東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号6番!プロもつけた歴代6番の選手と傾向を紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

東北楽天ゴールデンイーグルスには、プロ野球選手でありながらプロというニックネームでファンに親しまれている選手がいます。

なぜプロと呼ばれるのかと言えば、プロ野球選手の中に入っても最上級ともいえる素晴らしい守備を誇っているからです。

その選手とは、藤田一也選手です。抜群に広い守備範囲と、素晴らしく安定したグラブさばきや送球で、チームのピンチを何度となく救ってきました。

今回は藤田選手が着用する、東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号6番について歴史を辿ってみたいと思います!歴代の全ての6番の選手や、私が特に印象に残っている3選手、そして6番をつけてきた選手の傾向に触れますので、楽しみにしてくださいね。




歴代の背番号6番を背負った選手をご紹介

まずは、歴代の東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号6番の選手をご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
2005年~2009年5年東北楽天ゴールデンイーグルス 西谷尚徳選手
2010年1年東北楽天ゴールデンイーグルス 塩川達也選手
2011年1年東北楽天ゴールデンイーグルス 空白
2012年0.5年東北楽天ゴールデンイーグルス 内村賢介選手
2012年~東北楽天ゴールデンイーグルス 藤田一也選手

2005年の球団創立以来、背番号6番を背負った選手は藤田選手で4人目です。

2004年、東北楽天ゴールデンイーグルスとして初めてのドラフト会議で、4位指名を受けたのが西谷尚徳選手です。

2年目の2006年には数少ないチャンスをモノにして存在感をアピールしましたが、秋のフェニックスリーグで右ひじを痛めてしまいます。

翌2007年の3月に手術を受け、苦しみながら復帰を目指しましたが、2009年に6試合の一軍の出場を果たしたのみで同年で戦力外となりました。

2010年、イーグルス監督に星野仙一氏が就任。その初仕事としてどちらもMLBでプレーしていた岩村明憲・松井稼頭央両選手の入団が決まりました。

その中で、岩村選手はヤクルト時代に慣れ親しんだ背番号1番の着用を希望。イーグルス初年度から1番を背負ってきた塩川達也選手が番号を譲り、6番に変更しました。

西谷選手、塩谷選手と受け継がれてきた6番は2012年に内村賢介選手に受け継がれます。

2007年の育成ドラフト1位で入団した内村選手は小柄ながら俊足と堅実な守備で支配下登録を勝ち取り、番号も121番から始まり98番、0番、そして6番と変更。

長年イーグルスの正二塁手だった高須洋介選手がチーム事情により三塁を守るようになり、その後継者として期待を集めていました。

ところが2012年6月、内村選手と藤田一也選手の交換トレードが発表されました。開幕から2か月あまりという時期に加え、開幕戦以降スタメン出場を続けていた内村選手のトレードは驚きをもってファンに知れ渡りました。

内村選手から6番を引き継いだ藤田選手。当初は守備固めでの出場でしたが、ケガ人が出たことによりセカンドのポジションを確保。横浜時代から定評のあった守備に加え、イーグルス移籍後63試合出場で打率.308をマークした打撃で早くもチームの柱となりました。

藤田選手は、トレードで活躍の場が一気に開けたと言えます。

2005年に横浜ベイスターズでプロ入りしたものの、藤田選手が守る内野には内川聖一、村田修一、石井琢朗各選手という強力なレギュラーがいました。

さらには巨人から仁志敏久選手が加入したり、石川雄洋選手ら若手選手の台頭もあり定位置確保はままならず、入団時から定評のあった守備力を活かしての守備固め要員としてプレーする日々が続いていました。

2012年、トレードでイーグルスに移籍すると水を得た魚のごとくイキイキとプレーをし、瞬く間にイーグルスの正二塁手に収まり、翌2013年にはイーグルス日本一に大いに貢献しました。

ちなみに、2013年のベイスターズは5位。まさにトレードで運命が変わったと言っていいでしょう。




歴代背番号6番のうち、印象深い3選手のご紹介

次に、東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号6番をつけた選手の中で、私が印象深く感じる3選手をご紹介したいと思います。

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西谷尚徳選手

生年月日  1982年5月6日
出身地   埼玉県久喜市
投/打   右/左
プロ野球歴 東北楽天ゴールデンイーグルス(2005年~2009年)
       阪神タイガース(2010年)
タイトル等 特になし

2004年に行われたイーグルス初のドラフト会議で4巡目指名を受け入団した西谷選手。この年、何かと話題となり、結局はイーグルスに自由獲得枠で入団した一場靖弘選手と同じ明治大出身ということもあり、注目された選手でした。

