阪神タイガースの背番号0番!歴代0番の選手と傾向を紹介

背番号の意味

こんにちは、みっつです。

1983年、日本プロ野球界で初めて長嶋清幸選手が背番号0番をつけると、各球団にも仲間が増えていきました。

阪神タイガースも例外ではなく、1988年に中野佐資選手が背番号13番から0に変更しています。

今回は阪神タイガース背番号0番を特集します。歴代の0番の選手や特に印象深い3選手、さらに0番をつけてきた選手の傾向にも触れますので、楽しみにして下さいね。




歴代の背番号0番を背負った選手

まずは、歴代の背番号0番選手をご紹介しましょう。

年  度年 数球 団 名選 手 名
1936年~1987年52年大阪タイガース~阪神~大阪タイガース~阪神タイガース空白
1988年~1993年6年阪神タイガース中野佐資選手
1994年~1997年4年阪神タイガース長嶋清幸選手
1998年~2002年5年阪神タイガース吉田浩選手
2003年~2007年5年阪神タイガース中村豊選手
2008年~2010年3年阪神タイガース庄田隆弘選手
2011年~2017年7年阪神タイガース大和(前田大和)選手
2018年1年阪神タイガース空白
2019年~阪神タイガース木浪聖也選手

初代は冒頭でで少しご紹介した中野佐資選手でした。社会人野球からドラフト2位でプロ入りした外野手です。タイガース監督に復帰した村山実監督に見いだされ、レギュラーに抜擢されました。

まだまだ見慣れない番号に加え、中野選手に注目が集まったのは名前の読み方です。さし・さすけなど色々な憶測がファンからは上がりましたが、正解は「さとる」でした。

2代目は「元祖・背番号0番」長島清幸選手です。広島東洋カープ時代の1983年、日本初の背番号0番選手となり、無類の勝負強さで日本シリーズMVPを獲得したこともあります。

中日ドラゴンズ、千葉ロッテマリーンズを経てタイガースへ入団し、代打の切り札として相変わらずの勝負強さを見せてくれました。

3代目・吉田浩選手はプロ引退後、アマチュア日本代表に選ばれた、異色の選手です。2002年、タイガースを退団後、社会人野球・住友金属鹿島に入部しました。

4番打者として活躍すると2003年、アマチュアのみで構成された日本代表チームに元プロ野球選手として初めて召集されます。同年のIBAFワールドカップで銅メダル獲得の原動力となりました。

4代目・中村豊選手は日本ハムファイターズからトレードされた外野手です。明治大からドラフト1位で日本ハム入りしました。

2002年オフ、下柳豊選手と共に移籍し、2003年、2005年の優勝に貢献しています。

2005年には代走で微妙なタイミングで本塁タッチアウトとなった怒りを打席でぶつけ、試合を決定づけるホームランをかっ飛ばす、という熱いプレーを見せてくれました。同年、タイガースは優勝しますが、優勝争いの佳境での中村選手の一打はチーム大いに鼓舞しました。

5代目・庄田隆弘選手は社会人野球・シダックスから入団した外野手です。

俊足巧打の選手としてファームでは好成績を挙げるものの、金本知憲、赤星憲広両選手が安泰で外野陣の残り1席を巡る争いは激しく、レギュラー奪取までには至りませんでした。

6代目は内外野の守備を高いレベルでこなす守備名人・大和選手です。タイガース時代は外野手としてゴールデングラブ賞を獲得。横浜DeNAベイスターズ移籍後はショートのレギュラーとして活躍中です。

7代目である現役の木浪聖也選手は、2019年に近本光司選手とともにルーキーながら開幕スタメンに抜擢された遊撃手です。133試合に出場しレギュラー格となったものの、ライバルの北條史也選手も黙っていないでしょう。

