千葉ロッテマリーンズの背番号0番!歴代の0番の選手とその傾向を紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

プロ野球界において、背番号0番の歴史は長くありません。背番号0番の歴史は、今から約40年前の1982年ごろにメジャーリーグでアル・オリバー選手が使用したことが始まりです。

日本では広島の長嶋選手が1983年にオリバー選手にあやかって背番号を0番に変更したのが始まりで、各球団に広まっていきました。

各球団の背番号0番といえば、小技ができる職人タイプの選手が多くつけてきた背番号のイメージがありますが千葉ロッテマリーンズにおいては、主砲クラスの選手も使用してきました。

今回は千葉ロッテマリーンズの歴代の0番の全選手や特に印象深い3選手、さらに0番をつけてきた選手の傾向にも迫っていきたいと思います。




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歴代の背番号0番を背負った選手をご紹介

2022年開幕時点で、千葉ロッテマリーンズの背番号0番をつけてきた選手は6人となります。まずは、その6人をご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1950年~1957年8年毎日オリオンズ空白
1958年~1963年6年毎日大映オリオンズ空白
1964年~1968年5年東京オリオンズ空白
1969年~1987年19年ロッテオリオンズ空白
1988年1年ロッテオリオンズ坂巻明選手
1989年~1993年5年ロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズ初芝清選手
1994年1年千葉ロッテマリーンズ空白
1995年~1996年2年千葉ロッテマリーンズ吉田篤史選手
1997年~2006年10年千葉ロッテマリーンズ諸積兼司選手
2007年~2014年8年千葉ロッテマリーンズ荻野忠寛選手
2015年~2016年2年千葉ロッテマリーンズ空白
2017年~千葉ロッテマリーンズ荻野貴司選手

初代は坂巻明選手です。日本ハムから移籍し、ロッテでは1軍出場は無かったものの、その後は球団職員としてスコアラーやスカウトを長年務めました。

2代目は、初芝清選手です。千葉に移転したあとの初期のマリーンズを支え「ミスター・マリーンズ」とも呼ばれた名手です。

3代目の吉田篤史選手は、ドラフト1位でロッテに入団し、中継ぎなどで10年以上1軍で活躍してきた選手です。

4代目は、諸積兼司選手です。ロッテの背番号0を最も長くつけた選手で、守備や走塁だけでなくガッツ溢れるプレーでファンに愛されました。

5代目の荻野忠寛選手は、セットアッパーや守護神として、入団から3年連続で50試合以上に登板しました。

6代目・荻野貴司選手は、俊足好守のベテラン選手です。2021年には史上最年長の36歳で盗塁王のタイトルを獲得しました。




背番号0番を背負って活躍した3選手のご紹介

次に、歴代の千葉ロッテマリーンズの背番号0番の選手のうち、私が特に印象深く思う、初芝選手、諸積選手、そして荻野貴司選手をご紹介します。

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初芝清選手

生年月日 1967年2月26日
出身地 東京都豊島区
投/打 右/右
プロ野球歴 千葉ロッテマリーンズ(1989年~2005年)
タイトル等 打点王1回
ベストナイン1回・オールスター出場4回

初芝選手は、東京出身埼玉育ちです。二松學舎大付属高校時代には甲子園出場こそありませんでしたが、エースとして活躍しました。

高校卒業後は社会人野球の東芝府中に入社し、内野手に転向、都市対抗野球でも活躍しています。1988年のドラフト会議では、4位で当時のロッテオリオンズに指名を受け入団することとなりましたが、背番号は0番でした。

入団1年目には有藤監督の指導により、プロのピッチャーに対応できるようになり、70試合に出場します。2年目にはサードのレギュラーを獲得し、18本塁打を放つなどパンチ力のある打撃を見せました。

以降は怪我等の影響で出場の少ないシーズンはあったものの、長年ロッテの中軸として安定した成績を残しています。

17年間の現役生活のうち、11シーズンで2桁本塁打を放ち、1995年には打点王のタイトルも獲得しています。ホームランバッターというよりは、外野の間を抜く二塁打が多い印象の打者で、勝負強いバッティングが魅力でした。

晩年には代打の切り札として活躍し、2003年には代打で7打席連続ヒットを放ちこれは今も日本記録となっています。

成績もさることながら、現役17年間ロッテ一筋を貫き、「ミスターロッテ」「ミスターマリーンズ」と呼ばれ、千葉に移転したばかりで当時はあまり人気の無かったロッテの中でも、ファンに愛された選手の1人です。

