こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!
応援しているプロ野球の球団があって、その球団の試合はよく観戦して試合結果は欠かさずチェックする、そんな人は少なくないかなと思います。選手の事は何でも知っているぞ!みたいな。
私も昔から広島カープが好きで、特に学生時代は球場に観に行くこともありました。選手に関してもかなり知っているつもりでしたが、最近ショッキングな出来事がありました。
それは、1980年代に広島カープに在籍していた森脇浩司選手の事ですが、てっきり最初に広島カープに入団したかと思いきや近鉄から移籍してきた事が発覚したのです!
広島カープのファンなのに、そんな事も知らなかったと愕然としてしまいましたよ(^_^;)
森脇選手は広島カープから南海に移籍しましたが、1988年から1996年まで背番号4番をつけて活躍しました。
今回は、ソフトバンクホークスの背番号4番を特集します。前身球団である南海からの歴代全ての背番号4番の選手と、主な3選手の紹介、背番号4番をつけた選手の傾向をご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。
■目次(クリックすると飛びます)
歴代の背番号4番を背負った選手をご紹介
2019年のシーズン開幕時点で、これまでにソフトバンクホークスの背番号4番を背負った選手は、合計で25名になります。その背番号4番を背負った歴代の選手を、古い順から一挙ご紹介します。
年 度 | 年 数 | 球 団 名 | 選 手 名 |
---|---|---|---|
1938年~1948年 | 11年 | 南海軍~近畿日本軍~近畿グレートリング~南海ホークス | 空白 |
1949年 | 1年 | 南海ホークス | 安井亀和選手 |
1950年~1961年 | 12年 | 南海ホークス | 空白 |
1962年~1967年 | 6年 | 南海ホークス | ケント・ハドリ選手 |
1968年 | 1年 | 南海ホークス | マーティ・キーオ選手 |
1969年 | 1年 | 南海ホークス | トーマス・ロブソン選手 |
1970年~1973年 | 4年 | 南海ホークス | クラレンス・ジョーンズ選手 |
1974年 | 1年 | 南海ホークス | ロン・ロリッチ選手 |
1975年 | 1年 | 南海ホークス | ジム・ネルトス選手 |
1976年 | 1年 | 南海ホークス | ドン・ビュフォード選手 |
1977年~1978年 | 1.5年 | 南海ホークス | ジャック・ピアース選手 |
1978年 | 0.5年 | 南海ホークス | ボビー・トーラン選手 |
1979年 | 1年 | 南海ホークス | 空白 |
1980年~1981年 | 2年 | 南海ホークス | 李来発選手 |
1982年 | 1年 | 南海ホークス | ジーン・ドットソン選手(登録名:ダットサン) |
1983年 | 1年 | 南海ホークス | ジム・ライトル選手 |
1984年~1985年 | 2年 | 南海ホークス | クリス・ナイマン選手 |
1986年 | 1年 | 南海ホークス | 空白 |
1987年 | 1年 | 南海ホークス | スティーブ・ハモンド選手 |
1988年~1996年 | 9年 | 南海ホークス~福岡ダイエーホークス | 森脇浩司選手 |
1997年~2001年 | 5年 | 福岡ダイエーホークス | 柳田聖人選手 |
2002年 | 1年 | 福岡ダイエーホークス | モーガン・バークハート選手 |
2003年 | 1年 | 福岡ダイエーホークス | ブライアン・ネルソン選手 |
2004年~2005年 | 2年 | 福岡ダイエーホークス~福岡ソフトバンクホークス | 出口雄大選手 |
2006年 | 1年 | 福岡ソフトバンクホークス | 空白 |
2007年 | 1年 | 福岡ソフトバンクホークス | アダム・ハイズデュー選手 |
2008年 | 1年 | 福岡ソフトバンクホークス | 空白 |
2009年 | 1年 | 福岡ソフトバンクホークス | クリス・アギーラ選手 |
2010年~2011年 | 2年 | 福岡ソフトバンクホークス | 清水将海選手 |
2012年~2016年 | 5年 | 福岡ソフトバンクホークス | 金子圭輔選手 |
2017年~2019年 | 3年 | 福岡ソフトバンクホークス | 川島慶三選手 |
2020年~2022年 | 3年 | 福岡ソフトバンクホークス | ウラディミール・バレンティン選手 |
2023年~ | 福岡ソフトバンクホークス | ウィリアンス・アストゥディーヨ選手 |
10年以上つけた選手が一人もいませんね!これは一桁の背番号にしては珍しいです。空白の期間も多いです。日本人が好まない『4』という番号が影響しているのでしょうね。
背番号4番を背負って活躍した3選手のご紹介
次に、これぞソフトバンクホークスの背番号4番と呼べる3名をピックアップし、経歴をご紹介いたしますので、是非参考にしてください。
森脇浩司選手
出身地 兵庫県多可郡
投/打 右/右
プロ野球歴 近鉄バファローズ (1979年~1983年)
広島東洋カープ (1984年~1987年)
福岡ダイエーホークス (1987年~1996年)
タイトル 特になし
まずは最初にもご紹介しました、森脇選手からです。1987年のシーズン中に広島カープから移籍した時は、背番号15番をつけていましたが、翌1988年からは4番に変更しています。
