背番号18番!野球ではどんな意味があるの?主な名選手もご紹介!

豆知識

こんにちは、みっつです。

当ブログでは、主な野球の背番号について特集しています。その背番号の意味やプロ野球で活躍した選手を紹介してきました。

今回は背番号18番についてお届けしていきたいと思います。まずプロ野球やアマチュア野球でどのような選手がつけているかをご紹介します。

次にピッチャーと野手に分けて、プロ野球の名選手をご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。

ご注意
ご紹介する内容は、筆者の思いや推測が含まれています。また正確さを保証している訳ではありませんので、御理解の上お読みください。

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背番号18番を背負う意味って?

背番号18番を背負っている選手には、どのような特徴があるのでしょうか?説明したいと思います。

日本のプロ野球では、背番号18番は投手が背負っているイメージが非常に強いです。実際に2018年6月現在の日本プロ野球の各球団の背番号18番の選手を確認すると、投手が8球団・不在が3球団・外野手が1球団でした。

それでは、社会人野球ではどうでしょうか?社会人野球でも背番号18番は投手がつけているのでしょうか?JR東日本野球部、トヨタ自動車硬式野球部、Honda 硬式野球部など多くのチームで投手が背番号18番をつけていました。

大学野球ではどうかと思い、東京六大学の2018年春季の各チームを調べてみると、投手が4人・不明が2人という内訳でした。

プロ野球・社会人野球・大学野球部のいずれにおいても、背番号18番は投手が背負っているケースが非常に多いという事がわかりましたね。

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背番号18番の歴代名投手をご紹介

それでは実際に日本プロ野球界で背番号18番を背負って活躍した選手を紹介します。まずはピッチャー編です。

中尾輝三選手

生年月日  1919年12月1日
出身地   三重県
投/打   左/左
プロ野球歴 東京巨人軍・読売ジャイアンツ(1939年~1942年・1946年~1957年)
タイトル  最多勝1回
      最優秀防御率1回
      最多奪三振(当時連盟表彰なし)2回

中尾輝三選手は、1939年に読売ジャイアンツの前身である東京巨人軍に入団して、1957年までプレーしました。

1948年には39試合に先発登板して27勝を挙げたほか、187奪三振・防御率1,84という数字を残しています。この大活躍で、最多勝・最優秀防御率・最多奪三振のタイトルを獲得したほか、最多勝・ベストナインを受賞しました。

中尾選手は1939年から1942年および1946年から1957年まで背番号18番を着用しています。

米田哲也選手

生年月日  1938年3月8日 
出身地   鳥取県
投/打   右/右
プロ野球歴 阪急ブレーブス (1956年~1975年)
      阪神タイガース (1975年~1976年)
      近鉄バファローズ (1977年)
タイトル  最多勝1回
      最優秀防御率1回
      最多奪三振(当時連盟表彰なし)1回

米田哲也選手は、1956年に現在のオリックス・バファローズの前身である阪急ブレーブスに入団しました。10勝以上を19年連続で達成し、20勝以上を8回達成するなどスタミナが豊富であることから「人間機関車」と呼ばれました。

1977年に通算350勝を達成しました。これは、右腕として歴代1位の記録となっています。

米田選手は阪急ブレーブスに所属していた時に背番号18番を着用していました。

松坂大輔選手

生年月日  1980年9月13日
出身地   東京都
投/打   右/右
プロ野球歴 西武ライオンズ (1999年~2006年)
      ボストン・レッドソックス (2007年~2012年)
      ニューヨーク・メッツ (2013年~2014年)
      福岡ソフトバンクホークス (2015年~2017年)
      中日ドラゴンズ (2018年~)
タイトル  最多勝利3回
      最多奪三振4回
      最優秀防御率2回

松坂大輔選手は1999年に西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)に入団しました。速球と多種多様な変化球を得意としていて、1年目から16勝を挙げる活躍をして新人賞を受賞すると同時に最多勝のタイトルを獲得しています。

その後も活躍し続け、西武ライオンズに所属していた8年間で108勝を挙げました。2007年にボストン・レッドソックスに移籍してここでも2年連続15勝以上を達成しています。