眼鏡のキャラクター、危なっかしい守備やオーバーなアクションは今もロッテファンの思い出に残っています。

現役引退後は、解説者を務める傍ら、自身のルーツでもある社会人野球の指導者として活躍しています。

初芝選手の背番号は入団当初は0番でしたが、その後は落合博満選手もつけてきた背番号6番で長年プレーしました。

初芝選手の引退後は、ふさわしい選手が現れるまで欠番となっていましたが、メジャーから日本球界に復帰した井口資仁選手がこれを引き継ぎ、監督となった現在も背番号6を使用しています。

諸積兼司選手

生年月日 1969年5月29日
出身地 福島県会津若松市
投/打 右/左
プロ野球歴 千葉ロッテマリーンズ(1994年~2006年)
タイトル等

諸積選手は、福島県会津若松市出身です。学法石川高校時代には2年夏と3年春に甲子園出場しています。法政大学時代には首位打者や盗塁王を獲得し六大学リーグでベストナインに選ばれるなどの活躍を見せました。

卒業後は日立製作所に入社し、1993年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズに5位指名を受けて入団しています。

プロ1年目の初安打は大学の同級生である高村投手から放ち、2年目には1番センターとして定着、打率.290に24盗塁を記録しています。

以降も俊足好守のチームの中心選手として、1990年代後半~2000年代前半のロッテを支えました。

諸積選手の特徴としては、安定した守備と走塁技術、そして小技ができるという事です。外野手としては肩は弱かったものの、ガッツあふれるダイビングキャッチなどでファンを沸かせました。

また、雨で試合が中止になった際、グラウンドの上の水のたまった防水シートの上にヘッドスライディングをするパフォーマンスは人気を集めました。

引退後、コーチ時代にもファンからの「諸積」コールに応え、このヘッドスライディングを披露しています。

引退セレモニーでは外野スタンドから大量の紙吹雪が舞う感動的なものでしたが、球団からの「サプライズ」で、快晴の千葉マリンスタジアムには水を張った防水シートが。

最後までヘッドスライディングでファンを楽しませてくれました。

荻野貴司選手

生年月日 1985年10月21日
出身地 奈良県明日香村
投/打 右/右
プロ野球歴 千葉ロッテマリーンズ(1989年~2005年)
タイトル等 最多安打1回・盗塁王1回
ベストナイン1回・ゴールデングラブ賞2回・オールスター出場2回

荻野貴司選手は、奈良県明日香村出身で、奈良の名門・郡山高校でプレイしましたが甲子園出場はありませんでした。

関西学院大学では大学1年秋からショートのレギュラーを獲得すると、レベルの高い関西学生リーグで通算打率.332、35打点、47盗塁、ベストナイン5回など華々しい記録を残します。

この時点でもプロ入りは濃厚でしたが、プロ志望届は提出せず社会人野球のトヨタ自動車に進みました。ここでも活躍を見せ、2009年のドラフト会議でロッテに1位指名を受け入団します。

プロでは外野手に転向し、1年目にはわずか46試合で25個というハイペースで盗塁を決める活躍を見せましたが、故障によりシーズンを棒に振ってしまいます。

その後も、故障には悩まされ続け、シーズンを通してフル出場することができませんでした。しかし、36歳となる2021年のシーズンには全試合で1番打者としてフル出場を果たしました。

そして、ゴールデングラブ賞、盗塁王、最多安打と3つのタイトル・表彰も獲得しています。

荻野選手の特徴と言えば何と言ってもその俊足ぶりです。わずか23試合しか1軍出場しかなかったシーズンもありましたが、入団以降12年連続で2桁盗塁を記録しています。

そしてその俊足を生かした広い守備範囲での華麗な守備も千葉マリンスタジアムの名物となっています。また、バットを短く持ち、本塁打こそ多くはありませんが、二塁打は多く、パンチ力を持ち合わせています。




背番号0番をつけた選手の傾向とは?

千葉ロッテマリーンズの背番号0番は、まだ6名の選手しか使用していません。しかし、ほとんどの選手が1軍で長年活躍したと言っても過言ではありません。

チームの顔とまではいきませんが、縁の下の力持ちのような形でチームに欠かせない選手ばかりです。そういった意味で球団も期待をかけている背番号と言えそうです。

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背番号別の特徴

おわりに

千葉ロッテマリーンズの背番号0番を特集してきましたが、いかがだったでしょうか?

近年では、諸積選手や荻野貴司選手のように俊足の外野手が使用しているイメージがあります。また、初芝選手や諸積選手のように成績以上にファンからも愛され、記憶に残る選手が受け継いでいます。

今後もファンに愛される選手が引き継いでいって欲しいと願ってやみません。

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。