阪神タイガースの背番号3番!代打の神様もつけた歴代3番の選手と傾向を紹介

背番号の意味

こんにちは、みっつです。

プロ野球では、最も信用できる代打の選手を、代打の切り札と呼んでいます。このバッターに任せれば必ず仕事をしてくれる、チームからはそんな厚い信頼を寄せられる選手ですね。

代打の切り札と呼ばれた選手は数多くいますが、もっと上を行く「神様」とまで称された選手がいます。神様と呼ばれたのは阪神タイガース・八木裕選手が元祖ではないでしょうか。

元々はクリーンナップを担っていた八木選手ですが、代打として登場する機会が増えた当初、成功率は何と4割を超え、さらに勝負強さも兼ね備えていました。ファンとすれば「神」と崇めたくなるのも当然のことでしょう。

今回は阪神タイガースの背番号3番の特集です。歴代の3番の選手や特に印象深い3選手、さらに3番をつけてきた選手の傾向にも触れますので、楽しみにして下さいね。




歴代の背番号3番を背負った選手をご紹介

タイガース背番号3番は、17人の選手に受け継がれてきました。その17選手全員を古い順からご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1936年~1940年5年大阪タイガース~阪神岡田宗芳選手
1941年~1945年5年阪神空白
1946年1年阪神小俣秀夫選手
1947年1年大阪タイガース空白
1948年~1949年2年大阪タイガース内山清選手
1950年1年大阪タイガース野崎泰一選手
1951年1年大阪タイガース河文雄選手
1952年~1955年4年大阪タイガース梶岡忠義選手
1956年~1957年2年大阪タイガース河内忠吾選手
1958年~1965年8年大阪タイガース~阪神タイガース浅越桂一選手
1966年1年阪神タイガース空白
1967年1年阪神タイガースマイク・クレスニック選手
1968年~1969年2年阪神タイガース小玉明利選手
1970年~1975年6年阪神タイガース後藤和昭選手
1976年~1977年2年阪神タイガース上田卓三選手
1978年1年阪神タイガース空白
1979年1年阪神タイガース江川卓選手
1980年~1983年4年阪神タイガース藤倉一雅選手
1984年1年阪神タイガース空白
1985年~1987年3年阪神タイガース長崎啓二選手
1988年~2004年17年阪神タイガース八木裕選手
2005年~2015年11年阪神タイガース関本健太郎選手
2016年1年阪神タイガース空白
2017年~阪神タイガース大山悠輔選手

初代・岡田宗芳選手は強肩の遊撃手です。1リーグ時代に活躍した選手ですが太平洋戦争で戦死、25歳という若さでした。

2代目・小俣秀夫選手は外野手です。1946年にタイガースへ入団するも1年で退団します。1950年、毎日オリオンズで現役復帰しました。

3代目・内山清選手は投手です。開幕投手を2度務めるなど活躍しました。

引退後は高校野球の指導者として活躍しました。川口市立川口高監督時代に、プロ通算180勝を挙げ「平成の大エース」と呼ばれた斉藤雅樹投手を指導しています。

4代目・野崎泰一選手は後に広島東洋カープ球団代表にまでなった方です。1975年、ジョー・ルーツ監督が退団後4試合だけ、監督代行を務めました。(後任は古葉竹識コーチ)

5代目・河文雄投手は社会人野球からプロ入りした投手です。初勝利を完投で飾るものの、古傷の右肘痛が再発、プロ生活は1年のみでした。

6代目・梶岡忠義選手はノーヒットノーランを達成した投手です。打撃も良く、通算12本塁打を放っています。引退後は阪神OB会会長を務め、甲子園球場へ足繁く通っていました。

