こんにちは、みっつです。
希望に胸をふくらませてプロ野球選手になった人も、誰もが引退をしなければならなくなる時がやってきます。本人が、心の底から悔いがないと思える形で引退する選手は一握りで、多くの選手が現役に未練を持ちつつ引退していきます。
まだプロ野球で活躍出来るはず!そんな思いを持ちつつ、所属のチームから戦力外通告されてしまった選手がチャレンジするのがトライアウトです。
今回は、プロ野球のトライアウトについて特集します。トライアウトとはどのようなものなのか、参加資格、合格して活躍した選手、そして歴史をご紹介しますね。
■目次(クリックすると飛びます)
プロ野球のトライアウトとは?
適性検査という意味のあるトライアウト、日本のプロ野球では2001年から実施されるようになりました。プロ野球におけるトライアウトとは、各球団に加入を希望する選手が、スカウト等の前でパフォーマンスを見せることで、契約を目指すものです。
これは、プロ野球選手としての適性を見極めるために球団が実施する検査になり、ドラフト会議のように球団側が選手をスカウトするケースとは、まさに相反する意味になります。
選手はプロ野球チームに入団する時は、チームからの誘いを待つといった感じになりますが、トライアウトの場合は、逆にアピールする事となるのです。つまり、スカウトは球団からの要望を受けて契約するのに対し、トライアウトは選手側が要望して、契約に結び付けようとすることになります。
現在のトライアウトは、1日だけしか開催されないため、まさに一発勝負のチャレンジになりますが、当初は、東西に分かれて2回実施されていたことから、1回目が不本意であった選手には、次のチャンスもありました。
ちなみに、トライアウトのテストにルールは決められていません。時間の都合上や天候によって、臨機応変にルールが定めれて実施されます。
形骸化も指摘されています
残念ながら、最近のトライアウトはイベント化しており、自由契約となった選手が再起を図るためのステージは、既に形骸化が指摘されるようになっています。何故ならば、自由契約となっても生き残れる選手は、トライアウトの前にどこかの球団から接触があり、内定している場合も少なくないからです。
トライアウトの合格率はとても低く、更に合格をしたとしても、活躍した選手はとても少ないのが現実です。
そのことから、トライアウトに参加する選手にも、プロ野球に生き残る最後のチャンスと考える者もいれば、既に引退を決意しており、家族に最後の有志を見せようとして参加する選手もいます。
トライアウトの参加資格って?
日本プロ野球機構が実施する12球団合同トライアウトに参加できる選手は、1度でも日本のプロ野球球団と契約し、その後自由契約いわゆる戦力外通告を受けた選手に限られています。
したがって、高校野球や社会人野球の選手が、なかなかプロ野球のスカウトの目に留まらないからといって、トライアウトに参加することはできません。ただし、日本のプロ野球球団を自由契約後に、社会人野球でプレーしていた選手は、このトライアウトに参加することが可能です。
近年では、参加選手の中に、独立リーグのユニフォームを着ている選手も見られますが、一度はプロ野球球団に所属したことのある選手になります。
トライアウトにはプロ野球球団以外にも、独立リーグや社会人野球チーム、更には野球がまだ発展途上の海外チームの球団関係者も視察に来ます。その他にも、プロ野球選手の身体能力の高さに着目した、他種目のスポーツ関係者や、プロ野球選手の精神力に着目した、一般企業の採用担当者もスタンドに来ていたりします。
トライアウトに合格して活躍した選手
プロ野球のトライアウトで合格する選手は、ほんの一握りであるとお伝えしましたが、活躍できる選手はさらに一握りとなります。そんな数少ない活躍した選手の中から、3人をご紹介したいと思います。
森岡良介選手
生年月日 1984年7月15日
出身地 大阪府大阪市
投/打 右/左
プロ野球歴 中日ドラゴンズ (2003年~2008年)
東京ヤクルトスワローズ (2009年~2016年)
タイトル 特になし
森岡選手は、2003年から2008年の中日時代の6年間で、わずか39試合の出場成績しかありませんでした。戦力外通告を受けても仕方ない成績だったといえます。
しかし当時24歳と若かった森岡選手は、トライアウトを受けて見事に東京ヤクルトスワローズの目に止まり入団を果たしました。
2010年にはイースタン・リーグで首位打者に輝くなど、徐々に実力を発揮し始めます。
主にショートを守りましたが、サードやセカンドも守れる器用さもあり、3年連続100試合以上の出場成績を残しました。また、2014年には選手会長に就任しています。
