こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!
鳴門高校は、徳島県鳴門市にある、100年以上の歴史を誇る県立高校です。勉強だけでなく部活動にも力を入れていて、野球やラグビー、サッカーは県内の強豪校として知られています。
特に野球部は甲子園での全国優勝も経験していて、2021年の秋の四国大会でも準優勝、2022年春の選抜大会出場を果たしました。
今回は、鳴門高校の野球部を特集します。秋のメンバーや戦績、監督の紹介、さらに甲子園での戦いぶりやプロ野球に進んだOBにも触れますので、楽しみにして下さいね。
あくまでも参考情報としてご覧ください。
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鳴門高校の2021年新メンバーをご紹介!
まずは、直近の公式戦である2021年秋季四国地区高等学校野球大会出場時の、登録メンバーをご紹介します。
背番号 | 名前 | 学年 | ポジション | 出身中学校 | 中学時の所属チーム |
---|---|---|---|---|---|
1 | 冨田遼弥選手 | 2年生 | 投手 | 藍住町藍住中 | 徳島藍住リトルシニア |
2 | 土肥憲将選手 | 2年生 | 捕手 | 石井町石井中 | 徳島藍住リトルシニア |
3 | 藤中温人選手 | 2年生 | 内野手 | 東みよし町三好中 | 徳島東リトルシニア |
4 | 上田隼翔選手 | 2年生 | 内野手 | 奈良県橿原市八木中 | 南都ボーイズ |
5 | 由谷豪太良選手 | 2年生 | 内野手 | 和歌山県太地町太地中 | 中百舌鳥ボーイズ |
6 | 三浦鉄昇選手 | 2年生 | 内野手 | 鳴門市第一中 | 中学軟式野球部 |
7 | 豊田凌平選手 | 1年生 | 外野手 | 鳴門市第一中 | 中学軟式野球部 |
8 | 前田一輝選手 | 2年生 | 投手 | 小松島市小松島南中 | 徳島東リトルシニア |
9 | 井川欧莉選手 | 2年生 | 外野手 | 東みよし町三好中 | 高松リトルシニア |
10 | 藤原颯太選手 | 1年生 | 投手 | 鳴門市大麻中 | 中学軟式野球部 |
11 | 真鍋至憧選手 | 1年生 | 投手 | 吉野川市鴨島東 | 徳島藍住リトルシニア |
12 | 安田生輝選手 | 2年生 | 外野手 | 大阪府藤井寺市第三中 | 藤井寺ボーイズ |
13 | 秋田柊哉選手 | 2年生 | 外野手 | 鳴門市大麻中 | 中学軟式野球部 |
14 | 宮本悠汰選手 | 1年生 | 内野手 | 兵庫県西宮市鳴尾中 | 大阪鶴見リトルシニア |
15 | 幸田大和選手 | 2年生 | 外野手 | 三好市三野中 | 中学軟式野球部 |
16 | 大塚琉斗選手 | 2年生 | 内野手 | 阿波市土成中 | 中学軟式野球部 |
17 | 齋藤巧夢選手 | 1年生 | 捕手 | 徳島市南部中 | 徳島東リトルシニア |
18 | 渡邊遥太選手 | 1年生 | 内野手 | 北島町北島中 | 徳島ホークス |
19 | 佐藤有悟選手 | 1年生 | 内野手 | 香川県小豆島町池田中 | 西かがわリトルシニア |
20 | 城田悠晴選手 | 1年生 | 内野手 | 兵庫県洲本市青雲中 | ヤング淡路 |
公立高校ではありますが、入試で特色選抜があり20名中6名が県外出身というのが特徴的です。また、中学軟式野球部出身者も6名おり、強豪校ながら公立高校らしさも残っています。
鳴門高校の私のイチオシ選手!