松坂選手は1999年から2012年および2015年から2017年まで背番号18番を着用しました。

杉内俊哉選手

生年月日  1980年10月30日
出身地   福岡県
投/打   左/左
プロ野球歴 福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークス (2002年~2011年)
      読売ジャイアンツ (2012年~)
タイトル  最多勝1回
      最優秀防御率1回
      最多奪三振3回

杉内俊哉選手は2002年に福岡ソフトバンクホークスの前身である福岡ダイエーホークスに入団しました。2005年に18勝4敗・防御率2,11という数字を残して最多勝・最優秀防御率のタイトルに加えて最優秀選手・沢村賞・ベストナインを受賞しています。

その後も2007年~2014年にかけて2桁勝利や6割以上の勝率を達成して大活躍しました。

杉内選手は2012年以降現在まで背番号18番を着用しています。

前田健太選手

生年月日  1988年4月11日
出身地   大阪府
投/打   右/右
プロ野球歴 広島東洋カープ (2007年~2015年)
      ロサンゼルス・ドジャース (2016年~)
タイトル  最多勝2回
      最優秀防御率3回
      最多奪三振2回

前田健太選手は2007年に広島東洋カープに入団しました。速球やスライダー、カーブなどの多彩な球種を投げ分けることができ、2010年から2017年まで8年連続で2桁勝利を記録しています。

2010年には最多勝・最優秀防御率・最多奪三振の投手三冠に加えて、最優秀投手・沢村賞・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を受賞しました。

前田選手は2008年から背番号18番を着用しています。

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意外?背番号18の名野手たち

次に、背番号18を背負っていた野手を紹介したいと思います。

小前博文選手

生年月日  1921年10月9日
出身地   兵庫県
投/打   右/右
プロ野球歴 ゴールドスター・金星スターズ (1946年~1947年)
      阪急ブレーブス (1948年~1949年)
      広島カープ (1950年)
タイトル  なし

小前博文選手は、1946年に千葉ロッテマリーンズの母体球団の1つであるゴールドスターに入団しました。1947年には119試合に出場して、100安打を記録しています。

小前選手は広島カープに所属していたときに背番号18番を着用しました。

シクスト・レスカーノ選手

生年月日  1953年11月28日
出身地   プエルトリコ
投/打   右/右
プロ野球歴 ミルウォーキー・ブルワーズ (1974年~1980年)
      セントルイス・カージナルス (1981年)
      サンディエゴ・パドレス (1982年~1983年)
      フィラデルフィア・フィリーズ (1983年~1984年)
      ピッツバーグ・パイレーツ (1985年)
      横浜大洋ホエールズ (1987年)
タイトル  なし

シクスト・レスカーノ選手は1974年にミルウォーキー・ブルワーズに入団しました。1979年には、152安打・28本塁打・101打点・打率.321を記録するなど、1976年から1982年にかけてパワーと安定感を兼ね備えた強打者として活躍しました。

1987年には横浜大洋ホエールズに入団して水野雄仁投手や斎藤雅樹投手から本塁打を放っています。

シクスト・レスカーノ選手は横浜大洋ホエールズ所属時に背番号18番をつけていました。

河西俊雄選手

生年月日  1920年4月25日
出身地   兵庫県
投/打   右/右
プロ野球歴 グレートリング・南海ホークス (1946年~1949年)
      大阪タイガース (1950年~1955年)
タイトル  盗塁王3回

河西俊雄選手は1946年に福岡ソフトバンクホークスの前身であるグレートリングに入団しました。

盗塁王を3度獲得するなど俊足が特徴ですが、打撃面においても1946年から1952年まで平均90本以上の安打を記録しています。長打力には恵まれなかったものの、高い打撃技術も兼ね備えていた選手だったと言えるでしょう。

河西選手は1950年途中から1952年まで背番号18番をつけていました。

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まとめ

今回は、野球における背番号18番について特集しましたが、いかがだったでしょうか?背番号18番というと、やはりピッチャー、それもエースと呼ばれるような選手がつけているケースが多いといった感じでしたね。

日本では背番号18番は主にピッチャーがつける傾向は、このままずっと引き継がれて行くと思われます。

今後もどのような素晴らしいピッチャーが背番号18番をつけるのか、楽しみにしていきましょう!

最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。