こんにちは、みっつです。
春と夏に行われる野球の一大イベントといえば、やはり甲子園球場で行われる高校野球ですよね。
一生懸命にチームの勝利に向かっていく姿は、野球ファンでなくても大きな感動を呼ぶのではないでしょうか?私の姉も、プロ野球は見ないけど甲子園での高校野球だけは見て、感動しています(笑)
プレー以外でも感動を呼ぶイベントがあります。それは、開会式に行われる選手宣誓です。選手宣誓をおこなう事になった学校が、みんなで知恵を出し合って考えた宣誓文は、プレーと同じように感動を与えてくれます。
今回は甲子園での選手宣誓で、感動を呼んだ名言を7つご紹介していきたいと思います。
■目次(クリックすると飛びます)
感動を呼ぶ選手宣誓になったのはいつから?
選手宣誓は、以前は同じような言葉を使っていました。どのような文かといいますと
「宣誓、我々選手一同は、スポーツマンシップに則り(のっとり)、正々堂々と戦うことを誓います。 ○年○月○日 選手代表○○ ○○」
といった感じです。感動しなくはないですが、毎年同じ内容では感動は薄いかもしれませんね(^_^;)
しかし選手宣誓にも、変化があらわれました。それは1984年の夏の甲子園において、大会主催者側から「学校独自の文面を作ってみては?」と、アドバイスされたことがきっかけです。
その夏、選手宣誓を努めることになった、福井県立福井商業高校の主将坪井久晃君は、これまでの定型にない選手宣誓を初めて行いました。これをきっかけとし、選手個々の気持ちが盛り込まれることで、開会式の選手宣誓にも広く関心が集るようになったのです。
内容は誰が考えているの?
こうした選手宣誓の内容は、監督と選手が一緒になって考えているようです。その時々の時代や学校の特徴をキーワードにし、観客やTVの前の野球ファンに感動を与える宣誓が、毎回聞かれます。
その一方で、こうした独自の文章による選手宣誓について、「選手宣誓の本来の意図を失っている」と、批判をする声もあります。選手宣誓とは「スポーツマンシップに則り(のっとり)、正々堂々と戦う」ことを、大衆の面前で誓いをたてる事です。
しかし、私たちは皆さんに感動を与えるプレーをします等は、勘違いした内容である、という指摘もあります。
個人的には、あまり誓いという事にこだわらなくても良いのでは?という思いもあります。時代とともに選手選手の内容も変化していっても、それは自然な流れかなと感じているからです。
感動を呼んだ宣誓の名言をご紹介!
ここからは、感動を呼んだ甲子園での選手宣誓を9つご紹介していきます。私の独断と偏見なので、お許しください(^_^;)
第66回 全国高等学校野球選手権大会(1984年8月8日)
最初にご紹介するのは、1984年の夏の甲子園での選手宣誓となります。先ほどご紹介しましたが、学校独自の文面での初めての選手宣誓です。
元高校球児の私にとって、従来の
宣誓、我々選手一同は、スポーツマンシップに則り(のっとり)、正々堂々と戦うことを誓います。
という宣誓でなくなった事が、かなりの衝撃的で感動し心に残っています。
我々、選手一同は第66回全国高等学校野球選手権大会に臨み、若人の夢を炎と燃やし力強く逞しく、
甲子園から大いなる未来に向かって正々堂々と闘い抜くことを誓います
引用元:第66回 全国高等学校野球選手権大会(1984年8月8日)福井県福井商業高等学校 坪井久晃主将の選手宣誓
印象深いと言いながら従来の選手宣誓と比べると、そんなに大きく違ってはいませんでしたね(^_^;)
でも、独自の文面のパイオニアとして、とっても価値があると私は考えています。
第76回 全国高等学校野球選手権大会(1994年8月8日)
学校独自の文面での選手宣誓になってから、10年後の1994年の夏の甲子園での選手宣誓を努めたのは、山口県立光高等学校・杉村衡作主将でした。
私はこの選手宣誓を聞いた事がなかったのですが、調べてみると
- 高校生らしいさわやかな言葉
- 選手宣誓のなかで最も心を揺さぶられた
- 後にも先にもこんな素晴らしい選手宣誓はないだろう
