こんにちは、みっつです。
プロ野球の日本シリーズが終わる頃になってくると、選手の去就が話題になりますよね。あの選手が引退?あんなに活躍したのにトレードに出されるの?みたいな事が毎日のように起こります。
そんなプロ野球で、自由契約と呼ばれる制度があります。どうも所属している球団にはいられない、位はわかりますが、詳しい事って知っていますか?(笑)
という事で、プロ野球の自由契約について特集してみたいと思います。自由契約はどんな事か、任意引退との違い、実際にあった驚きの自由契約をご紹介しますね。
■目次(クリックすると飛びます)
プロ野球の自由契約ってどんな事なの?
日本プロ野球における自由契約とは、選手がどこの球団とも交渉して良い状態になることをいいます。
選手は球団との契約により支配下登録選手となることで、試合に出場することが出来ますが、その一方で、他球団から試合に出場できない制約を受けることになります。
なお、日本プロ野球では、選手としての契約期間が2月1日から11月30日までと定められています。したがって、自由契約になるということは、球団が保有権を放棄することで、どこの球団とも移籍の交渉ができることをいいます。
まず、自由契約を知るためには、戦力外通告、フリーエージェント、任意引退選手との違いを理解しておかなければなりません。
戦力外通告とは
戦力外通告とはチームの戦力外であることを、球団から選手に通告することです。あくまでも、戦力外だから来季の契約をしないことを選手へ告げるだけであり、選手は11月30日までは契約状態が続き、他の球団との交渉は出来ません。
もしも、契約期間中に戦力外通告を受けた選手に対して、獲得を希望する声が他球団から上がると、球団間でのトレードへと進みます。
戦力外通告を受けた選手が、他球団へアピール出来る場として、12球団トライアウトがあります。詳しくはこちらからどうぞ。
⇒プロ野球のトライアウト!参加資格や合格後に活躍の選手・歴史を紹介
フリーエージェントとは
フリーエージェントは、球団から選手に通告するのではなく、選手側から自由契約を宣言することになります。
ちなみに、アメリカ大リーグでは、「フリーエージェント=自由契約」を意味していますが、日本とはその意味合いが少し異なります。
フリーエージェントについては、別記事でも特集していますので、ご覧になってくださいね。
⇒プロ野球のフリーエージェント!ルールや行使した主な選手をご紹介
任意引退とは
任意引退選手とは、球団が認めなければ、その他の球団と契約交渉が認められておらず、球団の拘束が残っている状態を意味しています。
球団を離れるいくつかの手段
所属球団の来期の構想から外れてしまった選手は、他球団への移籍を含めて、いくつかの手段が取れることになります。
例えば、戦力外通告を受けとると、球団間によるトレードの道があります。また、フリーエージェントの権利を有しているのならば、自らの意思で自由契約となり、他球団への移籍交渉が可能となります。
そして、球団との契約期間が終了することで自由契約選手になると、どの球団とも移籍交渉が可能となります。なお、球団は所属する選手に対して、契約拘束期間2月1日から11月30日の間に、自由契約とすることも可能です。
その場合は、選手を自由契約にするには直前に、球団は「ウェーバー公示」を実施することがルールで決められています。ウェーバー公示後、1週間以内に他球団から対象選手の獲得の申出があると、400万円の譲渡金を支払うことで移籍が決定します。
もしも、公示期間中に他の球団から獲得の申し出がなければ、対象の選手は自由契約選手になります。
自由契約と任意引退の違いって?
