こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!
『あつお~!!』
この言葉、プロ野球の福岡ソフトバンクホークスファンであれば、誰もが知っている言葉ですよね。知らないと、ファンとは認めてもらえない位に(笑)
これは、松田宣浩選手がホームランを打った際にファンと喜びを分かち合える時に、ポーズを取りながら『あつお~(熱男)』と叫ぶというパフォーマンスです。
2015年にチームのスローガンが『熱男』となって以来のパフォーマンスで、今や松田選手の代名詞とも言えるまでにファンの間では浸透しています。
今回は、福岡ソフトバンクホークスの背番号5番について特集します。背番号5番をつけた全選手と主な3選手の経歴、そして5番をつける選手の傾向もご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。
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歴代の背番号5番を背負った選手をご紹介
2019年のシーズン開幕時点で、これまでにソフトバンクホークスの背番号5番を背負った選手は、合計で15名になります。まずは、背番号5番を背負った歴代の選手を、古い順から一挙ご紹介します。
年 度 | 年 数 | 球 団 名 | 選 手 名 |
---|---|---|---|
1938年 | 1年 | 南海軍 | 鈴木芳太郎選手 |
1939年 | 1年 | 南海軍 | 鶴岡一人選手 |
1940年 | 1年 | 南海軍 | 清水秀雄選手 |
1941年~1942年 | 1.5年 | 南海軍 | 村上一治選手 |
1942年~1943年 | 1.5年 | 南海軍 | 清水秀雄選手 |
1944年~1945年 | 2年 | 近畿日本軍 | 空白 |
1946年~1955年 | 10年 | 近畿グレートリング~南海ホークス | 岡村俊昭選手 |
1956年~1968年 | 13年 | 南海ホークス | 穴吹義雄選手 |
1969年~1972年 | 4年 | 南海ホークス | 富田勝選手 |
1973年~1974年 | 2年 | 南海ホークス | 松井優典選手 |
1975年~1978年 | 4年 | 南海ホークス | 和田徹選手 |
1979年~1981年 | 3年 | 南海ホークス | 伊藤勲選手 |
1982年~1989年 | 8年 | 南海ホークス~福岡ダイエーホークス | 山村善則選手 |
1990年~1998年 | 9年 | 福岡ダイエーホークス | 藤本博史選手 |
1999年~2005年 | 7年 | 福岡ダイエーホークス~福岡ソフトバンクホークス | 吉本亮選手(改名:龍生) |
2006年~2016年 | 11年 | 福岡ソフトバンクホークス | 松田宣浩選手 |
2017年~2018年 | 2年 | 福岡ソフトバンクホークス | 空白 |
2019年~ | 福岡ソフトバンクホークス | 松田宣浩選手 |
球団創設間もない頃は1年程度で選手が変わっていきましたが、1946年に岡村選手がつけてからは、比較的長く同じ選手がつけている事が分かりますね。
背番号5番を背負って活躍した3選手のご紹介
その中から、これぞソフトバンクホークスの背番号5番と呼べる3名をピックアップし、経歴をご紹介いたしますので、是非参考にしてください。
松田宣浩選手
出身地 滋賀県草津市
投/打 右/右
プロ野球歴 福岡ソフトバンクホークス(2006年~)
表彰 ゴールデングラブ賞7回、ベストナイン1回
まずは最初にご紹介しました、松田選手からです。
松田選手は2005年のドラフト会議で、亜細亜大学より福岡ソフトバンクホークスに希望枠で入団しました。
松田選手はソフトバンクホークスの歴史の中で、最も背番号5番のイメージが強い選手です。その松田選手の魅力は、フルスイングから生み出される長打力です。
三振も多い一方で、ライナーでスタンドに飛び込む、松田選手独特のホームランが魅力となっています。
そして強肩を活かした守備にも定評があり、6年連続を含む7回ものゴールデングラブ賞にも輝いている、攻守が非常に高いレベルの選手です。
松田選手の代名詞とも言える『熱男』、そう呼ばれる事に、当の松田選手はとても気に入っているようで
『熱男』という愛称で呼んでもらうこと、あるいはそのように認識して頂けることがとても嬉しい。自分の中では野球選手をしていく上で本当にいい言葉をもらったと思っていて、本当に気に入っているんですよ」
「熱い気持ちで野球ができなくなったら、ユニフォームを脱がないといけないな、と思っているんで。これを周りが評価してくれているから、松田宣浩って選手がいる」
引用元:ウィキペディア
入団1年目の2006年から背番号5番をつけて活躍していた松田選手、2017年と2018年は背番号3番をつけていました。
背番号を変更した大きな理由として、2015年のWBC(ワールドベースボールクラシック)で憧れの長嶋茂雄選手と同じ3番をつける事が出来たのをあげています。
松田選手にとって、同じサードを守っていた長嶋選手は、特別な存在だったのでしょうね!