鳴門高校の私のイチオシ選手は、チームの絶対的エースの冨田遼弥(とみたりょうや)選手です。
冨田選手は地元徳島の小さな町・藍住町で生まれ育ち、中学時代は徳島藍住リトルシニアでプレ-しました。中学時代にバッテリーを組んでいた土肥選手とともに徳島で一番甲子園に近い鳴門高校に進学します。
順調に成長した冨田選手は2年時からはエースとしてチームにはなくてはならない存在となりました。しかし、2年生エースとして迎えた夏の徳島県大会では、自身の守備の乱れなどもありまさかの初戦敗退となってしまいます。
新チームとなり最上級生となった秋の大会では見事に勝ち進みました。事実上のセンバツ切符を手にする四国大会準決勝で明徳義塾高校相手に接戦の末に勝利した際には歓喜の涙を流しています。
177cm・80kgの左腕から投げられるストレートは、秋の時点で最速142キロを記録し、威力は充分です。制球に課題はあるものの、スライダーやチェンジアップも駆使し、連打を許さず粘り強いピッチングができる投手です。
四国地区大会では初戦の尽誠学園高校戦で完封、明徳義塾高校戦では延長11回を投げ抜き13奪三振を奪う力投を見せ、強豪校相手にも通用するのを証明しました。
選抜大会ではまた一回り成長した姿を見たい選手のひとりです。
鳴門高校2021年秋の公式戦の戦績
次に、鳴門高校野球部新チームの、初めての公式戦となる2021年秋季大会の戦績をご紹介します。
日付 | 大会名 | 何回戦 | 対戦相手 | スコア | 備考(県大会出場決定など) |
---|---|---|---|---|---|
2021年8月22日 | 令和3年度 徳島県高等学校野球新人ブロック大会 | 準優勝 | 名西高校 | 〇10-0 | |
2021年8月23日 | 決勝 | 徳島商業高校 | 〇8-0 | ||
2021年8月26日 | 令和3年度 徳島県高等学校野球新人中央大会 | 1回戦 | 阿南光高校 | 〇1-0 | |
2021年9月20日 | 2回戦 | 城東高校 | 〇11-0 | ||
2021年9月26日 | 準々決勝 | 徳島市立高校 | 〇10-0 | ||
2021年10月2日 | 準決勝 | 池田高校 | 〇13-0 | 四国地区大会出場決定 | |
2021年10月3日 | 決勝 | 徳島商業高校 | 〇9-2 | ||
2021年10月24日 | 第74回 秋季四国地区高等学校野球大会 | 準々決勝 | 尽誠学園高校 | 〇2-0 | |
2021年10月30日 | 準決勝 | 明徳義塾高校 | 〇3-2 | ||
2021年10月31日 | 決勝 | 高知高校 | ●3-7 |
四国大会で見事に準優勝を果たし、春の選抜大会出場を決めました。
鳴門高校の監督ってどんな人?
2021年12月現在、鳴門高校の野球部を率いる監督は、同校OBでもある森脇稔(もりわきみのる)さんです。
指導者としての経歴
1985年 鳴門高校野球部監督就任
2000年 徳島工業高校野球部監督就任
2007年 鳴門高校野球部監督就任
2010年 第92回夏全国高等学校野球選手権大会出場
森脇監督ってこんな人
最初にご紹介した通り、森脇監督は鳴門高校野球部OBです。選手時代は主将としてチームを率いましたが甲子園には出場できませんでした。
大学は法政大学に進学し、内野手やマネージャーとしてチームを支えました。
大学卒業後は教員として地元の徳島に戻り、1985年には24歳の若さで母校・鳴門高校野球部の監督に就任しています。
鳴門高校で10年、その後の徳島工業高校(現徳島科学技術高校)で7年監督として指揮をとりましたが一度も甲子園出場はできませんでした。その後、2007年から再び鳴門高校の監督に就任すると、2010年の夏についに監督として初の甲子園出場を決めます。
森脇監督のチームづくりのベースとなるのは、「投手を中心とした守りのチーム」です。冬場に守備の基礎を固め、春以降は打撃の実戦練習の中での生きた打球で守りに磨きをかけます。
無駄な点を与えないことで打撃にも集中できるという考えです。
過去に率いたチームではなかなか甲子園に導けなかった森脇監督ですが、2度目の鳴門高校野球部監督就任後は徳島県内の常勝軍団に仕上げています。その最も大きな要因としては、指導陣の充実です。
現在は森脇監督の他に北谷部長ら2人の教員と、教え子だった4人のコーチが指導にあたり、公立高校とは思えないほどの充実ぶりです。コーチ陣から調子の良い選手を教えてもらうなど、目が行き届く指導が部内での競争を促し、戦力の充実につながっています。
また、覚悟を持って鳴門高校に来てくれた生徒の面倒を最後まで見るという思いのもと、2年時から生徒や保護者と進路相談をするなど、保護者側からはもちろん、進路先からも信頼を得ています。
森脇監督は定年退職が近づいており、チームの指揮を執るのは選抜が最後になりそうです。監督としての集大成を有終の美で飾りたいところです。
鳴門高校野球部の甲子園での戦績
鳴門高校野球部のこれまでの甲子園での戦績をご紹介します。
大会名 | 回数 | 勝敗数 |
---|---|---|
春選抜高校野球大会 | 8回 | 15勝7敗 |
夏全国高校野球選手権大会 | 13回 | 13勝13敗 |
合計 | 21回 | 28勝20敗 |
これまでに21回の甲子園出場がありますが、過去には選抜大会で優勝経験もあります。一時期は低迷期で古豪という感じでしたが、2010年代以降は徳島県の高校で最も甲子園に出場するまでに復活しました。
大会名 | 西暦 | 戦績 |