埼玉県の鷲宮高校から進学した明大では、1年春のシーズンにいきなり打率.417を記録。鮮やかなデビューを飾りましたが、二度にわたり骨折するなどして低迷。それでも4年生時には再び打率4割をマークしベストナインに選ばれるなど復活を遂げました。

打撃もさることながら内野手としての守備範囲の広さも評価されイーグルス入団時に提示された背番号は6番。大きな期待を背負っての入団でした。

一軍初出場はプロ入り2年目の2006年、シーズン終盤。10試合の出場ではありますが打率.357を記録。翌年以降に期待を繋ぎました。

しかし2007年、開幕前に右肘の手術を行います。ことのほかこのケガは重傷で、リハビリに丸1年を費やしてしまいます。翌2008年も一軍戦は未出場となりました。

2009年、3年ぶりに一軍戦に出場しますが活躍することが出来ず、シーズンオフに戦力外通告を受けます。
12球団合同トライアウトを受験し、阪神と育成契約を結びますが2010年再び戦力外通告を受け、現役引退を決断しました。

明大時代に国語の教員免許を取得していた西谷選手は引退後、東京都多摩市にある多摩大付属聖ヶ丘高で教諭として勤務、同校野球部のコーチも務めます。

ちなみにこの高校は、2019年シーズンオフ話題の人だった千葉ロッテマリーンズ・福田秀平選手の母校でもあります。現在は立正大学講師として勤務しています。

元々、教師になりたかった西谷選手。元ダイエーホークスの大越基選手などのように高校野球の監督になりたいから教員になった、というわけではないそうです。

元プロ野球選手が教員になると、どうしても高校野球、甲子園と結びつけたくなるものですが、西谷選手のような方もいらっしゃるのですね。

近年、元プロ野球選手が公認会計士となったり、警察官になったり、あるいは司法書士として自分でオフィスを持っている、などなど色んなセカンドキャリアを持つ方が増えました。

現役時代ファンだった選手や、ひいきのチームの選手だった方の引退後の動向も何となく気になりますし、頑張っていらっしゃるのであれば引き続き応援したいものです!

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塩川達也選手


*背番号1番の時代となります。

生年月日  1983年3月15日
出身地   兵庫県神戸市垂水区
投/打   右/右
プロ野球歴 東北楽天ゴールデンイーグルス(2005~2011年)

イーグルス初代背番号1番として球団史にその名を残すであろう塩川選手ですが、じつはあと2つも「イーグルス初」の存在であることをご存知でしょうか。では、その答えを披露しつつ塩川選手を紹介したいと思います。

まず一つめは「イーグルス初の東北にゆかりのあるドラフト指名選手」ということです。

塩川選手は地元神戸市にある神戸国際大付属高出身です。高校時代は甲子園出場は叶いませんでした。

その後、イーグルスのホームタウンである仙台市にある東北福祉大へと進学しました。東北福祉大といえば「大魔神」佐々木主浩選手や「鉄人」金本知憲選手などを輩出した、東北の名門大学です。

2年生春のシーズンからレギュラーとなった塩川選手はいきなり3冠王プラス盗塁王を獲得。その後も走攻守揃った内野手として、仙台六大学リーグでベストナインを6期獲得しました。

4年生時には主将を務め、東北福祉大を全日本大学野球選手権優勝に導きます。また、日米大学野球選手権にもメンバー入りし、ここでも主将を務めました。

地元仙台のトップアマチュアをイーグルスが放っておくはずがなく、塩川選手は2004年のドラフト会議で5巡目指名を受けます。当時、地元にゆかりのある選手の少なかったイーグルスにとって貴重な存在となりました。

レギュラー獲得を期待され、イーグルス初の背番号1番を背負った塩川選手ですが、プロ2年目の2006年にショートの準レギュラーとして起用されたものの、翌2007年からはレギュラーが固定されたこともあり、塩川選手の出番は代走や守備固めがメインとなります。

当時の正二塁手・高須洋介選手がケガで戦線離脱したときはその穴を埋めるなど、便利屋としての一面もありました。

2006年に塩川選手が放ったプロ初ホームランは、2つめのイーグルス初となりました。それは「イーグルス初のはえ抜き選手の本塁打」となったからです。

塩川選手と同期入団では4人、翌2006年入団組では5人の野手がいましたが、その中で一番早くホームランを打ったのが塩川選手でした。

2011年、岩村明憲選手の入団により背番号を6番に変更した塩川選手。その2011年シーズンで現役を引退。2012年からはイーグルスJr.でコーチを務めています。

2018年からはイーグルス一軍コーチに就任。2020年シーズンは一軍内野守備走塁コーチとして三木肇新監督を支えることになっています。

藤田一也選手

生年月日  1982年7月3日
出身地   徳島県鳴門市
投/打   右/左
プロ野球歴 横浜ベイスターズ(2005年~2012年)
      東北楽天ゴールデンイーグルス(2012年~)
記録他   ベストナイン2回
      ゴールデングラブ賞3回

