こんにちは、みっつです。
球界の盟主と言われる巨人軍、2019年のシーズン開幕を迎える時点で、背番号6番を背負った選手は、合計で18名になります。
私が最も印象に残っている巨人の背番号6番は、篠塚和典選手です。篠塚選手は右投げ左打ちのバッターで、素晴らしいバッティングセンスの持ち主でした。そして同じ千葉県出身という事で、親しみも凄く感じていた選手です。
篠塚選手の代名詞と私が勝手に思っているのが、レフト方向への流し打ちです。狙いすましてレフト方向に打った時のバッティングフォームの綺麗さは、野球小僧の私の憧れの的で、よく真似をしたものです。でも全然似ていなかったと思いますが(^_^;)
今回は、巨人の背番号6番についての特集です。背番号6番をつけた全18選手の紹介と、私が選んだ活躍した3選手をご紹介しますので、楽しみにしてくださいね。
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歴代の背番号6番を背負った選手をご紹介
まずは、巨人の背番号6を付けた、歴代の選手を一挙ご紹介しますね。
年 度 | 年 数 | 球 団 名 | 選 手 名 |
---|---|---|---|
1935年 | 1年 | 大日本東京野球倶楽部 | 永沢富士雄選手 |
1936年~1937年 | 2年 | 東京巨人軍 | 空白 |
1938年~1939年 | 2年 | 東京巨人軍 | 岩本章選手 |
1940年 | 1年 | 東京巨人軍 | 空白 |
1941年~1943年 | 3年 | 東京巨人軍 | 坂本茂選手 |
1944年~1945年 | 2年 | 東京巨人軍 | 空白 |
1946年~1947年 | 2年 | 東京巨人軍~読売ジャイアンツ | 諏訪裕良選手 |
1948年~1949年 | 2年 | 読売ジャイアンツ | 空白 |
1950年~1951年 | 2年 | 読売ジャイアンツ | 藤原鉄之助選手 |
1952年~1956年 | 5年 | 読売ジャイアンツ | 広田順選手 |
1957年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | 神居進選手 |
1958年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | 空白 |
1959年 | 1年 | 読売ジャイアンツ | 加倉井実選手 |
1960年~1961年 | 2年 | 読売ジャイアンツ | 佐々木勲選手 |
1962年~1964年 | 3年 | 読売ジャイアンツ | 池沢義行選手 |
1965年~1978年 | 14年 | 読売ジャイアンツ | 土井正三選手 |
1979年~1994年 | 16年 | 読売ジャイアンツ | 篠塚利夫選手 (改名:篠塚和典選手) |
1995年~1996年 | 2年 | 読売ジャイアンツ | 落合博満選手 |
1997年~1999年 | 3年 | 読売ジャイアンツ | 石井浩郎選手 |
2000年~2003年 | 4年 | 読売ジャイアンツ | 川相昌弘選手 |
2004年~2006年 | 3年 | 読売ジャイアンツ | 小久保裕紀選手 |
2007年~2008年 | 2年 | 読売ジャイアンツ | 小坂誠選手 |
2009年~ | 読売ジャイアンツ | 坂本勇人選手 |
土井正三選手が背番号6番をつけて以降は、空白の期間もなく、有名な選手ばかりがつけている印象ですね。そして土井選手と篠塚選手が背番号6番を合わせて30年にもわたってつけているのが目立っています。
現役の坂本選手を加えれば、巨人の背番号6番の歴史の半分は、この3人で作られてきたという感じですね(^_^;)
背番号6番をつけて大活躍した3選手
次に、これぞ巨人の背番号6と呼べる3名をピックアップし、経歴をご紹介いたしますので、是非参考にしてください。
篠塚和典選手
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生年月日 1957年7月16日
出身地 千葉県銚子市
投/打 右/左
プロ野球歴
読売ジャイアンツ(1976年~1994年)
タイトル 首位打者2回
表彰 ゴールデングラブ賞4回、ベストナイン5回
やはり、最初に紹介するのは、私の巨人軍背番号6番のイチオシ、芸術的なバッティングの篠塚選手です!篠塚選手は、2019年現在で、巨人の背番号6番を最も長く付けて、活躍をした選手です。
巨人が誇るヒットメーカーとして活躍し、また、長打力もあることから、主に3番打者して、チームの勝利に貢献をしました。しかし、篠塚選手はバッティングだけでなく、華麗な守備も特徴で、ゴールデングラブ賞も4回も獲得しています。
特に、篠塚選手は背番号6へのこだわりが強く、落合選手がFAで中日ドラゴンズから巨人に移籍した際には、背番号6を譲渡することを頑なに拒否した逸話が残っています。
私が篠塚選手で最もショックを受けた出来事は、通算の打撃成績を見て、意外なほどヒット数が少なかった事実を知った時です。芸術的なバッティングから2回の首位打者、7回の3割をマークしているにもかかわらず、通算で1696本だったなんて・・・。
私の憧れの篠塚選手が2000本にも届いていない、まして1700本以下というのは、正直言って信じられない位に少なく感じたものです。ケガが多かったので仕方がなかったのかなと今となっては思いますね。
首位打者2回、3割を7回もマークしていながら、2000本安打に届かなかったという事実に、記録にも記憶にも残っている選手だと、私は勝手に思っています(^_^;)
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土井正三選手
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生年月日 1942年6月28日