7代目・浅越桂一選手は日本シリーズにも出場した内野手です。1962年と1964年のシリーズに出場を果たしています。

2回目の出場時にはタイムリーヒットを放ちましたが、いずれもチームは敗れてしまいました。

8代目のマイク・クレスニック選手は本塁打王争い2位になったこともある選手です。

大洋ホエールズでプレーしていた1964年、36本塁打を放ち王貞治選手に次ぐ2位となりました。その後、近鉄バファローズを経てタイガースへ入団しました。

9代目・小玉明利選手は元近鉄のスター選手です。1967年、31歳という若さでプレーイングマネージャーに抜擢されますが、チームは最下位に沈んでしまいました。

翌1968年にタイガースへトレードされます。通算安打は1963本、あと37本で名球会入りでしたが兼任監督時代の気苦労で選手として急激に衰えてしまい、達成できませんでした。

10代目・後藤和昭選手は三塁手です。レギュラーを獲得したのも束の間、掛布雅之選手が入団し定位置を奪われます。一塁手に転向したものの出番は少なく、日本ハムファイターズに移籍し、現役を終えました。

11代目・上田卓三選手はドラフト1位左腕です。1966年、国体不出場選手のみを対象とした第1次ドラフト会議で南海ホークスから1位指名され、プロ入りしました。

1976年にタイガースへトレードされますが、1977年オフ、南海へ復帰します。引退後は南海~ダイエーでフロント業務に従事しました。

12代目は江川卓投手です。「え!?」と思う方も多いと思いますが、江川投手は巨人がボイコットした1978年のドラフト会議でタイガースが4球団競合の末交渉権を獲得しました。

阪神が江川選手に用意していたのが3番だったのです。入団後すぐに小林繁投手との交換トレードで巨人へ移籍しました。ですので、江川選手が3番をつけてプレーする事はありませんでした。

この一連の顛末は「空白の一日」と呼ばれ、ドラフト制度最大の事件と言われています。

13代目・藤倉一雅選手は現在白鴎大の監督です。現役時代は青山学院大からドラフト外でタイガースへ入団しいきなり背番号3番を与えられたように期待の大きかった内野手でしたが、プロ通算で3本塁打に終わりました。

14代目・長崎啓二選手は大洋ホエールズから移籍した外野手です。

移籍したのは1985年、シーズン終盤に6番・レフトに定着すると勢いそのままに日本シリーズでも活躍します。優勝を決めた第6戦では初回に満塁本塁打を放ち、日本一を手繰り寄せました。

15代目は前項でご紹介した八木裕選手です。入団当初の背番号は、14番でした。

16代目・関本賢太郎(健太郎)選手は八木選手・桧山選手に続く「3代目・代打の神様」です。186cmという大柄ながら、短く持ったバットで快打を放ちました。

ヒーローインタビューで良く口にした「必死のパッチ」でも有名です。「必死のパッチ」とは、関西弁で必死に頑張った、という意味です。

そして17代目は大山悠輔選手です。タイガースの4番として期待を一身に浴びています。今シーズンは本塁打を例年より早いペースで量産しており、本格的な覚醒が期待されています。

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当ブログでは、江川選手の空白の一日について特集しています。よろしければ、ご覧になってくださいね。
>>>空白の一日って何だったのか?わかりやすく江川事件を解説します!<<<

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歴代背番号3番のうち、印象深い3選手のご紹介

次に、阪神タイガースの背番号3番の選手の中で、私が特に印象深く思う八木選手、関本選手、そして大山選手をご紹介したいと思います。

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各選手の紹介に合わせて、楽天市場で販売されているカードの写真を添えています。販売ページへのリンクが入っていますので、詳しく見てみたい場合はカードをクリック・タップしてみてください

八木裕選手

生年月日  1965年6月8日
出身地   岡山県玉野市
投/打   右/右
プロ野球歴 阪神タイガース(1987年~2004年)
タイトル等 オールスター出場1回

八木選手は、岡山東商高から社会人野球・三菱自動車水島を経て1986年のドラフト会議でタイガースから3位指名を受けプロ入りを果たしています。守備力と足の速さを買われての指名でした。