といった感じで、評価が非常に高い選手宣誓です。
宣誓の内容を確認すると、確かにさわやかであり、選手を代表して誓うという本来の選手宣誓の意味も込められた、素晴らしい宣誓であると感じました。
宣誓・野球を愛する私たちは、憧れの甲子園球場から全国の仲間にメッセージを送ります
ファイト、フェアプレー、フレンドシップの頭文字『F』のマークをあしらった高校野球連盟の旗のもと、
私たち選手一同は、苦しい時はチームメートで励まし合い、辛いときはスタンドで応援してくれている友人を思い出し、
さらに全国の高校生へと友情の輪を広げるため、この甲子園の舞台で、一投一打に青春の間隙を噛み締めながら、
爽やかにプレーすることを誓います。
引用元:全国高等学校野球選手権大会(1994年8月8日) 山口県立光高等学校・杉村衡作主将の選手宣誓
第83回 選抜高等学校野球大会(2011年3月23日)
2011年の春のセンバツでの選手宣誓です。あの東日本大震災からわずか12日しか経っていない中での開会式となりました。
未曾有の大災害ともいわれる東日本大震災、起こってから12日の段階では、まだまだスポーツを観戦するといった雰囲気ではありませんでした。そのような状況の中で選手宣誓をする事になったのが、岡山県創志学園の野山慎介主将です。
多くの方が被災した中での選手宣誓、文面を考えるのも相当に気を使ったに違いありませんよね。出来たら辞退したい、その位のプレッシャーはあったのではないかと思います。そのような中での選手宣誓の全文です。
宣誓。私たちは16年前、阪神淡路大震災の年に生まれました。今 東日本大震災で多くの貴い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。
被災地ではすべての方が一丸となり、仲間とともにがんばっておられます。
人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。
私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
がんばろう 日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。
引用元:第83回 選抜高等学校野球大会(2011年3月23日) 岡山県創志学園高等学校・野山慎介主将の選手宣誓
どの言葉も感動を呼ぶ素晴らしい宣誓だと思いますが、特に、人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています、という言葉が印象的でした。
第93回 全国高等学校野球選手権大会(2011年8月6日)
東日本大震災から5ヶ月弱、夏の甲子園が開幕しました。5ヶ月経ったとはいえ、甚大な被害を受けた地域は、まだ手付かずの状態で残されています。
夏の甲子園が始まる1週間前に、私は大津波で甚大な被害を受けた福島県の相馬市に泊まりましたが、それは言葉に出来ないような衝撃的な風景が広がっていました。そんな状況の中で、石川県金沢高等学校の石田将太主将は、以下のように宣誓しています。
春から夏に掛けて、どれだけの時が経っても忘れることのない、さまざまなことが起きました。それでも、失うばかりではありません。
日本中のみんなが仲間です。支え合い、助け合い、頑張ろう。
私たちは精一杯の笑顔で、全国の高校球児と、思いを白球に込め、この甲子園から消えることのない深い絆と勇気を日本中の仲間に届けられるよう、
全力でプレーすることを誓います。
引用元:第93回 全国高等学校野球選手権大会(2011年8月6日) 石川県金沢高等学校・石田将太主将の選手宣誓
と宣誓しました。
東日本大震災では、全国の高校球児から東北地方の高校球児に、野球のボール等が寄付されたといいます。これは石田主将の宣誓の中での、支え合い・助け合いと言えるのではないでしょうか?
全国の高校球児を代表しての石田主将の宣誓、被災した高校球児の心に必ずや届いたでしょうね!
