千葉ロッテマリーンズの背番号2番!歴代の2番の選手・監督とその傾向を紹介

背番号の意味

こんにちは、当ブログの管理人、元高校球児のみっつです!

多くの野球ファンにとって背番号2番はキャッチャーのイメージが強い背番号です。プロ野球界でも城島健司選手らが使用してきましたが、どちらかと言えば強打の内野手が使用するケースが多いように感じます。

今回は千葉ロッテマリーンズの背番号2番の特集です。千葉ロッテマリーンズではキャッチャーや内野手の他にも意外な人物も背番号2番を使用してきました。

そこで、歴代の2番の全選手や特に印象深い3選手、さらに2番をつけてきた選手の傾向にも迫っていきたいと思います。




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歴代の背番号2番を背負った選手をご紹介

2022年現在で、千葉ロッテマリーンズの背番号2番をつけてきた選手と監督は16人となります。まずは、その16人をご紹介します。

初代は今久留主淳選手です。弟の功選手と毎日オリオンズの立ち上げに参加し、シーズン途中まで背番号2番をつけました。

2代目は長谷川善三選手です。戦前からプロ野球界で活躍した選手で、犠打の名手でした。

3代目・小森光生選手は早稲田大学時代には六大学野球のスター選手で、華麗な守備が魅力の選手です。

4代目・辻本泰直選手は小柄な内野手で、打撃よりは守備の方が持ち味だった選手だったようです。

5代目の山崎裕之選手は、高校時代には「長嶋二世」と呼ばれ、ロッテの背番号2番をつけた選手の中で最も長い14年間使用しました。

6代目の白仁天選手は、韓国人プロ野球選手の草分け的存在の選手です。引退後は韓国球界で多くの球団の監督としても活躍しました。

7代目は丸山一仁選手です。プロ7年間で100試合強の出場にとどまりましたが、引退後は球界初の金田正一監督付き専属広報担当に就任しました。

8代目は横田真之選手です。新人時代から打率3割を記録し、ベストナインにも選出された外野手です。

9代目は宇野勝選手です。有名すぎる珍プレーでお馴染みの選手ですが、ショートとしては初のホームラン王に輝いた強打者で、晩年はロッテに在籍しました。

10代目・平井光親選手はロッテ一筋で14年間プレーし、3年目には首位打者も獲得した外野手です。

11代目・サブロー選手は22年間に渡ってロッテに在籍したチームの顔とも言うべき選手です。俊足巧打に加え、ゴールデングラブ賞も獲得した守備も持ち味でした。

12代目はボビー・バレンタイン監督です。メジャーの各球団でコーチ・監督を歴任し、2度目のロッテ監督就任の際にはチームを31年ぶりに日本一に導いた名将です。

13代目の今岡誠選手は、阪神タイガースで長年活躍したアベレージヒッターですが、晩年はロッテに在籍しました。

14代目の根元俊一選手は走攻守三拍子揃ったユーティリティープレーヤーです。犠打などの小技も光った選手でした。

15代目は藤原恭大選手です。期待の若手選手で、入団から3年間、背番号2番を使用しました。

16代目は松川虎生選手です。捕手としては史上3人目の高卒新人開幕スタメン、史上最年少での完全試合捕手などを記録しています。




背番号2番を背負って活躍した3選手のご紹介

歴代の千葉ロッテマリーンズの背番号2番の選手のうち、私が特に印象深く思う、山崎選手、サブロー選手、そしてバレンタイン監督をご紹介したいと思います。

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山崎裕之選手

生年月日 1946年12月22日
出身地 埼玉県上尾市
投/打 右/右
プロ野球歴
東京オリオンズ~ロッテオリオンズ(1965年~1978年)
西武ライオンズ(1979年~1984年)
タイトル等 ベストナイン5回、ダイヤモンドグラブ賞3回、オールスター出場11回

山崎裕之選手は、埼玉・上尾高校時代から持ち前の強打から「長嶋二世」と呼ばれ注目を集めました。ドラフト制度が無かった当時としては、各球団の引っ張り合いとなりましたが、1番に声をかけてくれた東京オリオンズに入団しています。

鳴り物入りで入団したものの、入団後数年は思ったような打撃成績を残すことができませんでした。しかし二塁手にコンバートされた1969年に初の打率3割を記録すると、その地位を確固たるものにします。

ロッテには14年間、その後西武ライオンズに6年間在籍しました。入団時に希望した背番号2番はロッテ~西部の間、一度も変更することなく、ロッテの歴代背番号2番をつけた選手の中では最長となっています。

現役時代は、主要な打撃タイトルを手にすることはなく、また打率3割を超えたシーズンは1度だけと、決してハイアベレージを残す打者ではありませんでした。

しかし、現役時代の20シーズンのうち、14シーズンで2桁本塁打を記録したパンチ力のある打撃が持ち味でした。

また、二塁手部門では3度のダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を獲得した安定した守備力も持っています。隠し球を披露することもあり、打撃においても守備においても、相手にとっては気が抜けない嫌な選手でした。

二塁手としての試合出場1883試合は、高木守道選手に次いで歴代2番目に多く、歴史に名を残す選手であることには間違いありません。

引退後は、豊富な野球知識から野球評論家としての活動を長く続けています。これだけチームに貢献した選手ではありますが、指導者経験はなく、名選手=名指導者ではないということも語っています。