森脇選手は、外国人選手がつけてきた当時の南海ホークスの背番号4番を39年ぶりに日本人としてつけて、1996年に引退するまでの9年間にわたりつけ続けました。2019年現在、ソフトバンクホークス歴代で最も長く4番を背負った選手です。
森脇選手は、当時人気俳優であった草刈正雄氏に似ていることから、「球界の草刈正雄」と呼ばれるほど、男前の選手としても有名でした。
また漫画家の真柴ひろみさんは、自分の作品の登場人物に森脇選手の名前をつけた事があります。やはりイケメンだったからみたいですが、彼女のブログにいきさつが書いてありました。
⇒真柴ひろみさんのブログを見てみる
森脇選手の特徴として、現役時代から野球に対する研究がとても熱心で有名でした。名選手・名監督でも知られる野村克也監督に、慕われていたことは有名です。
その野球に対する知識が豊富なことから、引退後はコーチや監督を歴任しています。
ちなみに、森脇選手はコーチとして「守りの野球」を重視したチーム作りに取り組み、低迷していたオリックス球団を再生するなどの実績を残しました。
森脇選手の現役時代は、どちらかというと縁の下の力持ち的な感じだったというのが私のイメージです。チームを引っ張る中心選手というより、複数のポジションを守れる選手としてチームに欠かせない存在でした。
そんな森脇選手、やはり顔立ちはカッコ良かったですね!男が見ても、こんな顔になりたいと思ったものです(笑)プレーは地味でしたが、顔は派手でした(^_^;)
ケント・ハドリ選手
出身地 アメリカ国アイダホ州
投/打 左/左
プロ野球歴
カンザスシティ・アスレチックス(1958年~1959年)
ニューヨーク・ヤンキース(1960年)
南海ホークス(1962年~1967年)
タイトル 特になし
前身の南海ホーク時代から、これまでに18名の外人選手が背番号4番を背負いましたが、一番最初に付けたのがハドリ選手です。
1962年、南海ホークスに入団をしたハドリ選手は、アメリカメジャーリーグの経験がある打者として、大きな期待を受けます。すると、来日初打席で本塁打を放ったハドリ選手は、その翌年には30本塁打記録するなど、期待通りの活躍を見せました。
日本プロ野球界でパワーと実力を見せつけたハドリ選手は、在籍した6年間を全て規定打席に達しました。ちなみに、ハドリ選手はファーストネームから「ケンちゃん」の愛称で、チームメイトから親しまれました。
私が生まれた頃に活躍していたハドリ選手、当然ながら生で見た事はありません。
記録を調べてみると、来日初打席でホームラン、日本シリーズで2本のサヨナラホームランなど、ココという時に勝負強さを発揮する選手だったのでしょうね。
どうでも良い話ですが、私も本格的に草野球デビューした最初の打席で、生涯唯一となるホームランを打ちました(^_^;)
クラレンス・ジョーンズ選手
出身地 アメリカ国オハイオ州
投/打 左/左
プロ野球歴
シカゴ・カブス(1967 – 1968)
南海ホークス(1970 – 1973)
近鉄バファローズ(1974 – 1977
タイトル
本塁打王:2回、ベストナイン:1回、ダイヤモンドグラブ賞:1回
ジョーンズ選手は1970年代に8年間に渡り、日本プロ野球で活躍しました。
ジョーンズ選手のバッティングの特徴は、元祖「ホームランか三振」と呼ばれるものでした。南海ホークスの4番打者として、4年連続30本塁打を記録する一方で、三振が多く低打率が続きます。
このことから、ジョーンズ選手はファンから「アメリカ製扇風機」と呼ばれていました。
南海ホークスで4年を過ごした後、ジョーンズ選手は近鉄バッファローズに移籍をします。1年目に38本を放ち初の本塁打王のタイトルを獲得しますが、この時も打率.226と、規定打席に達した選手の中で最下位の嬉しくない記録ですよね。
ジョーンズ選手は8年間で246本の本塁打を放ち、当時の助っ人外国人の中で最多記録を残しました。
ちょうと私が野球に興味を持ち始めた頃に活躍していたジョーンズ選手、南海時代に4年連続で30本以上のホームランを打ちながら、1974年に近鉄バッファローズへと移籍しています。
その理由が、三振が多くて打率が低いという事ですが、それはジョーンズ選手の特徴ですよね?その代わりに、ホームランは30本以上打っている訳ですから。
確実性は低くても、ホームランを打てるジョーンズ選手は相手ピッチャーからすると怖い存在だったのではないでしょうか?ですので、トレードしてしまったのは本当にモッタイナイと思ってしまいます。
移籍してから2回もホームラン王を獲得していますから、なおさらですよね。でも、これは左利きでホームランが打てるバッターが好きな、私の偏見とも言えますが(^_^;)
背番号4番をつけた選手の傾向とは?
背番号4番といえば、日本プロ野球には避けたがる選手が多くいます。これは、「4」の数字を漢字読みにすることで、「死(し)」と連想するからです。
近年では、「4」の数字にこだわる選手も少なくなりましたが、プロ野球の創生期には背番号4番を不吉な番号とし、空き番号にする球団もありました。
ソフトバンクホークスにおいても、創生期の南海ホークス時代には、創立からなんと11年間も空き番号となっていました。
その一方で、外国人選手は「4」の数字を気にしないことから、日本プロ野球では活躍が期待される外国人に、背番号4番を与える傾向があります。
前身の南海ホークスでは、背番号4番を外国人選手に与える傾向が強くあります。これまで背番号4番を付けた16選手の中で、外国人選手は14名にも及ぶからです。
ただし、背番号4番を付けて長続きする外国人選手は少なく、ケント・ハドリ選手の6年間が最長となります。
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