プロ2年目の1988年、アメリカのマイナーリーグへ野球留学。長打力に磨きを掛けます。

1989年、打率.214ながら16本塁打を記録しました。左右の違いはあれど、長打が望めるということで「掛布二世」とファンの期待を集めます。

八木選手も期待に応え、1990年から28本、22本、21本と本塁打を放ち、特に1992年は優勝を争う中で頼もしい存在でした。

しかし、1992年に台頭した亀山努・新庄剛志両選手ら若手選手の台頭、更には自身の故障が重なり、1993年には9本塁打に終わります。その後も6本、5本と寂しい本塁打数になり、1996年には一軍出場そのものが無くなってしまいました。

1997年、戦力外となりかけた八木選手の残留を強く球団に進言した吉田義男監督により、八木選手は代打の切り札として活路を見出します。

この年、代打として42打数17安打、打率・405という驚異的な数字をマーク。さらに代打だけで16打点を記録する勝負強さが光りました。

1998年、シーズン当初は代打成功率が5割を超え、「代打の神様」と呼ばれ始めます。

八木選手が凄いのは代打だけではありません。例えば2003年、4番を打っていた濱中治選手がケガで戦列を離れると八木選手は4番に入り、優勝へ向かうチームの精神的支柱となりました。

2004年、「リーグ優勝を果たすまでは引退しない」と宣言していた八木選手でしたが、前年に目標を達成したこと、そして前の打者を敬遠して自分と勝負され、三振に倒れたことで限界を感じ現役引退を表明します。

引退試合では代打で登場、ライト前ヒットを放ち有終の美を飾りました。

代打での通算成績は400打数98安打、打率.235でした。意外にも低い数字ですが、13本塁打98打点という数字を見れば、いかに代打の八木選手が恐ろしい存在だったかお分かりいただけるかと思います。

現役引退後はタイガースジュニアチームの監督を務めるなど、少年野球の指導者として活躍中です。学生野球資格の回復も果たし、母校での指導にも意欲を見せています。

代打の神様が高校野球の監督して、甲子園球場に帰ってくるかもしれませんね。




関本賢太郎(健太郎)選手

生年月日  1978年8月26日
出身地   奈良県橿原市
投/打   右/右
プロ野球歴 阪神タイガース(1997年~2015年)
タイトル等 特になし 

関本選手は奈良・天理高で大型内野手として活躍、長打力を期待され1996年のドラフト会議でタイガースから2位指名を受け入団しました。

しかし、プロ1年目の1997年、ファームで打率.162に留まったことで方向転換します。高校時代にあまり練習をしなかったバントや流し打ちの練習に取り組み、守備でも複数のポジションを守れる存在となることを目指しました。

バッテイングの転機となったのは2003年です。日本シリーズ第7戦に「9番・サード」で起用されると福岡ダイエーホークス・和田毅投手から本塁打を放ちます。

この時、バットを短く持っていたのですが、「短く持っても打球は飛ぶ」と悟った関本選手は引退するまでこのスタイルを貫きました。

2004年には110試合に出場します。規定打席には届きませんでしたが打率.316をマークし自信を深めると2006年にも打率.303を記録しました。

守備では二塁手としてセ・リーグ連続守備機会無失策記録を更新しています。今岡誠選手が戦列を離れれば三塁を守るなど、自身が思い描いていた理想の選手像に近づいていきました。

2008年、規定打席に初到達し、打率.298の好成績を残します。今岡選手や新井貴浩選手らの不振により、クリーンナップも担い自己最多となる52打点を記録しました。また犠打も38個決め、こちらも自己最多をマークし、タイガースに無くてはならない存在となりました。

2010年からは代打での起用が多くなりますが、レギュラーが戦線離脱するとその穴埋めをするのは、やはり関本選手でした。2011年には不振の新井選手に代わり4番打者を務めています。

2014年7月13日の対巨人戦では沢村拓一投手から代打逆転満塁ホームランを記録しました。この頃から背番号3番の先輩、八木裕選手の代名詞であった「代打の神様」の名でファンから呼ばれるようになります。