サブロー選手

生年月日 1976年6月1日
出身地 岡山県岡山市
投/打 右/右
プロ野球歴
千葉ロッテマリーンズ(1995年~2011年)
読売ジャイアンツ(2011年)
千葉ロッテマリーンズ(2012年~2016年)
タイトル等 ゴールデングラブ賞2回、オールスター出場2回

「サブロー」というニックネームでお馴染みのサブロー選手の本名は、大村三郎です。岡山から当時の超名門・PL学園高校に進学し、甲子園にも出場しています。

2学年上に今岡誠選手、1学年上に松井稼頭央選手、1学年下の福留孝介選手らがおり、かつてのチームメイトとプロの舞台でも鎬を削りました。

1994年のドラフト会議でロッテに1位指名を受けて入団すると、背番号は名前の語呂合わせで36番に、登録名は当時大ブレイクしたイチロー選手にあやかり、「サブロー」となりました。

入団後4年間はなかなかレギュラーの座を獲得できませんでしたが、1997年には背番号2番を与えられ、球団からも期待をかけられます。

入団5年目の1999年ごろには1軍定着を果たすと、2002年には外野手のレギュラー獲得、初の規定打席に到達し、シーズン126安打を放ち打率.286とまずまずの成績を残しました。

以降は大きく目立った成績はないものの、10年以上に渡ってロッテの主力選手として必要不可欠の戦力となります。特に2005年には規定打席に未到達ながら打率も3割を超え、チームの31年ぶりに日本一に大きく貢献しました。

また、入団15年目の2009年には、キャリアハイとなる打率.314に加え、22本塁打を放っています。2011年のシーズン途中にはジャイアンツに移籍し、登録名も「大村三郎」となりましたが、そのシーズン終了後にはすぐさまロッテに復帰しました。

打撃タイトルを獲得したり、特に目立った成績を残した選手というわけではないのですが、現役生活は22年に渡り衰えが少ないプレースタイルで、ロッテ野手陣には無くてはならない選手でした。

ボビー・バレンタイン監督

生年月日 1950年5月13日
出身地 アメリカ合衆国
投/打 右/右
監督歴
テキサス・レンジャーズ(1985年~1992年)
千葉ロッテマリーンズ(1995年)
ニューヨーク・メッツ(1996年~2002年)
千葉ロッテマリーンズ(2004年~2009年)
ボストン・レッドソックス(2012年)

ボビー・バレンタイン監督は、日本プロ野球の歴史においても最も有名な外国人監督の一人です。

アメリカ出身のボビー監督は現役時代、MLBドラフト1巡目でドジャースに入団しました。現役時代は内外野を守りましたが、怪我に泣き、メジャーリーガーとしては目立った実績を残せませんでした。

その後はメジャー球団や傘下の球団でコーチ・監督を歴任すると、1995年には千葉ロッテマリーンズに監督に就任します。この年、チームを10年ぶりのAクラスとなるリーグ2位に導くも、わずか1年で解任されてしまいました。

その後、ニューヨーク・メッツの監督時代には、オールスターゲームでのナショナルリーグの監督も務めるなど、メジャーでもトップクラスの監督となります。

メッツの監督の解任後には、低迷にあえぐロッテからのオファーを受けて9年ぶりに監督に復帰しました。背番号2番は、ボビー監督が師と仰ぐ、ドジャースのラソーダ監督がつけていたものでした。

就任2年目には球団の期待に応え、シーズンを2位ながらもクライマックスシリーズと日本シリーズを勝ち抜き、チームを31年ぶりの日本一に導いています。

変幻自在のスタメン起用や、大胆な若手起用が大当たりそ、それは「ボビーマジック」と呼ばれました。そして西岡選手や今江選手などの台頭してきた若手は「ボビーチルドレン」と呼ばれ、翌年のWBC(ワールドベースボールクラシック)でも大活躍でした。

その実績もさることながら、ボビー監督が日本のファンに愛されたのはそのキャラクターの部分も大きいです。試合中のポーカーフェイスから一転、普段は笑顔と共に陽気な性格を見せてくれました。

新語・流行語大賞にはプロ野球関連の言葉がノミネートされることが多いのですが、「ボビーマジック」もノミネートされました。

第2次ボビー政権の頃は、「ベース投げ」のブラウン監督や「シンジラレナーイ」のヒルマン監督など外国人監督が日本プロ野球界を盛り上げてくれました。




背番号2番をつけた選手の傾向とは?

千葉ロッテマリーンズの背番号2番の選手のうち、半数以上が内野手の選手です。やはりプロ野球界において1~6などの若い背番号は内野手が使用するケースが伺えます。

山崎選手やサブロー選手といったチームには欠かせない選手は長い期間使用してきているようです。そしてマリーンズの場合、そんな背番号をボビー・バレンタイン「監督」が使用しており、これは珍しいケースとも言えます。

近年では、藤原選手や松川選手など期待の若手が使用してきているのも面白いところです。

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背番号別の特徴

おわりに

今回は、千葉ロッテマリーンズの背番号2番を特集してきましたが、いかがだったでしょうか?

近年では熱心なファンが多く、独特の応援歌などで人気を集めているのがマリーンズです。その人気が出てきた契機は、2005年のボビー監督時代の日本一というのが大きなきっかけの1つというのは間違いありません。

選手だけででなく、監督というのもチームの人気には必要不可欠というのがわかりますね。

最後までお読みいただき大感謝!みっつでした。