ライオンズ(1969年~1986年)
タイトル  特になし

大田選手は当時の西鉄ライオンズに入団をすると、小柄ながらもパワーを秘めた打者として、活躍を続けた選手です。特に、大田選手の魅力は勝負強いバッティングです。

1982年には、年間リーグ優勝をかけたプレーオフで、日本ハムの江夏豊投手から2打席連続の決勝打を放ち、西武ライオンズの初優勝に多大な貢献をしました。

また、1983年のオールスターでは、同じ背番号25番の大先輩、別当選手に次いで2人目のMVPにも輝きました。

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背番号25番を背負った横浜の長距離バッターたち

背番号25番の強打者のイメージが最も顕著に現れているのは、横浜DeNAベイスターズです。

これまで、横浜DeNAベイスターズの背番号25番は、「ハマのアーティスト」の勲章を与えられた選手が継いできています。そんな選手たちをご紹介していきますね。

松原誠選手

生年月日  1944年1月13日
出身地   埼玉県
投/打   右/右
プロ野球歴 横浜太洋ホエールズ(1962年~1980年)
      読売ジャイアンツ(1981年)
タイトル  特になし

松原選手は1962年に、大型捕手の触れ込みで大洋ホールズに入団をしました。

入団当初は、投手以外のポジションを経験するなど、中々、定位置が決まらずにいましたが、1965年に背番号を38番から25番に変更をすると、守備位置もファーストに定着し、レギュラーの座を射止めました。

大洋ホエールズの4番打者として16年間に渡り活躍を続け、年間30本塁打を3回記録するなど、長距離打者として活躍をしています。まさに、松原選手にとっては、背番号25番がラッキーナンバーといえます。

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畠山隼選手

生年月日  1964年6月11日
出身地   徳島県
投/打   右/右
プロ野球歴 南海ホークス(1983年~1990年)
      横浜ベイスターズ(1991年~1999年)
タイトル  特になし

畠山選手は、高校野球界の名将、蔦(つた)監督が率いる徳島県の池田高校で、4番エースとして甲子園に出場をすると、まさに一大旋風を引き起こした選手です。

しかし、甲子園の優勝投手として南海ホークスにドラフト1位で入団をしましたが、投手としては大成せず外野手に転向をいたします。その後、1991年に大洋ホエールズに移籍をすると、気分を一新し背番号25番をつけます。

するとレギュラーに定着し、チャンスに強いバッティングで、多くのファンから指示を得る選手へとなりました。畠山選手にとっては、背番号25番がラッキーナンバーといえます。

内川聖一選手

生年月日  1982年8月4日
出身地   大分県
投/打   右/右
プロ野球歴 横浜ベイスターズ(2001年~2010年)
      福岡ソフトバンクホークス(2011年~)
タイトル  首位打者2回
      最多安打2回
      最高出塁率1回
表彰    年間MVP1回
      ベストナイン5回

畠山選手が引退した後、背番号25番を引き継いだのが、福岡ソフトバンクホークスの4番打者として活躍を続ける内川選手です。

2018年には2000本安打を達成し、日本代表をチームの4番打者まで務めた内川選手も、横浜DeNAベイスターズに入団をした当初は背番号25番をつけていました。

村田修一選手

生年月日  1980年12月28日
出身地   福岡県
投/打   右/右
プロ野球歴 横浜ベイスターズ (2003年~2011年)
      読売ジャイアンツ (2012年~2017年)
      栃木ゴールデンブレーブス (2018年~)
タイトル  本塁打王2回
表彰    ベストナイン4回
      ゴールデングラブ賞3回

2003年、強打の内野手として横浜DeANベイスターズに入団し、背番号25番を背負うことになったのが村田修一選手です。村田選手は、2回の本塁打王に輝き、「ハマの大砲」と呼ばれた長距離打者です

筒香嘉智選手

生年月日  1991年11月26日
出身地   埼玉県
投/打   右/左
プロ野球歴 横浜ベイスターズ・DeNAベイスターズ(2010年~)
タイトル  本塁打王1回
      打点王1回
表彰    ベストナイン3回

2018年現在、横浜DeNAの背番号25番を系譜しているのが、超高校級スラッガーとして横浜高校から入団をした筒香嘉智選手です。

まだ20代ながら、歴代の背番号25番の選手に負けない本塁打王に打点王、ベストナインを3回受賞しています。今後のさらなる活躍が楽しみな選手ですね!

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まとめ

今回は、プロ野球における背番号25番についてお伝えしてきましたが、いかがだったでしょうか?

25番は昔から強打者が主につけていた、という事がわかりましたね。そして横浜DeNAベイスターズの背番号25番には、ズラッと強打者が並んでいてビックリでした!

今後もどんな長距離バッターが、背番号25番をつけて活躍するのか、注目してみるのも面白いのではないでしょうか?

最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。