広島カープの背番号6番!歴代の6番の全選手とその傾向をご紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

高校時代、超無名の学校で野球をしていた私とは反対に、超有名な学校ばかりでプレーをして、鳴り物入りでプロ野球に入る選手も存在します。羨ましいと思いますが、これが実力というものですよね(^_^;)

かつて全国でも有数な野球のエリート校であったPL学園から、東京六大学野球の名門の法政大学に進み、広島カープに入団した小早川毅彦選手も、誰もがうらやむ野球エリートではないでしょうか?

今回は、そんな小早川選手がつけていた、広島カープの背番号6番を特集します。歴代の全選手と、で、楽しみにしてくださいね。




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歴代の背番号6番を背負った選手をご紹介

2019年のシーズン開幕を迎える時点で、広島カープの背番号6番を背負った選手は合計で12名、その歴代の全ての選手を古い順から、一挙ご紹介します。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1950年1年広島カープ磯田憲一選手
1951年~1952年2年広島カープ空白
1953年1年広島カープ金山次郎選手
1954年1年広島カープ空白
1955年~1964年12年広島カープ川原政数選手
1965年1年広島カープ佐々木有三選手
1966年~1973年8年広島カープ~広島東洋カープ今津光男選手
1974年1年広島東洋カープ空白
1975年~1976年2年広島東洋カープゲイル・ホプキンス選手
1977年~1982年6年広島東洋カープジム・ライトル選手
1983年1年広島東洋カープ加藤英司選手
1984年~1996年13年広島東洋カープ小早川毅彦選手
1997年~2006年10年広島東洋カープ浅井樹選手
2007年~2017年11年広島東洋カープ梵英心選手
2018年~広島東洋カープ安部友裕選手

10年以上つけている選手が4人いる反面、1年しかつけていない選手も4人いるという、極端な傾向がありますね。

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背番号6番を背負って活躍した3選手のご紹介

次に、私が選んだこれぞ広島カープの背番号6番と呼べる3名をピックアップし、経歴をご紹介しますので、是非参考にしてください

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小早川毅彦選手

生年月日   1961年11月15日
出身地    広島県広島市
投/打    右/左
プロ野球歴  広島東洋カープ (1984年~1996年)・ヤクルトスワローズ(1997年~1999年)
タイトル   最多勝利打点:1回
表彰     新人王

小早川選手は、当時巨人の原選手が「巨人の若大将」と呼ばれたのに対して、「カープの若大将」と呼ばれるほど、人気と実力を兼ね備えていました。

その、小早川選手は高校野球界の名門PL学園から法政大学を経て、1984年にドラフト2位で広島カープに入団しました。入団1年目から1塁手としてレギュラーの座を掴み取ると、チームの勝利に貢献し、自らも新人王のタイトルを獲得します。

小早川選手のバッティングフォームは、長距離打者には珍しく、小さなステップから、身体の軸回転で打球を遠くへ飛ばす特徴があります。残念ながら、小早川選手は大きなタイトルには恵まれなかったものの、試合を決めるようなホームランが多く、名場面を多く作った選手です。

私が小早川選手のバッティングで印象に残っているのが、1987年9月20日の広島市民球場での出来事となります。
相手の巨人の先発ピッチャーは、大学の6年先輩の江川卓選手。悩まされていた肩の痛みもなく好投していた江川選手から、絶対の自信を持って投げたストレートを打ち返しサヨナラホームランを打ったシーンです。
ボールがライトスタンドに突き刺さると、マウンドでガックリとひざまずく江川選手、打たれても気持ちを態度に出さない江川選手が見せた、珍しい光景でした。この時に、江川選手は引退を決めたそうです。
結果的に、大学の先輩を引退に追い込んでしまった小早川選手、勝負の世界は非情だと思わされました。

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ジム・ライトル選手

生年月日  1946年5月20日
出身地   アメリカ合衆国オハイオ州
投/打   右/左
プロ野球歴 
ニューヨーク・ヤンキース (1969年~1971年)
シカゴ・ホワイトソックス (1972年)
モントリオール・エクスポズ (1973年~1976年)
ロサンゼルス・ドジャース (1976)年
広島東洋カープ (1977年~1982年)
南海ホークス (1983年)
表彰     最多安打:1回、ベストナイン:1回、ダイヤモンドグラブ賞:4回