2015年、自身にケガが相次いだこと、そして右の代打として狩野恵輔選手が台頭してきたこともあり現役引退を表明。10月4日、レギュラーシーズン最後の甲子園球場での対広島東洋カープ戦、黒田博樹投手の前に凡退し選手生活を終えました。

セレモニー終了後、背番号にちなみ3回胴上げされた関本選手。引退後は野球解説者として活躍しています。




大山悠輔選手

生年月日  1994年12月19日
出身地   茨城県下妻市
投/打   右/右
プロ野球歴 阪神タイガース(2017年~)
タイトル他 特になし  

大山選手は、2016年のドラフト会議で目玉選手の一人だった桜美林大・佐々木千隼選手を単独指名できたにもかかわらず、阪神に1位で指名されました。当時の金本知憲監督の意向が強く反映された指名でしたが、ファン・マスコミからどよめきが起こりました。

白鴎大ではリーグ戦で本塁打王・打点王を獲得するなど強打者として鳴らし、日米大学野球では4番を務めるなど素晴らしい選手であることは間違いありません。しかし、1位で指名しなくても・・・というどよめきだったのです。

ドラフト会議前に「オリックスが大山選手を1位もしくは2位で指名する」という情報が流れ、それを聞いたタイガース関係者が急遽大山選手1位を決めたのでは?という後日談がありました。

ドラフト会議とは情報戦、とよく言いますが、虚々実々の駆け引きがあるのかも知れませんね。

さて、プロ1年目途中から4番に起用された大山選手ですが、打率.237 7本塁打38打点という可もなく不可もない数字でした。しかし、タイガースのルーキーが4番で本塁打を放ったのは初の出来事でした。

注目を集める人気球団ということを考えれば数字以上に価値のある大山選手の1年目と言えます。

2年目の2018年、8月までは2本塁打に留まっていましたが、9月に入り打棒が大爆発します。16日の横浜DeNAベイスターズ戦では6打数6安打、1イニング2本塁打、そして1試合3本塁打をマークします。翌17日にも本塁打を放ち自身初となる2桁本塁打を達成。9月だけで9本塁打を放つ暴れっぷりでした。

2019年は前年とは逆で、5月までに9本塁打を放ったものの、トータルでは14本塁打に終わります。シーズン終盤には4番の座をジェフリー・マルテ選手に譲ってしまいました。

大山選手の巻き返しが期待されています。

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背番号3番をつけた選手の傾向とは?

3番は、他球団では強打者・好打者の背番号として定着していますが、タイガースでは意外にも投手の番号としての歴史があります。江川投手を含めれば17人中6人が投手でした。

しかし、長崎選手がレギュラーシーズン、日本シリーズと背番号3番で快打を連発したことで野手の番号というイメージが定着し、八木選手で不動のものとなっています。

八木選手も若手時代から長打力を期待された存在でしたし、関本選手も高卒でドラフト2位指名を受けたように高い評価を受けてのプロ入り。両者とも期待に応えましたが、やはり代打での活躍が印象深いです。

八木選手は代打の心構えを問われた時、「他人の打席を奪って自分が打つのだから、代えられた人以上の成績を残さなくてはならない」という気持ちで打席に向かうと答えました。

関本選手は「自分に打席が回らず試合が終わってくれたらいいのに」と冗談めかしながらも、代打で登場すれば「必死のパッチ」で快打を放ち、ファンを喜ばせてくれました。

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おわりに

今回は、阪神タイガースの背番号3番を特集してきましたが、いかがだったでしょうか?当初は投手がつけるケースが多かったですが、近年では野手がつける傾向もわかりました。

2020年現在で3番をつける大山選手、真の4番となるべく、勝負の4年目のシーズンとなりそうです。

大山選手がタイガースの4番として一皮剥けてくれる事を、タイガースファンは願っているでしょう。

最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。

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