成績を見てみると、森岡選手は大器晩成型だったようです。中日に戦力外通告を受けた際に、諦めないでトライアウトを受けた事が、ターニングポイントになりました。
もしトライアウトを受けていなければ、森岡選手の選手生活は終わっていた可能性があり、東京ヤクルトスワローズでの活躍はなかったでしょう。
ほんの一握りのトライアウトの合格を勝ち取り、選手会長までのぼりつめた森岡選手、トライアウト受験で最も成功した選手の一人です。
鵜久森淳志選手
生年月日 1987年2月1日
出身地 愛媛県松山市
投/打 右投右打
プロ野球経歴 北海道日本ハムファイターズ (2005年~2015年)
東京ヤクルトスワローズ (2016年~)
タイトル 特になし
高校時代に、甲子園で5本のホームランを放ち注目された鵜久森選手、2004年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに指名されて入団しました。
2015年までの11年間、2軍ではホームラン王に輝くなどの成績を残したものの、1軍では目立った活躍ができずに同オフに戦力外通告を受けてしまいます。
現役続行にこだわった鵜久森選手は、トライアウトに参加して見事に東京ヤクルトスワローズに入団を果たしました。
翌年2016年には、自身初となる開幕1軍のメンバーに選ばれました。開幕5戦目の対阪神タイガース戦で、移籍後初のスタメンに起用され勝ち越し本塁打を放っています。
2016年、2017年と北海道日本ハムファイターズ時代よりも多い出場試合数で、チームに貢献しましたが、2018年に再び戦力外通告を受けてしまいました。
鵜久森選手は現役続行を希望していて、再度トライアウトを受ける事も視野に入れているようです。トライアウトで再び活躍の場を確保できるのか、注目したいと思います。
石井義人選手
生年月日 1978年7月12日
出身地 埼玉県川口市
投/打 右投左打
プロ野球経歴 横浜ベイスターズ (1997年~2002年)
埼玉西武ライオンズ (2003年~2011年)
読売ジャイアンツ(2012年~2014年)
タイトル 特になし
高校野球の名門校である、浦和学院の4番バッターとして活躍した石井選手、1996年のドラフト会議で横浜ベイスターズに指名されプロ野球の道に入りました。
最初の3年間は2軍ぐらしが多かったのですが、2000年から持ち前のバッティングが開花し、1軍での出場機会が増えていきます。しかし守備が課題とされ出場機会が減った2002年のオフに、西武ライオンズへと移籍しました。
西武ライオンズへ移籍してもバッティングで存在感を示して、2005年には規定打席に達し、打率も.312と3割打者の仲間入りを果たしています。
その後の数年間は比較的好調な年が多かったのですが、2011年には出場機会がめっきり減り戦力外通告を受けます。その年のトライアウトに参加し、読売ジャイアンツへの入団を手に入れました。
読売ジャイアンツ1年目の2012年には、代打の切り札として活躍、クライマックスシリーズでは最優秀選手に輝いています。しかし2013年からは成績が下降してしまい、2014年オフに再び戦力外通告を受けて現役を引退しました。
石井選手は3球団で16年間のプロ野球生活を送る事が出来ました。その大きな要因はバッティングです。16年間の通算の打率が.290というのは、かなり高い打率です。30歳を超えてトライアウトで合格したのも、バッティングあってこその話です。
そんな石井選手に関してウィキペディアに以下のような記述があったので、ご紹介しますね。
「打撃の天才」とも称される天性のバッティングセンスは高校時代より注目されており、高校日本代表の一員として渡米した際にはシアトル・マリナーズのスカウトの関心を惹いた。
谷沢健一には「バットをテニスのラケットのように使える選手」と評された。文化放送ライオンズナイターでは斉藤一美に「赤いバットのテクニシャン」「麗しの広角打法」と呼ばれた。
引用元:ウィキペディア
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まとめ
今回は、プロ野球のトライアウトについて特集しましたが、いかがだったでしょうか?近年ではテレビでも特集されるなど注目度が高いトライアウトですが、やはり選手にとって合格するのはかなり難しいようです。
もちろん選手も承知でチャレンジしているので、もし合格できなくてもご自身で納得できれば良いのではないかと思います。
元高校球児の私としては、プロ野球選手になれただけでも大変なことだと思うので、是非とも誇りにして欲しいと願っています。
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。