同学年である上に、ともに青森県で高校時代を過ごしたなど、何かと縁のある木浪選手と北條選手。二人のポジション争いはこれからがヒートアップしていきそうです。

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歴代背番号0番のうち、印象深い3選手のご紹介

次に、阪神タイガースの背番号0番をつけた選手のうち、私が特に印象深く思う中野選手、大和選手、そして木浪選手をご紹介したいと思います。

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中野佐資選手

生年月日  1963年1月7日
出身地   栃木県栃木市
投/打   左/左
プロ野球歴 阪神タイガース(1986年~1993年)
タイトル等 特になし 

中野選手は、阪神タイガース初の日本一となった1985年のドラフト会議で、2位指名を受け入団しました。次世代を担う即戦力として期待されたものの、プロ入り後2年間で出場した試合はわずか10試合に終わります。

転機は1987年オフでした。タイガースの監督に復帰した村山実氏が「背番号13番は投手の番号や」と背番号変更を提言し、タイガース初の背番号0番を背負う事になりました。

ちなみに、中野選手が背番号0番でプレーし始めた1988年シーズン途中に日本球界初となる背番号00番選手、ルパート・ジョーンズ選手が入団します。この年、タイガース背番号史には2つも新しい波が起きていたのです。

当時の村山監督は若手選手をレギュラーに起用し、最下位に沈んだチームの変革に挑みました。大野久選手、和田豊選手を1・2番に据え、中野選手もレフトで起用。この3人は「平成の少年隊」と呼ばれました。

1988年に108試合に出場した中野選手は翌1989年にはほぼフル出場となる124試合に出場を果たします。打率.268 11本塁打41打点という成績を残しました。

1991年までは100試合前後に出場し、外野の準レギュラーとしてプレーしていましたが、1992年、亀山努、新庄剛志両選手の「亀新フィーバー」に押され出場機会がぐっと減少します。

1993年、出場試合数がわずか5試合に終わってしまいました。まだ30歳でしたが、中野選手は引退を表明します。周囲は引き止めましたが、意思は変わりませんでした。

引退後はスポーツ用品店に勤務される傍ら、少年野球の指導に力を注いでいます。

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大和(前田大和)選手


*写真は背番号66番時代です

生年月日  1987年11月5日
出身地   鹿児島県鹿屋市
投/打   右/右
プロ野球歴
阪神タイガース(1996年~2017年)
横浜DeNAベイスターズ(2018年~)
タイトル等 ゴールデングラブ賞1回

大和選手は、鹿児島・樟南高時代は遊撃手として1年夏と3年夏の甲子園へ出場しています。たまたまテレビ観戦していた当時の岡田彰布監督が守備力を評価し、スカウトに「すぐに取りに行け」と命じたといいます。

2005年の高校生ドラフト会議でタイガースから4巡目指名を受けプロ入りしました。当時の背番号は66番です。

入団後も守備の評価は高く、「今すぐにでも1軍へ上がれる」というほどで、中日ドラゴンズの井端弘和選手や日本代表監督だった星野仙一氏といった守備の名手・あるいは歴戦の監督からも称賛のコメントがあがりました。

プロ入り4年目の2009年に1軍戦初出場します。2010年からは出場機会を求め外野守備するなど、ユーティリティープレーヤーとして出番が増えていきました。

2012年、外野手を中心に128試合に出場すると2013年にはセンターのレギュラーに定着し、打率.273 19盗塁を記録しました。

2016年まで外野手中心の起用が続きますが、2017年に正遊撃手・鳥谷敬選手に衰えが見え始めると内野手に再転向します。ルーキー・糸原建斗選手とポジションを争いました。

この年、セカンド48試合、ショートは56試合と内野手として活躍します。シーズンオフには同年取得したFA権の行使を最後の最後まで迷いました。

球団は翌年のカレンダーに大和選手の写真を使うなど残留を信じていましたが、大和選手の答えは「行使」。2018年からは横浜DeNAベイスターズへ移籍し、中心選手として活躍しています。