出身地 兵庫県神戸市
投/打 右/右
プロ野球歴
読売ジャイアンツ(1965年~1978年)
表彰 ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞1回
土井選手1965年に立教大学から巨人に入団しました。1965年と言えば、巨人が9年連続日本一(V9)に輝いた最初の年でもあります。土井選手の選手生活は、まさに常勝軍団の一端を担っていたと言えるでしょう。
立教大学から巨人に入団をした土井選手は、体重60kgしかない小兵選手でした。しかし、小兵ながらの起用さと、気持ちの強さを武器に活躍をします。
入団2年目には二塁手・2番バッターとしてレギュラーに定着すると、リーグ最多の25犠打を記録して、チームの勝利に貢献をいたします。1番バッターの柴田選手とクリーンアップのON砲である、王選手・長嶋選手をつなげる貴重な役割を続けました。
14年の現役生活の中で、セリーグ最多犠打数を5回も記録し、1番柴田選手が塁に出て、2番土井選手が送りバント、クリーンアップで柴田選手をホームに迎えるといったパターンが出来上がっていましたね。
当時の巨人打線は、ON砲と呼ばれた王選手と長嶋選手が中心ではありましたが、土井選手の陰ながらの働きが、チームを支えていた事は間違いありません。
私が土井選手のプレーで最も印象残っているのが、1969年10月30日の日本シリーズ、阪急ブレーブスとの一戦です。3塁ランナーだった土井選手が1塁ランナーだった王選手とダブルスチールを試みます。
キャッチャーが2塁へ送球したのを見た土井選手が本塁へと突入、タイミングはアウトに見えましたが土井選手の足がホームベースに触れていてセーフという判定。これに抗議したキャッチャーの岡村選手が退場になる騒動となりました。
岡田球審の判定にも疑問の声が上がりましたが、翌日の新聞の一面には土井選手がホームベースを踏んでいる写真が掲載され、土井選手の走塁と岡田審判の判定の確かさが絶賛されたのでした。
私は当時5歳で野球に興味がありませんでしたが、このプレーはテレビや野球雑誌などで語り継がれていて、小学校5年生の時に知る事となりました。
石井浩郎選手
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生年月日 1964年6月21日
出身地 秋田県南秋田郡
投/打 右/右
プロ野球歴
近鉄バファローズ (1990年~1996年)
読売ジャイアンツ (1997年~1999年)
千葉ロッテマリーンズ (2000年~2001年)
横浜ベイスターズ (2002年)
タイトル 打点王1回
表彰 ベストナイン2回
石井選手は生粋のスラッガーとして、4球団で活躍をした選手です。1990年、ドラフト3位で近鉄バッファローズに入団をすると、1年目から5年連続20本塁打以上を記録しました。
当時、「いてまえ打線」と呼ばれた、近鉄バッファローズの重量打線のひとりとして活躍します。剣道の上段の構えから、ぶった切るようにバットを振り下ろすスイングから、「サムライ」とあだ名がつけられました。
さらに、石井選手の逸話として、長さの違う2種類のバッドを常に準備し、投手によって使い分けていたといわれています。長打よりも勝負強さにこだわりを続け、1994年は打点王のタイトルを獲得しました。
1996年のオフに巨人に移籍、既に右手首の故障に悩まされていた石井選手でしたが、持ち前の勝負強さを発揮し、代打の切り札として活躍をいたしました。
私の石井選手の思い出というと、何といっても歌手の岡村孝子さんとの結婚です。イメージ的に芸能人との交流がないような地味な感じの石井選手(失礼!)が、芸能人、まして私もファンだった岡村さんと結婚とは驚かせられました(^_^;)
巨人の背番号6番の意味とは?
2019年のシーズン開幕を迎える時点で、巨人の背番号6番を背負った選手は、合計で18名になります。
高校野球では背番号6番は遊撃手を現しますが、プロ野球界においても、背番号6番が最も守備位置と背番号が合致する番号と言われています。そのことから、プロ野球における背番号6番の意味するものは、遊撃手の巧打者の番号になります。
そして、巨人においても背番号6の意味するものは、内野手の巧打者のイメージが強くあります。その代表選手といえるのが、土井選手と篠塚選手の2人です。
巨人では、1965年に土井選手が背番号6番を付けるまで、短い年数で選手が変わっていきました。しかし、土井選手が背番号6番を付けると、その後を引き継いだ篠原選手と2人合わせて、30年間に渡り背番号6番を背負っています。
この土井選手も篠塚選手は、まさに背番号6番に相応しい、巧打の内野手でした。また、日本プロ野球史で三冠王を3回も達成した落合選手も、巨人に移籍をした際は背番号6番を背負っていました。
⇒読売ジャイアンツの話題
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背番号別の特徴に関しての話題を提供しています。よろしければご覧になってみてくださいね。
⇒背番号別の特徴
まとめ
今回は、巨人の背番号6番について特集してきましたが、いかがだったでしょうか?土井選手が背番号6番をつけるまでは、短い期間で選手が変わっていましたが、土井選手と篠塚選手で30年つけているのが特徴ですね。
2009年からは坂本選手が背番号6番をつけています。2020年には早くも2000本安打を達成して大活躍をしています。
私としては坂本選手にはずっと日本でプレーをして頂き、張本勲選手以来の日本での3000本安打を達成してほしい、そう願って応援していきます(^_^;)
最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。