徳島県の鳴門第一高から近畿大へと進んだ藤田選手、関西学生野球リーグでは首位打者を2回、遊撃手としてベストナインを4回獲得するなど即戦力の内野手としてプロ球団から注目されていました。

藤田選手がドラフト会議で指名されたのは2004年のことですが、当時は「自由獲得枠」制度というものがあり、1球団2名まで選手が行きたいと思った球団に行けるとなっていました。

藤田選手もベイスターズの自由獲得枠候補だったのですが、この年は日大・那須野巧選手と同志社大・染田賢作選手の獲得に成功しており、藤田選手は通常のドラフトで球団が決まることとなりました。

早くからベイスターズのスカウトがマークしていたことに感謝していた藤田選手の希望はベイスターズ一本だったといいます。それ以外なら社会人入りを表明するなど、その意思は非常に固かいものでした。

それでも強硬指名を検討する球団が複数現れるなど、藤田選手への評価は非常に高かったのです。

希望叶いベイスターズに入団した藤田選手でしたが、プロ2年目の2006年や、レギュラーだった仁志敏久選手が不振だった2009年はスタメン出場が多くなりましたが、それ以外の年は代走や守備固めが主戦場となっていました。

2012年6月、イーグルス・内村賢介選手との交換トレードが成立。ここから藤田選手は本領を発揮していきます。

移籍後、三塁手を務めていた枡田慎太郎選手が戦線離脱、二塁手の銀次選手が三塁に回ったことにより空いた二塁の定位置を藤田選手が確保。そのままシーズン終了までレギュラーとしてプレーしました。

2013年は開幕から「2番・セカンド」に定着します。プロ入り9年目にして初の規定打席に到達した藤田選手は守備でも好プレーを連発し、当時の星野仙一監督にも絶大な信頼を得ます。

チームは開幕ダッシュには失敗したもののじわじわと順位を上げ、交流戦を15勝9敗の2位で終えると7月4日、千葉ロッテマリーンズとの首位攻防戦を制しついに首位浮上。そのまま一度も首位陥落することなく9月26日、歓喜のテープを切ります。

藤田選手が二塁、松井稼頭央選手が遊撃。守備力に定評のある二遊間が創り出したリズムがチームを優勝へ、そして田中将大投手の空前絶後の大記録・24勝0敗へと繋がりました。

2014年、藤田選手は全試合に出場。前年に続きベストナインとゴールデングラブ賞に輝きます。

2015年からはケガでチームを離れることが多くなりますが、それでも100試合前後には出場。安定した守備と、時にはクリーンナップを任せられるほど勝負強いバッティングでチームを支え続けます。

2019年、FA移籍してきた浅村栄斗選手が二塁手のレギュラーとなり藤田選手は控えに回りました。しかし、守備の名手と謳われる藤田選手が控えにいること、また実績のある藤田選手がスタメンで出れないほどイーグルスの選手層は厚くなったと好意的に捉えることができるでしょう。




背番号6番をつけた選手の傾向とは?

初代の西谷選手退団後は忙しなく選手の間を行き交った6番、藤田選手の活躍によりようやく落ち着きを取り戻しました。

ご紹介してきた東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号6番を背負った選手は全て内野手です。他の球団でも、背番号6番は内野手がつける傾向にあります。

言うまでもなく、多くのファンが抱く背番号のイメージの根源は高校野球にあります。投手は1番、捕手は2番、以下ファーストが3番・・・というイメージですね。

背番号1番をつけたピッチャーは少数派ですが、他の背番号はプロ野球でも高校野球と連動しているように感じます。




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おわりに

今回は、東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号6番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?他の球団と同じように、内野手がつけてきた傾向もわかりました。

今シーズンで38歳となる藤田選手ですが、昨今のプロ野球選手の引退年齢は上がってきているのでまだまだもう一花咲かせてくれるはずです。プロ中のプロと言われる守備も、まだまだ衰えを見せないでしょう。

ショートのレギュラーを務める茂木英五郎選手もややケガが多い選手ですから、藤田選手の華麗なる守備の出番はありそうですし、何より老け込むにはまだまだ早すぎますよね!

2020年もピンチを迎えたチームを颯爽と救う藤田選手の雄姿が見れそうです!

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。