自由契約とは、他球団と自由に契約交渉することを認めた解雇形式の1つです。一方、任意引退は、所属球団が認めなければ他球団と契約交渉が出来ない、球団有利な解雇形式です。
したがって、任意引退では、所属球団が交渉を許可するか、保有権を放棄しない限り、他球団との契約交渉が出来ない厳しいものです。そもそも、任意引退選手とは、自らの意志で契約を更新しない、または契約を解除する等を球団に告げるものであり、球団側の理由で解雇するものではないからです。
もしも、任意引退した選手が復帰を望む場合には、引退前に所属していた球団の了承が得られなければ、他の球団で復帰することは出来ません。
アッと驚いた3つの自由契約
毎年多くの選手が自由契約になっていますが、その中でアッと驚くような自由契約を3つご紹介しますね。
新井貴浩選手
生年月日 1977年1月30日
出身地 広島県広島市
投/打 右/右
プロ野球歴 広島東洋カープ(1999年~2007年)
阪神タイガース(2008年~2014年)
広島東京カープ (2015年~)
タイトル 本塁打王1回、打点王1回
表彰 最優秀選手1回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞1回
新井選手は1998年に駒澤大学からドラフト6位で入団をいたしました。入団当初は、とても評価の低かった選手が、人一倍の練習により、名球界に名を残すほどの選手へと成長をいたしました。
新井選手は2007年に、兄貴分と慕っていた金本選手を追いかけ、フリーエージェント権を行使して阪神タイガースへと移籍します。広島一筋と語っていた新井選手が、涙ながらに会見をしたシーンはファンの心に残っています。
しかし、阪神移籍後5年目には、右肩痛の影響で成績が振るわず、試合の出場数が大幅に減少すると、移籍7年目のシーズンが終了をすると、球団に対して自ら自由契約を申し入れました。
そこに、古巣の広島カープが手を差し伸べたことで、新井選手は再び球団に戻る決意いたします。すると、広島カープに返り咲いた2年目には、プロ野球史上47人目の2000本安打と通算300本塁打を達成いたしました。
カズ山本(山本和範)選手
生年月日 1957年10月18日
出身地 福岡県北九州市
投/打 左/左
プロ野球歴 近鉄バッファローズ(1977年~1982年)
福岡ダイエーホークス(1983年~1995年)
大阪近鉄バッファローズ (1996年~1999年)
表彰 ゴールデングラブ賞1回
山本選手は近鉄バッファローズを入団6年目で戦力外通告を受けます。すると、高校時代に入団テストに合格していた、南海ホークスから入団のオファーがありました。
本来、山本選手は南海ホークスからドラフト下位で指名の約束を受けていましたが、近鉄バッファローズが先に指名したことで入団をした経緯がありました。
6年の歳月をかけて、念願の南海ホークスに入団した山本選手は、2年目からレギュラーの座を掴み取り、打率3割をマークする活躍を見せます。しかし、1995年に右肩亜脱臼の影響で試合に出れなくなった山本選手は、シーズンオフに自ら自由契約を申し出ました。
その後、古巣の近鉄バッファローズから、若手の手本としてオファーを受け、入団テストを経てから復帰をいたしました。
津野浩選手
生年月日 1965年8月6日
出身地 高知県高岡郡
投/打 右/右
プロ野球歴 日本ハムファイターズ(1984年~1991年)
広島東洋カープ(1992年)
中日ドラゴンズ (1993年~1994年)
千葉ロッテマリーンズ(1995年~ 1997年)
タイトル 特になし
1983年のドラフトにおいて、津野選手は日本ハムファイターズから3位指名を受けて入団し、高卒ルーキー1年目からローテンションの一人として活躍すると、その後3年連続開幕投手を務めました。
しかし、ヒジ痛で結果が出せなくなると、入団8年目のオフに広島カープへトレードされますが、故障箇所が更に悪化したことで、わずか1年間で広島カープを自由契約選手となりました。
その後、中日ドラゴンズで再び復帰し、ロッテオリオンズへと渡り歩きますが、プロ野球選手として14年目の1997年オフに2度目の自由契約選手となります。
津野選手はロッテオリオンズから自由契約を宣告された時には、すでに痛めていたヒジや肩に加え、血行障害も患うなど、満身創痍の身体でありました。
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まとめ
今回は、プロ野球の自由契約について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?任意引退やフリーエージェントなどとの違いも、おわかりいただけたでしょうか?
自由契約になって新たな活躍の場を得られるのは、現状に満足できない状態の選手にとってチャンスですよね。
せっかく実力があってプロ野球選手になったのですから、自由契約などを活かして悔いのない選手生活を送って欲しいと願ってやみません。
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。