---|---|---|
第15回春選抜高等学校野球大会 | 1938年 | 2回戦敗退 |
第32回夏全国高等学校野球選手権大会 | 1950年 | 準優勝 |
第23回春選抜高等学校野球大会 | 1951年 | 優勝 |
第24回春選抜高等学校野球大会 | 1952年 | 準優勝 |
第34回夏全国高等学校野球選手権大会 | 1952年 | 2回戦敗退 |
第26回春選抜高等学校野球大会 | 1954年 | ベスト8 |
第48回夏全国高等学校野球選手権大会 | 1966年 | 2回戦敗退 |
第42回春選抜高等学校野球大会 | 1970年 | ベスト4 |
第52回春選抜高等学校野球大会 | 1980年 | 1回戦敗退 |
第62回夏全国高等学校野球選手権大会 | 1980年 | 3回戦敗退 |
第77回夏全国高等学校野球選手権大会 | 1995年 | 1回戦敗退 |
第92回夏全国高等学校野球選手権大会 | 2010年 | 1回戦敗退 |
第84回春選抜高等学校野球大会 | 2012年 | ベスト8 |
第94回夏全国高等学校野球選手権大会 | 2012年 | 2回戦敗退 |
第85回春選抜高等学校野球大会 | 2013年 | 3回戦敗退 |
第95回夏全国高等学校野球選手権大会 | 2013年 | ベスト8 |
第96回夏全国高等学校野球選手権大会 | 2014年 | 2回戦敗退 |
第97回夏全国高等学校野球選手権大会 | 2015年 | 1回戦敗退 |
第98回夏全国高等学校野球選手権大会 | 2016年 | ベスト8 |
第100回夏全国高等学校野球選手権大会 | 2018年 | 1回戦敗退 |
第101回夏全国高等学校野球選手権大会 | 2019年 | 2回戦敗退 |
鳴門甲子園での思い出の試合
私の鳴門高校の思い出の試合として、2019年第101回夏全国高校野球選手権大会の1回戦の試合をご紹介いたします。
この年の対戦相手は、試合巧者の花巻東高校となりました。この両校はこの6年前、2013年の夏の甲子園の準々決勝でも対戦しており、その時は4-5で鳴門高校は敗れています。
実はこの時には世間を賑わせた因縁があります。勝利した花巻東高校には「サイン盗み」疑惑があったのです。このことが試合後も話題となり、釈然としない形となっていました。
そんな両校の6年ぶりの対戦としなった試合は、鳴門高校が主導権を握ります。初回から満塁のチャンスに6番藤中選手の走者一掃タイムリーで幸先よく3点を先制しました。
花巻東は3回から好投手の西舘選手をマウンドに送りましたが、その西舘選手からも3回と5回に追加点を奪い、7-0と大量リードを奪います。
花巻東の反撃もありましたが、鳴門高校は終盤にもダメ押し点を奪い、最終的に10-4のスコアで快勝しました。試合を通じて両校とも10安打ずつでしたが、四死球の数やチャンスで1本が出たかどうかが結果を分けた形となったのです。
私自身は6年前の因縁のことなどすっかり忘れていたのですが、勝利後のインタビューで、鳴門高校の監督や選手がリベンジできて嬉しい旨の話をしており、選手たちは熱いものを秘めながらもクレバーに試合をこなしていたんだなと感心しました。
また実力が拮抗した相手にはきっちりと勝ち星を挙げるイメージのある花巻東高校が、実力伯仲と思われた鳴門高校に完敗という結果も印象的でした。
鳴門高校野球部出身のプロ野球選手
鳴門高校野球部からはこれまで20名の選手がプロ野球界入りしています。2019年のドラフト会議で2球団から1位指名を受けた河野竜生選手も鳴門高校出身です。
そこで、河野選手ら20名の卒業年度と最初に入団した球団をご紹介します。
選手名 | 卒業年度 | 最初に入団した球団 |
---|---|---|
大久保英男 | 1950年 | 国鉄スワローズ |
日野美澄 | 1952年 | 中日ドラゴンズ |
八田正 | 1954年 | 大映スターズ |
別部捷夫 | 1958年 | 国鉄スワローズ |
坂東里視 | 1959年 | 近鉄バファロー |
白石静生 | 1962年 | 広島カープ |
小川弘文 | 1963年 | 広島カープ |
渋谷幸春 | 1965年 | 中日ドラゴンズ |
坂東順司 | 1967年 | 読売ジャイアンツ |
笹本信二 | 1970年 | 阪神タイガース |
住友一哉 | 1975年 | 近鉄バファローズ |
川端順 | 1977年 | 広島東洋カープ |
秦真司 | 1980年 | ヤクルトスワローズ |
島田茂 | 1980年 | ロッテオリオンズ |
潮崎哲也 | 1986年 | 西武ライオンズ |
大貝恭史 | 1990年 | 日本ハムファイターズ |
福田信一 | 1991年 | 福岡ダイエーホークス |
住友健人 | 1992年 | ヤクルトスワローズ |
坂東湧梧 | 2013年 | 福岡ソフトバンクホークス |
河野竜生 | 2016年 | 北海道日本ハムファイターズ |
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おわりに
今回は、鳴門高校の野球部を特集してきましたが、いかがだったでしょうか?
一時期の低迷期を抜け出し、甲子園の常連校に戻りつつある鳴門高校。狙うは2016年の夏の甲子園以来のベスト8、さらに52年ぶりのベスト4でしょうか。
鳴門高校の戦いぶりに注目していきたいと思います。
最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。