私が松田選手で最も印象深いのが、打った後に右足でケンケンをする事です。ファンの間でも評判になっていて、『歌舞伎』とか『おっとっと』などと言われています。
このポーズは、私的には『オットトット打法』というのが、一番合っていると思いますが(^_^;)
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穴吹義雄選手
出身地 香川県高松市
投/打 右/右
プロ野球歴 南海ホークス(1956年~1968年)
タイトル 特になし
穴吹選手は中央大学時代、東都大学野球リーグにおいて、2季連続首位打者を獲得します。1950年当時、大学野球界のスーパースターであった穴吹選手は、多くのプロ野球チームによる争奪戦が繰り広げられました。
ちなみに、穴吹選手を巡る争奪戦は後に小説にもなり、映画化もされています。
南海ホークスに入団をした穴吹選手は、1年目の開幕戦からレギュラーとして出場すると、その試合においてサヨナラ本塁打を放ちました。ちなみに、新人選手による開幕戦サヨナラ本塁打は、日本プロ野球界の初記録にもなります。
華々しいデビューを果たした穴吹選手は、特に大舞台が強く、日本シリーズでは試合を決める本塁打をたくさん放ちました。
また、穴吹選手は「鈍足の一番打者」としても話題にもなっています。なぜ足の遅い穴吹選手が一番打者になれたのかというと、当時の南海ホークスでは戦略的に緻密な野球を求めていなかったからでした。
その後、南海ホークスの4番打者も務めた穴吹選手は、南海ホークス一筋13年間に渡って活躍しました。
私が小さい頃に現役を引退した穴吹さん、選手として生で見たことはなく、私の中では監督としてのイメージの方が強いです。
1983年から3年間、監督を務めましたが、目立った成績を残せずに辞めています。特に8月が鬼門であり、3年連続で大きく負け越しています。
穴吹監督にとっては『8月さえなかったら・・・』と思っていたに違いありませんね!
藤本博史選手
出身地 大阪府泉北郡
投/打 右/右
プロ野球歴
福岡ダイエーホークス (1982年~1998年)
オリックス・ブルーウェーブ (1998年)
タイトル 特になし
藤本選手は高校野球の名門、天理高校からドラフト4位で南海ホークスに入団しました。
1989年、チームが南海ホークスから福岡ダイエーホークスへと変わるタイミングで、藤本選手は口ヒゲを伸ばし始めます。ヒゲがトレードマークとなった藤本選手ですが、これには「目を悪くした父親が、テレビ画面越しに見つけ易くするため」と、いったエピソードが残っています。
当時、南海ホークスの一塁を守る、助っ人外国人のブライアント選手も口ヒゲを伸ばしていたことから、二塁を守る藤本選手とのコンビが話題にもなりました。
勝負強い打撃が特徴の藤本選手は、1990年にはサイクル安打を放つなど、低迷するチームで孤軍奮闘の活躍をしています。
藤本選手は、プロ野球選手では珍しい柔道の有段者でもあります。そして口ヒゲがトレードマークでもあり、私としては豪快なイメージでした。
そんな藤本選手が、どちらかというと緻密さが求められるセカンドを守っている姿を見て『似合わない・・・』と思ってしまったのは、私だけでしょうか(^_^;)
背番号5番をつけた選手の傾向とは?
プロ野球界において背番号5番の意味するものは、守備・攻撃ともに、チームの要となる選手の番号といえます。特に、高校野球における背番号5番は、三塁手を意味することから、プロ野球界においても内野手のイメージがあります。
ソフトバンクホークスの背番号5番の傾向は、当初は外野選手が多く付けていました。例えば、大学野球のスター選手だった穴吹義男選手は、内野手として入団をするものの、すぐに外野手にコンバートされ、長年に渡り活躍をします。
その後、1970年代に入り、藤本博史選手が内野手として背番号5番を付けると、それ以後はソフトバンクホークスでも内野手の番号として定着をしています。
特に、背番号5番はサードを守る選手の傾向があり、チームを引っ張る熱い選手が多く見られます。
福岡ソフトバンクホークスに関しての話題はこちらからどうぞ。
⇒ソフトバンクホークスの話題
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背番号別の特徴に関しての話題を提供しています。
⇒背番号別の特徴
おわりに
今回は、福岡ソフトバンクホークスの背番号5番を特集しましたが、いかがだったでしょうか?
他の球団では内野手がつける傾向がある5番、ソフトバンクホークスでは当初は外野手が主につけていたものの、近年ではない内野手が多くつける番号となりつつあります。
2019年からは、再び松田選手が背番号5番をつけています。ベテランの域に達した松田選手が、ファンの期待に応える活躍を見せて『あつお~』を連発できれば、ソフトバンクホークスの牙城は安泰でしょうね!
最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。