第84回 選抜高等学校野球大会(2012年3月21日)
東日本大震災か起こってから2回目の春のセンバツです。今大会では21世紀枠で壊滅的な被害を受けた石巻から、石巻工業高校が初出場を果たしました。
選手宣誓は、被災地の学校を代表して高校野球連盟がお願いしたかと思いきや、何と抽選で阿部翔人主将が引き当てたといいます。
前年の2011年の11月に、私は東日本大震災以降初めて石巻をはじめ、三陸地方を訪れました。そこで見たものは、津波で建物の上に残された自動車、5階にまで津波に襲われた集合住宅、未だに停電している市街地…。見るもの見るものが衝撃的で、言葉を失うとはまさにこの事だと痛感しました。
その風景を思い浮かべながら聞いた、阿部主将の選手宣誓の全文がこちらとなります。
宣誓。東日本大震災から1年。日本は復興の真っ最中です。
被災された方々の中には、苦しくて心の整理のつかない方、今も当時のことや亡くなられた方を忘れられず悲しみに暮れている方々がたくさんいます。
人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくて辛いことです。
しかし日本がひとつになり、この苦難を乗り越えることができれば、その先に大きな幸せが待っていると信じています。
だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔。
見せましょう、日本の底力、絆を。
われわれ高校球児にできること。それは全力で戦い抜き、最後まであきらめないことです。
今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。
引用元:第84回 選抜高等学校野球大会(2012年3月21日) 宮城県石巻工業高等学校・阿部翔人主将の選手宣誓
実際に体験したからこそ、にじみ出てくるような言葉の重み、凄く感じ取れますよね。
第97回 全国高等学校野球選手権大会(2015年8月6日)
2015年は、高校の全国野球大会が開催されて100年目となる節目の年となりました。その夏の甲子園での宣誓文も印象的でした。
100年前の1915年といえば日本は大正4年、第一次世界大戦の真っ只中です。戦争を放棄している今の日本では、考えられない状況ですね。
選手宣誓をした京都府立鳥羽高等学校の梅谷成悟主将は、全国大会100年は日本の歴史と歩んできた、と宣誓しています。それは、100年も続いてきたという重みを感じる、心に残る素晴らしい言葉でした。
激動の年に高校野球の全国大会が開催されるという事は、当時から高校野球人気はかなりのものだったのかもしれませんね。
宣誓。1915年8月、第1回全国中等学校優勝野球大会が始まりました。それから100年間、高校野球は日本の歴史とともに歩んできました。
この100年、日本は激動と困難を乗り越えて今日の平和を成し遂げました。
このような節目の年に、聖地甲子園で野球ができることを誇りに思い、そして支えていただいたすべての方々に感謝し、全力でプレーをします。
次の100年を担うものとして、8月6日の意味を深く胸に刻み甲子園で躍動することを誓います。
引用元:第97回全国高等学校野球選手権大会(2015年8月6日) 京都府立鳥羽高等学校・梅谷成悟主将の選手宣誓
第88回 選抜高等学校野球大会(2016年3月20日)
2016年の春のセンバツで選手宣誓をしたのは、香川県の小豆島高校・樋本尚也主将です。
第1回の全国選抜野球大会が開かれた翌年に、誕生した小豆島高校の野球部、かなりの歴史ですよね。しかし、小豆島高校は2017年の3月で統合・閉校が決まっているという激動の時期でもありました。
春のセンバツの翌年に出来た野球部が、最初で最後となった甲子園出場で、選手宣誓をした翌年に閉校するという、とても運命的なものを感じます。
小豆島高校の最後の卒業生になった、樋本尚也主将の気持ちが、当たり前にあった景色がなくなるという言葉に集約されている感じで、凄く感動したのを覚えています。
宣誓。今から92年前、第1回全国選抜中等学校野球大会が開催されました。
その翌年に創部された僕の野球部は、来年の春、高校の統合にともない新しく生まれ変わります。
当たり前にあった景色がなくなる、その重みを僕たちは忘れたくありません。
当たり前にある日常のありがたさを胸に僕たちはグラウンドに立ちます。
そして支えてくださる方々を笑顔にできるよう、気迫を前面に出し全身全霊でプレーすることを誓います。
引用元:第88回 選抜高等学校野球大会(2016年3月20日) 香川県立小豆島高等学校・樋本尚也主将の選手宣誓
まとめ
今回は、甲子園での選手宣誓を特集しましたが、いかがだったでしょうか?1984年の夏の甲子園から、個性あふれる選手宣誓に変わって、今年はどのような内容かと楽しみにしている方も多いと思います。
私もその1人で、次の選手宣誓を心待ちにしています(^_^;)
当ブログでは、野球に関する話題を、多数提供しています。よろしければご覧になってくださいね。
⇒野球に関する話題はこちらからどうぞ
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。