大和選手は、タイガース時代は他の選手に振り回され、守備位置が定まらなかった印象です。高い守備能力はファンも認めるほどだっただけに、「もったいない」という印象すらありました。

移籍後、ショートとしてイキイキプレーする大和選手を見ればヤジの一つでも飛ばしたくなりますが、そこは練習熱心さ・ひたむきさにも定評のあった大和選手だけにタイガースファンも暖かく見守っています。

引退後はコーチとして、タイガースに戻ってきてくれることを期待しましょう。




木浪聖也選手

生年月日  1994年6月15日
出身地   青森県青森市
投/打   右/左
プロ野球歴 阪神タイガース(2019年~)
タイトル他 特になし  

木南選手は青森山田高校出身です。1学年上に東京ヤクルトスワローズ・山崎晃大朗選手、同学年に中日ドラゴンズ・京田陽太選手がいました。また同じ青森県内には現在はチームメートの北條史也選手、千葉ロッテマリーンズ・田村龍弘選手を擁する光星学院高がありました。

北條選手らがいた光星学院高校は、2年夏から3期連続で甲子園準優勝を飾った全国区の強豪です。このため木浪選手らは甲子園への出場は叶いませんでした。

亜細亜大を経て社会人野球の強豪・HONDAに入社。そこでヘッドコーチをしていた「ミスター社会人」・西郷泰之コーチと打撃改造に着手します。すると高校・大学では1本の本塁打も打てなかった木浪選手が公式戦で24本塁打を記録するまでに成長しました。

2018年のドラフト会議でタイガースから3位指名を受け入団します。入団発表では埼玉西武ライオンズ・松坂大輔選手と同じ産婦人科で産まれたというエピソードを披露し、話題となりました。

2019年、オープン戦で12球団の選手中最多安打を記録します。矢野耀大監督は木浪選手、そしてドラフト1位で同じくオープン戦で活躍した近本光司選手を開幕スタメンで使うと明言。実際に「1番・ショート木浪」、「2番・センター・近本」と起用されました。

ペナントレースではいきなり17打席連続無安打とプロの壁にぶち当たりますが、初本塁打を読売ジャイアンツのエース、菅野智之投手から奪うなど、徐々に順応していき、終わってみれば打率.262 4本塁打32打点を記録しました。

新人王に輝いた近本選手には及ばないものの、ルーキーとすれば及第点の成績と言えるでしょう。

高校時代からのライバル・北條選手と今度はプロでポジション争いをすることになった木浪選手。まだ26歳ということで今後の競り合いはタイガースファンならずとも注目必至ですね。




背番号0番をつけた選手の傾向とは?

阪神タイガースの背番号0番は、ポジションに関係なく「これから活躍が期待される選手」に贈られる番号です。

初代0番のの中野選手が思うように成績を挙げれなかった時、「えこひいきではないのか」という批判がファンから多く寄せられました。しかし村山監督は怯むことなく、中野選手を起用します。

そこには「暗黒」とまで表現されてしまったチームの現状・雰囲気を、背番号0番の力で変えて欲しいという「期待」があったのです。

2018年のドラフト会議で木浪選手がタイガースに指名された時、「なぜ北條選手がいるのに遊撃手を指名する?」という声がありました。そこにも、やや伸び悩んでいる北條選手を刺激して欲しいという「期待」があったのです。

他球団の例では心機一転という意味で背番号0番を背負う選手がいました。
タイガースの0番には清々しい、無限の可能性を秘めた選手が背負ってきたことは、歴代の選手を見ればお分かりいただけるはずです。

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おわりに

今回は、阪神タイガースの背番号0番を特集してきましたが、いかがだったでしょうか?特に期待される選手がつけてきた、という傾向もわかりましたね。

「無限の期待」を託される選手が背負う、阪神タイガース背番号0番。

木浪選手以降も、いつまでも私たちファンをワクワクさせてくれるような選手に受け継がれていくことでしょう。

最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。

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