こんにちは、みっつです。
2という数字、どのようなイメージがあるでしょうか?私は、輝かしい?1と3の間という事で、何となく地味なイメージを持ってしまっています(^_^;)
野球の背番号において、2にはどんな意味があるのでしょうか。プロ野球と、高校野球を始めとしたアマチュア野球に分けて解説します。
そしてプロ野球で大活躍した、背番号2番の選手もご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。
■目次(クリックすると飛びます)
プロ野球での背番号2番の意味
背番号は野球発祥のアメリカで、便宜上、打順にあわせて番号が割り振られたことが始まりです。しかし、長い歴史のなかで、背番号は単なる登録番号ではなく、その数字がひとつの個性を持つようになりました。
背番号2番は華やかな背番号1番と背番号3番に挟まれることで、少し地味なイメージがもたれています。
プロ野球では、高校野球の名残から、これまで捕手がつけるイメージが強くありました。なお、背番号2番と同じく、背番号22番も捕手がつけるイメージがあります。
特に、高校野球で捕手をしていた選手が、そのままプロ野球に入団したとき、愛着のある2番をそのまま背番号とするケースがあります。
ただし、一桁の背番号は、チームのなかでも期待の高い選手がつけることから、高校出身の選手がいきなり背番号2番をつける意味は、球団の期待の高さになります。
例えば、福岡ソフトバンクホークスに高校から入団をした城島健司選手は、そのまま捕手として背番号2番をつけていました。
また、前身の南海ホークス時代には、同じく高校出身の捕手として活躍した、香川伸行選手が入団時から背番号2番をつけていました。
しかし、最近では、背番号2番は捕手だけではなく、堅守でいぶし銀と呼ばれるような内野手が、背番号2番をつけるイメージも定着しています。
アマチュア野球での背番号2番の意味
規定はないものの、各ポジションにより背番号が割り当てられる高校野球において、背番号2番はキャッチャーが背負っています。
一方、大学野球や社会人野球では、選手によって背番号を選択することが出来ます。
高校野球につけていた背番号に愛着を持つ選手は、そのまま大学野球や社会人野球でも同じ背番号をつけることから捕手の選手もいます。
プロ野球での主な背番号2番の選手
プロ野球において、背番号2番をつけて大活躍した選手を5人ご紹介します。
城島健司選手
生年月日 1976年6月8日
出身地 長崎県
投/打 右/右
プロ野球歴 福岡ソフトバンクホークス(1995年~2005年)
シアトル・マリナーズ(2006年~2009年)
阪神タイガース(2010年~2012年
表彰歴 MVP1回
ゴールデンクラブ賞8回
城島選手は1994年に別府大学付属高等学校から福岡ダイエーホークスに入団し、背番号2番を現役生活17年間に渡ってつけていました。
また、2006年にからは捕手としてはじめてアメリカ大リーグに挑戦し、シアトル・マリナーズで4年間プレーをしましたが、マリナーズでも背番号②番でした。
城島選手は主なタイトルこそ獲得していませんが、日本プロ野球で1406本、アメリカ大リーグで431本の安打を放っています。
強肩で鳴らした城島選手は、8回のゴールデン・グラブ賞を獲得し、盗塁阻止率ではリーグ最高の5回、最優秀バッテリー賞も5回輝いている、打っても守っても超一流の実力の持ち主です。
21歳の時には、当時、戦後生まれの最年少として、オールスターファン投票で捕手部門1位に選ばれるなど、とても人気のある選手でした。
荒木雅博選手
生年月日 1977年9月13日
出身地 熊本県
投/打 右/右
プロ野球歴 中日ドラゴンズ(1996年~)
タイトル 盗塁王1回
表彰歴 ゴールデン・グラブ賞6回
荒木選手は九州の野球の名門校、熊本工業高校からドラフト1位で中日ドラゴンズに入団しました。
走攻守を兼ね備えた選手として、中日ドラゴンズ一筋に、20年間活躍を続けた選手です。2023本の安打を放ち、盗塁王にも1度輝いています。
特に、井端弘和選手とコンビは有名で、守備の要として二遊間を守り続けました。
名守として鳴らした荒木選手は、2004年から6年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞しています。
広岡達朗選手
生年月日 1932年2月9日
出身地 広島県
投/打 右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ(1954年~1966年)
表彰歴 新人王
読売ジャイアンツで活躍した広岡選手は、背番号2番をつけた往年の名選手のなかで、もっとも記憶に残る選手です。
早稲田大学から名門の読売ジャイアンツに入団をすると、初年度からレギュラーの座をつかみ、新人王にも輝きました。
当時、華麗な守備から「牛若丸」と讃えられた、阪神タイガースの吉田義男選手とライバル関係にありました。
広岡選手の守備は堅実さが際立っていましたが、いつも吉田選手の2番手の評価となり、辛い思いをしたのではないかと思います。
ちなみに、早稲田大学出身で2枚目として有名だった広岡選手は、女性の人気がとても高い選手でした。この辺は吉田選手より高評価だったかもしれませんね。
元木大介選手
生年月日 1971年12月30日
出身地 大阪府
投/打 右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ(1991年~2005年)
タイトル 特になし
元木選手は、いぶし銀の内野手のイメージから、背番号2番がもっとも似合う選手でした。ユーティリティー選手として、投手と捕手以外であれば、どの内野のポジションもこなせる選手です。
甲子園の活躍から高校生としてドラフトの指名を受けましたが、2位指名であったことから、入団を断り1年間を棒に振りました。
そして、1年の浪人後、憧れの読売ジャイアンツから、晴れて1位指名を受けて入団をしました。
残念ながら、度重なるケガに悩まされ、33歳の若さで引退を決断いたしました。
元木選手は記録よりも記憶に残る選手といえるでしょう。
小笠原道大選手
生年月日 1973年10月25日
出身地 千葉県
投/打 右/左
プロ野球歴 北海道日本ハムファイターズ(1997年~2006年)
読売ジャイアンツ(2007年~2013年)
タイトル 首位打者2回
本塁打王1回
打点王1回
表彰歴 MVP2回、
ゴールデン・グラブ賞6回
小笠原選手は長距離打者として、これまでの背番号2番のイメージを覆した選手です。
小笠原選手もまた、入団時は捕手であったことから背番号2番が与えられました。しかし、本職の捕手ではなく、バッティングに非凡な才能を見出され活躍をいたしました。
当初、2番バッターとして定着しますが、長距離バッターを匂わせる思い切りの良いスイングから、「バントをしない2番バッター」として話題になった事もあります。
小笠原選手は「ミスター・フルスイング」と呼ばれるようになり、日本代表チームでも4番を努める選手へと成長しました。
まとめ
今回は、野球における背番号2番についてお届けしましたが、いかがだったでしょうか?
プロ野球では、キャッチャーやいぶし銀の野手がつけるケースが多い、という傾向があるようです。という事は、1と3の間で地味なイメージというのも、外れてはいないかもしれませんね(^_^;)
しかし、なくてはならない貴重な存在の選手がつけるのが、背番号2番と言えるかもしれません。
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。