ライトル選手は、1966年にアメリカ大リーグのドラフト会議にて、名門ニューヨーク・ヤンキースから1位指名された選手です。

そのライトル選手は、1977年に広島東洋カープに入団をすると、同年に入団をしたギャレット選手とともに活躍を見せます。特に、自慢の強肩を生かしたライトル選手は、外野手として堅守が光り、4年連続でダイヤモンドグラブ賞を獲得しました。

また、バッティングも山本浩二選手、衣笠祥雄選手とクリーンナップの一角を担うと、5年連続20本塁打を放ちます。1980年の近鉄との日本シリーズでは、打率4割をマークする活躍を見せ、日本シリーズのMVPも獲得をしています。

ライトル選手は常勝赤ヘル軍団の一員として、6年間に渡って在籍をいたしました。予算の少ない市民球団の広島カープにとっては、在籍した外国人選手がそれほど多くない中で、最も活躍を見せた外国人の1人として語り継がれています。

ライトル選手が広島カープで活躍していた頃、私はちょうど中学生や高校生時代でした。3番を打ちライトを守る事が多かったライトル選手。

『3番、ライトライトル!』

とても覚えやすくて、一度聞いたら忘れられませんでしたね(^_^;)

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梵英心選手

生年月日  1980年10月11日
出身地   広島県三次市
投/打   右/右
プロ野球歴 広島東洋カープ (2006年~2017年)
タイトル  盗塁王:1回、ゴールデングラブ賞:1回、新人王

梵選手は、実家が浄土真宗本願寺派のお寺であることから、とても珍しい名前として話題になった選手です。名字の漢字を「そよぎ」と読んで貰えることは少なく、チームメイトからは「ヨギ」の愛称で親しまれました。

その梵選手は、高校時代は無名の選手であり、社会人野球で注目を浴びた遅咲きの選手です。日産自動車の野球部時代に、都市対抗野球大会で首位打者のタイトルを獲得する活躍を見せて、チームを準優勝に導きました。

広島カープに入団をした梵選手は、初年度から活躍を見せると、新人王のタイトルを獲得します。プロ野球選手としては小柄ながらも、長く持ったバットからの長打が魅力でした。

また、2010年には43盗塁を達成し、盗塁王のタイトルを獲得いたします。しかし、その翌年6月、試合中に自打球で左ひざを負傷すると、その後の長期離脱の影響から試合の出場も減少をし、2017年に自由契約選手となりました。

私は梵をそよぎと読めず、また聞いてもすぐに忘れてしまい『かけい』と読んでいました(^_^;)何故『かけい』と読んでしまうのか、私の中ではそう読むのが、自然だと思ってしまっていたのかもしれません(^_^;)

googleなどの検索エンジンでも、『梵 読み方』『梵 意味』とかで検索する人が少なくないようです。苦労しているのは私だけではないのですね(笑)




広島カープの背番号6番をつけた選手の傾向とは?

日本プロ野球界において、背番号6番の傾向は、投手よりも圧倒的に野手のイメージです。そして、チームのキャンプテンを努める様な、主力選手の番号の傾向があります。

広島カープにおける背番号6番も、野手のイメージで長距離打者の傾向が強くあります。他球団から移籍した長距離打者も多く、外国人助っ人も含まれます。

ライトル選手やホプキンス選手といった、広島カープの優勝に大きく貢献する活躍をみせた外国人選手が、背番号6番を付けました。

また、広島カープの背番号6番は、長距離打者以外にも、勝負強い打者の傾向があります。「カープの若大将」と呼ばれた小早川選手は、試合を決めるホームランなどを打ち、勝負強い選手として語り継がれています。

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あとがき

今回は、広島カープ背番号6番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?他の球団と同じく主に野手がつけていて、そして長距離打者がつけるといった広島カープの傾向もわかりました。

2018年からは安部選手が背番号6番をつけています。歴代の選手のように長打が打てて、勝負強いバッティングを見せる事ができるのか、注目していきたいと思います。

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。